2014年9月17日 のアーカイブ

校了

2014年9月17日 水曜日

今日は「ににん」と拙書「二冊の鹿火屋」の校了だ。両方を同時に郵便局に預けてきた。しばらく、旅行のことなど考えたい。とりあえずは10月初めは二泊三日の法事をかねた旅がある。心置きなく出かけられるのは下旬かな。

と、なんとなく体を緩めていたら、出版社で書斎拝見の企画を、と言ってきた。えっと吃驚。有難いお話だが、何たって私の書斎は小さいだけではない。大きめの机の上がパソコンを残してすぐに山になるのだ。パソコンが勝手に撮った私の顔の後ろの窓には、一応レースのカーテンなどが掛かっているが、そこには、締め切りだの、行かなければならない予定の案内などが、あるいは支払書が洗濯ばさみで止めてあるのだ。そうして横には、整理の仕様のない本が雑然と並んでいる。

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過ってこの横の書架には、石鼎の資料が上から下まで全部詰まっていた。その資料のすべてをデーター化して今は、アイパットの中で見ている。なのになぜか、やはり以前と同じ様に上から下まで雑然と本が詰まってしまった。ほとんどの本を別の部屋におくので、ここは、ちょっと調べるときの資料的なものしかないのだが・・・。
一度、この雑然としたものを片付けたことがあるのだが、片づけるというのは捨てることみたいになってしまって、困ったことがあった。まー、今回は「すぐには・・」と保留にしていただいた。

 

糸滝のひと筋ごとに風生れ    葵 瓔子

2014年9月17日 水曜日

糸滝というから、糸のような細い流れが寄り集まって滝を成している繊細なものなのだろう。そのひと筋ひと筋を見詰めていると、それぞれが微かに揺れている。滝の落下する勢いに自らの滝ごとに揺れているのだ。それだけのことだが、(ひと筋ごとに)の措辞から作者が滝へ、あるいは滝が作者へ一気に近づいてきた。

俳句は凝視から生れるものである。まさにこの一句は滝と真正面から向かい合うことで成したもの。他に(枯野人船出のごとく沖めざし)(寂しさにこぼす霜夜の砂時計)(百歳の帯を鳴かせて着衣始)など、対象に向かい合う作者が見えてくる作品が多い。第二句集『水明』 2014月8月 序句・上田日差子  跋・今野好江

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