2014年7月20日 のアーカイブ

武田肇句集『同異論』  2014年  銅林社

2014年7月20日 日曜日

タイトル同異論については「解題」としてことばが尽くされている。要約すれば、視覚から詠む俳句は同時に複数句が成り立つ、という。ということで、句集の一ページの二句は、臍を一つにしている。二句一章ではなく二句一身の作品群が一集を成している。これはいかにも詩人らしい論である。

鐡をうち春を槌つなり山の人
鐡のごと春は槌たれて耗りゆけり

花人も花も遅れて咲きに来る
花と人遅れて逢ふや枝の尖

ニヒリズム咲かぬ櫻と来ぬ人と
ニヒリズム春の眞裏に花と人

二句一身とは、実際の作品を示してしまったほうがわかり易い。
連作とも違うのである。これも試みの句集である。

遠山陽子第五句集『弦響』  2014年6月   角川学芸出版

2014年7月20日 日曜日

地吹雪のかなたの桜吹雪かな
なにもせぬ耳たぶ二つ薄原
鮟鱇か虎魚か父を忘れをり
福袋白鳥の子が出てきたる
少し転げ卵の中は春の海
蛇の衣湖すこし流れをり
滝見上げをり夫婦でもなさそうな
立ち上がるものに馬の子みちのくは
曳かれくる鯨笑つて楽器となる     敏雄
夏の夜のグランドピアノ鯨となる    陽子

太陽や目にいつぱいの暗い事態(チエルノブイリ)  敏雄
収束不能(フクシマ)を敏雄は知らず敏雄の忌      陽子

自選十句には(老人になるまで育ち初あられ)(生枯れの我枯れの足の中)(よき十年なりき仰げば松ノ花)など、人生の凝視の姿勢が感じられる。大冊の評伝『三橋敏雄』を書き上げた達成感とその月日の充実感が一集に漲っている。そうした中で、師、三橋敏雄のへのオマージュとしての反歌のような試みにも惹かれた。

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