色紙を百枚そのまま本にした、という感じだ。一頁に一句という句集もたくさんある。一句ならこんな風に色紙でもいいのではないかと思ったりしながら、あっと言う間に読み終える。一句は坪内さんにしては情緒的な作品だが、鬼百合を詠むのが坪内さんであり、今日ではなく明日の空だとするのが坪内流なのかもしれない。
『坪内捻典自筆百句』2016年 沖積舎より
2016年3月12日 のアーカイブ
鬼百合がしんしんとゆく明日の空 坪内捻典
2016年3月12日 土曜日馬に生れ馬に死にたる朧かな 高橋比呂子
2016年3月12日 土曜日一生を言い留めること、振り返ることを、どれだけの人が繰り返しているか。そんなことがたったの17文字に託せると知ったときに、俳句はやはり凄いなーと思う。他にも、(干鱈の一年分は窮屈なり)(日蝕やああ太古よりにがよもぎ)(夏薊そしてみんなやさしあつた)などにも言える。
高橋さんの句には掲載句のような人生の深遠を見詰める句がおおいが、その表現方法は言葉の感覚を駆使した象徴性にある。(砂の聖書ふくろうの火であり)(脳天に美童あふれし冬の地震)(砂の聖書ふくろうの火であり)など。
第四句集『つがるからつゆいり』 2016年 文学の森
雨あとの今朝は大きな梅日和 関口恭代
2016年3月12日 土曜日一句はひとえに(今朝は大きな梅日和)にある。逆にどこかに小さな梅日和もあるのかと、思いを寄せてしまうのだが、(大きな)が梅日和の明るさや日差しや花の白さに輪郭を作っている。
「関口恭代九句集『冬帽子』2016年(株)ウエップ」。他に(高層の窓は灯の海大石忌)(ステテコの人黒飴のにおひせり)(むかご蔓あの日のやうに引き寄せる)(野菊晴れ八十路の坂は日々発見)
啓蟄の空ずぶぬれになりにけり 川村五子
2016年3月12日 土曜日啓蟄と言う季語は意味としては理解するのだが、映像的に思い浮かべようとするると漠々とした気分のみが浮かび上がる。広辞苑の解説の最後に驚蟄という言葉があった。このほうが具体的にイメージできそうな気がする。
(空ずぶぬれ)ということばに託した啓蟄の日の空気がここには言い留められている。雨は空から降ってくるものなのだが、なぜか雨が空まで濡らしたという措辞に置き換わって伝わってくる。
「句集『逞しき空』2015年 角川書店」には(敗荷や空の一片はがれ落つ)(盃の月の光を飲みほせり)(蝌蚪の紐ぐらりと関東平野かな)(十月桜行きどころなく佇ちつくす)(鳥の恋空逞しくなりにけり)など、空の句が多い。