友人と『竹取物語』を俳句に詠む試みをしていたが、どうも思うようにならない。午後になって思い立って平林寺に出かけた。あそこには見事な竹林があって、その脇を通る径があったことを思い出したからである。
平林寺の後ろの雑木林は第二次大戦中、国から畑にするように要請されたのを住職が必死に抵抗して守ったと聞いたことがある。それは、単なる林ではなく武蔵野の雑木林だったからである。
それを強く意識しているのは、地元新座市である。平林寺に近い市立の図書館の前には国木田独歩の銅像が立っている。独歩はそれをどんな風に書いていただろうか。
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昔の武蔵野は萱原かやはらのはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢ならの類たぐいで冬はことごとく落葉し、春は滴したたるばかりの新緑萌もえ出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞かすみに雨に月に風に霧にしぐれに雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈ていするその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。(国木田独歩著『武蔵野』)
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まー紅葉もないわけではなかったが、雑木林が全部赤くなったのは最近のことだと思う。こんなに紅葉がなかった以前には、平林寺はいつも閑散としていた。
庫裡のあたりも本堂にも足を踏み込めないように、工事用の冊が回らされていた。そうして、通りたいと思った竹林の脇の小径にも行けなくなっていた。