帯文 神蔵 器
蟷螂の子にして揺らぎ進むなり
氷にも箒目のあるお寺かな
楮小屋氷柱を折つて入りけり
猪垣の内外雪の押し合へり
菊を折る音としばらく日溜りに
どの頁を開いても、身辺の微かな気配を掬い取っている視線が感じられた。それが、一集の好感度となっている。
帯文 神蔵 器
蟷螂の子にして揺らぎ進むなり
氷にも箒目のあるお寺かな
楮小屋氷柱を折つて入りけり
猪垣の内外雪の押し合へり
菊を折る音としばらく日溜りに
どの頁を開いても、身辺の微かな気配を掬い取っている視線が感じられた。それが、一集の好感度となっている。
新書版の句集は持ち歩くのに便利である。「馬酔木」「寒雷」を経て「毬」創刊主宰。
馬酔木のおだやかな自然諷詠に「寒雷」の人生諷詠が加わった作品集である。『夏風』というタイトルの表紙には小さな窓を配した装丁。それもまたシンプルで、作者の俳句姿勢や俳句の詠みぶりに重なる
避暑の椅子いつも遠くの見えてをり
長雨を眺めてゐたり業平忌
遅れずに来てやあと言ふクリスマス
雨一滴すみれの国に落ちてきし
空のある静かな村や鶏頭花
「俳句は型、型以外考えられない」という覚悟を持った作家。それがこの作者の基本となり、背骨でもある。
六道の辻に金魚の売られけり
春の風小さな鍋を使ひけり
ひとの子に手にこぼしやる螢かな
母の死のととのつてゆく雪の夜
夜神楽の闇が詰まつて来たりけり
引鴨をゆすぶつてゐる汀かな
大いなる夜桜に抱かれにゆく
二物衝撃が俳句の短詩形、ことに俳句を面白くする。踏切を越える金魚、海辺を通る金魚売りなど、やはり金魚売りはその背景にによって生かされる。ここでは六道の辻にいる金魚売り。そこで金魚を買い求める人々が只の人ではなくなるのだ。
二冊が一つの箱に収まった生涯の一書と言っても大袈裟ではない。所属していた『街』の主宰は――喜田進次は五十五年をかけて「喜田進次」を脱ごうとしていた。脱皮する痛みが言葉になった。 本書はついに此岸から飛び立った進次の羽化直前の連続カットである。――と書いている。1952年~2008年。55歳で没している。
おぼろ夜の動かざる水巨きかり
銀行の前がさびしき天の川
猫去つて畳の上に秋の海
粕汁や先祖ぞろぞろあるいて来たり
綿虫に石の大きな息ありぬ
年の市川を見て時計合はせをり
一編を通して、作者の志向や表現の質は統一している。後半の作品は理が濃くなっているが、全編を通して並々ならぬ独創性を求めようとする姿勢が見えてくる。
詩集は後書きによれば詩集のタイトル通り、最晩年の熱量高い独白である。
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