2011年12月9日 のアーカイブ

雑誌

2011年12月9日 金曜日

朝から霙。晴れていれば明日は皆既月蝕が見られる筈なのだが。昨日思わず雑誌の話しに入ったので、続きを書いておくことにする。俳句雑誌の同人誌というのは何が理想かは、決め難い。しかし個々の中には理想がある筈である。本当は「ににん」の形が理想とは思っていない。ただ発表の場があるだけでは詰らないと思い、辛うじて文章は評論なら誰でも、そして俳句作品は編集の企画に添ったものなら誰でも、という縛りを入れて、特別企画の場で雑誌の方向を留めている。

しかし、もっと理想を言うなら全体が一つのテーマで毎号書いてゆく、というのがいい。この理想に近い雑誌が今のところ「船団」しかみあたらない。ここでは毎号編集で企画したテーマに沿った文章が載る。以前「子規の食べ物」特集のようなものがあったが、とても面白かった。まさに同人誌の結集力を発揮していた。

今「ににん」の特徴は俳句を作る場の共有である。これは吟行だったり句会場だったりしても、その集まりの場に入ると俳句が出来るような錯覚が出るほど、そこで俳句が生れる。私の「硝子の仲間」「嘘のやう影のやう」はほとんどその工房で造られたようなもの。これは多分みんなが感じていることだと思う。座の空気が俳句を作り、集中度を作る。いまのところ、それが一番の宝である。

編集後記に結社は城のようなもので、同人誌は家のようなものだと書いたことがある。そうして「ににん」は公園のようなものだと書いた覚えがある。公園だから誰も自由に出入り出来るとも書いた。その関わり方は、ちょっと覗く人、通りすがりの人、一日中遊んでいる人と様々だ。事実「ににん」には他の結社に拠りながら句会を何年も通ってきているひとも幾人かいる。その解放感を持ち続けていきたい。

そのかわりに縦構造の人脈はない。すべて言うなれば「一視同人」である。この事を間違えて、「自分は句歴や作品の質も突出している俳壇で認められている作家で、みんなとは違うのだ」という意識を持ったら「ににん」には相応しくない。

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