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2010年10月以前の「喜代子の折々
はホームページの旧喜代子の折々からも入れます。
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2010年10月以前の「喜代子の折々
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一読してこの一集は自身の生涯のすべてを盛り込んでいる、自叙伝のような形になっているように見える。
襟巻の師に許されし再入門
ふたりしてひとつ年とる切炬燵
母とならねば祖母とはならず涼し
こうした句が句集の中には随所に挿入されている。これはまた、後書きによっても裏づけがなされている。育った環境から安保の時代を経て、現在の結社「藍生」二十周年を迎える感慨が胸に沁みる文章だ。
全体では独特のリズムが一句の弾みを作り魅力を発揮している。
みんな過ぎふくろふの子の眼のふたつ
花惜しむ筵をのべてたそがれて
花満ちてゆく鈴の音の湧くやうに
いちじくを思えば深い井戸である
人形を起していると牡丹雪
眉はまた眉を誘って盆の市
宮殿に大きな紙や雪催
屈身の前後左右に蝶生まれ
選び出したというのではないが、何処を切り取っても思わぬ着地に、思わぬ展開に驚く。それでいて、納得してしまう着地であり展開である。その面白さに何回も同じページを繰ってしまう。
2010年刊 ふらんす堂
句集と俳論の二冊が一つの箱におさまり、真摯な姿勢を見せた作品。
菖蒲湯に鰐の眼をして沈みゐる
題名はこの句から取られたようだ。自画像なのか、他の人なのか。水面すれすれに置かれた人の眼を鰐と喩えることで、一句は存在感をおおきくしているだろう。
俳人協会系の「未来図」と現代俳句協会系の「歯車」の振幅を生かした句作りが出来る力量を持っているように思う。
牙のごと氷柱育ててをんな老ゆ
滅ぶこと水にもありぬ蓮の骨
梟が伏字のやうな声を出す
冬の日がひよこのやうに手のひらに
去年今年兎のやうな耳垂れて
「ごとく」「やうな」の句が目立つのは、表現への意識の強さかもしれない。
「狩」同人の第四句集
金閣の金取りに来る金亀子
秘することありてふくらむ螢草
月の夜の徘徊せんと月夜茸
やがて顔ほてりてきたる炉辺話
ひと騒ぎして飛び立てり鵙日和
炎天に穴掘りゐしが埋め戻す
前半は対象物の背景を想像力で膨らませて提示した作品が並び、後半は理智的な視点によって描いていて変化のある句集
ダイヤルを回す記憶や夜鷹鳴く
青雲のことなどしばし暖炉燃ゆ
受付に梅雨の鯰の来てをりぬ
二の腕の記憶辿りし朧月
霜の花夢の階段磨きをり
ラビリンス靑き乳房とポピー揺る
紫陽花や白磁の皿にパスタ盛る
偶像を砕きし夏の鏃かな
第一章は音楽に造詣の深い作者の本領を発揮している集積のようである。残念ながら、その音楽に無知な筆者には、その後の作品から選ぶ句が多かった。
一句目の「ダイヤルを」の作品は指でダイヤルを回しながら、次の番号をを指が覚えているかのようにダイヤル回されてゆく夜であるが、そこから非日常へと誘われる。このように、どの作品もその背景の物語へ誘うものがある。
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