振り返ってみると、3月下旬の吟行を決めるときに、ちらほら桜が見られればいい、と言い合ったのだが、当日24日は殆どどこもかしこも満開になっていた。
ことに桜スポットのひとつである中野区の哲学堂の古木が見事だった。あの日は、期待していなかっただけに思わぬ贈り物を貰ったような気分だった。
あれ以来、さー、これから桜見物の日々だ、と張り切っていたのだが、今年の桜のなんと慌ただしかったことか。
咲き始めてから、2回も激しい嵐に見舞われた。こんなに荒れた春は初めてである。今はもう八重桜の時期である。
結局思いかえすと、やはり哲学堂の桜が、今年の唯一の桜見物だったことになる。ここの桜には思い出がある。小学校のときに担任の先生に連れられてきて、詩を書けと言われた。みんな小さな遠足のような気分でいたので、今度は吃驚したのだが、それからどうしたのだっただろう。
教室に帰ってから、先生が後ろの黒板一面に詩を書きはじめた。
春のお花見きてみれば そよ風吹いて花散るよ
私の書いたものだった。この後も「春のお花見来てみれば」を繰り返しながら、あたりの風景を書きとめたと記憶しているが、全然思い出せない。あれが人生の初吟行だったのである。
あらー! すばらしい思い出ですねー!!
ほんとに羨ましい。
じあんは可愛げのない子供だったので、毎年花が咲いて何が面白いんだろうと思っていました。
二十年ほど前に、自分の心臓の具合が悪くなったとき、初めて、毎年桜が咲くことも、桜を見られることも当たり前じゃないんだと、やーっと気がつきました。
四十歳もすぎてからです。
その後何十年も経って俳句というものを知ってから、
ホトトギス派の女性の句に「来てみれば***」に似たフレーズの俳句がありました。
哲学堂のなかの古い建物を句会場として借りられます。こんど、ご案内しますので、おっしゃってください。
東洋大学の創立者の作った哲学を考える場所でしたが、今は区立公園になっています。