2011年5月26日 のアーカイブ

高下なおこ第二句集『虹二重』2011年・本阿弥書店

2011年5月26日 木曜日

  堂内に打ち水己が心にも
  花とべら天の鳥船待つ浜辺
  燕の子改札口を見下ろして
  急磴はそのまま天へ木の芽風
  一枚の鋼となりて鷹渡る
  たぶたぶと船底たたく秋の水

昭和14年生れの「太陽」編集長である。作者は「太陽」の創刊の広島県三原で生れている。三原は尾道に近い瀬戸内海際のおだやかな土地である。句集『二重虹』はその空気を盛り込んだ作品集で、どの一句を取り出しても広々とした空を感じる。気が付いたら、屋内の句は見当たらなかった。

務中昌巳著 『俳句セラピー』2011年・北溟社

2011年5月26日 木曜日

「太陽」主宰のエッセイ集。医学博士でもある務中氏が毎月「太陽」に発表していたエッセイ集である。文学者の視線に医学者としての視線を加えた内容は、いずれも精神衛生的なもの。それは務中氏の人生論でもあるのだろう。

「秋茄子夜話」では、癌予防の効果のあるものを挙げながら、「秋茄子は俳人に食わせろ」で終わる。ユーモアーに溢れた滋味ある中身である。読んでいくうちに肩のコリがほぐれていきそうだ。

「かだらは文化である」の中にはーーそもそもからだの「から」は「からっぽのから」、そうかんがえていくと気が楽になり、体そのものが癒されていくような気がするーーには思わず頷いている。

ときどき、自分に合う調合薬を探すように読めばいいのではないかと思う。

宇多喜代子第六句集『記憶』 2011年 角川学芸出版

2011年5月26日 木曜日

  寒卵年寄りはまた年をとる
  入口から出口の牡丹雪を見る
  お天道様が熊野大社の蛇に
  水音にどこまでも沿う裘
  八月の赤子はいつも宙を蹴る
  百歳の話にまたも山桜
  冬の雁ひととき羽を疊みけり
  おのずから定員のあり花筵
  今生の目玉をのこす雪兎
  夏ぐれの鳳凰木の下に立つ

俳句の場合、年輪とは諧謔を加えていくことのように思える。そうして諧謔とは精神のゆとりではないだろうか。『記憶』にはそれをことに認識させられるような気がした。

松永浮堂第四句集『遊水』 2011年 角川書店

2011年5月26日 木曜日

  ころがつて小さくなりぬ毛糸玉
  教壇の夢より覚めて冬ごもり
  渦避けて渦に近づく渦見船
  団栗を拾ひ集めて捨てておく
  くべ足して煙の重くなる焚火
  日の中に落ちてとどまる椿かな

昭和31年生れ・俳人協会新人賞受賞者。所属結社『浮野』創刊に参加したのが20歳ごろのようだから、純粋な落合水尾門下。一句目の(ころがつて)の省略の方法。(教壇)の生活感、(どんぐり)の周囲への機微。(くべ足して)の感覚。(日の中の)描写力。何れも写生方法が無理な言葉で力まない好句集である。

三吉みどり第一句集『花の雨』2011年・角川マーケティング

2011年5月26日 木曜日

  草餅やときどき今も兄妹
  日傘にもかかるイルカの水しぶき
  ねむたさの浜昼顔に船を待つ
  ほのぬくき子供の頭小鳥来る
  葉の裏に冬の虻ゐてまんまるに
  風が吹く冬たんぽぽのあたりかな

序文を片山由美子氏、跋を岸本尚毅氏が書いているところをみると、句座にも恵まれているのかもしれない。日常のさりげない風景が作品化されると、不思議な空間を作り出す。

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