2015年1月5日 のアーカイブ

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」ーー原石鼎の憧憬』 邑書林  

2015年1月5日 月曜日

受贈誌紹介  筆者・河村 正浩

岩淵喜代子「ににん」代表の評伝『頂上の石鼎』に続く原石鼎の研究所である。大正六年、高浜虚子によって世間の脚光をあびた原石鼎は俳壇から消えるのも早かった。病弱でもあり晩年の動向はあまり知られていない。その石鼎について調べるうちに、石鼎にのみ読ませるために造られた「鹿火屋」が二冊(昭和十六年十月号、昭和十七年一月号)著者の手許に届いた。

つまり一般用配布とは別に石鼎のための「鹿火屋」が活版印刷で作られていたのである。本書はこの二冊の「鹿火屋」を中心に三部構成となっている。古野時代、代表句ともいうべき(頂上や殊に野菊の吹かれ居り)の背景など。

又、石鼎が出雲生まれであることから、神との交感、記紀への関心を伺わせる句から郷土信仰へと言及されている。この二冊の「鹿火屋」が実物と共に復刻掲載されている。更に寺本喜徳、土岐光一、岩淵喜代子三氏の鼎談も掲載されており興味はつきない。

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」ーー原石鼎の憧憬』 邑書林   

2015年1月5日 月曜日

『椎』2015年1月号

書架光彩56  筆者・戸塚 きゑ

頂上や殊に野菊の吹かれ居り
淋しさにまた銅鋸うつや鹿火屋守
秋風や模様の違ふ皿二つ

多くの名句を残した原石鼎(明治一九〜昭和二六)は、出雲市生まれ。中学の時新任教師で子規門の俳人竹村秋竹の影響を受け俳句を始めた。京都医専に行くも文学との葛藤で中退。深吉野で医院を営む兄の手伝いをしながら吉野詠をホトトギスヘ投句、虚子から激賞された。

大正四年ホトトギスに入社し俳旬に専念、大正俳壇の雄となった。しかし、二年で退社。同十年「鹿火屋」を創刊し主宰。同十二年頃から精神も健康も不安定となり、やがて隠棲生活に入る。

石鼎には神の句が多いが、それは出雲への郷土信仰による。神を強く意識し執筆欲ばかりが旺盛になっていった。神に憧れ、呆ては神そのものの世界へ紛れ込んでいく石鼎。「鹿火屋」の編集部は、思うまま書かせ、それを発表する場として石鼎だけに見せる『鹿火屋』を造本した。昭和十六年十月号と十七年一月号の二冊である。

筆者は、この二冊の復刻版を掲載し一般用との違いを克明に考察している。また深吉野時代の句群や神を詠んだ句の背景等も詳らかに記述してあり、内容が濃く読み応えがある。石鼎の知られざる部分を解明した貴重な一書である。

誰へともなく買ふハガキ涼しかり   岩淵喜代子

2015年1月5日 月曜日

手軽な文通の素材たる「ハガキ」である。時として、「誰へ」と言う当てが無くてもハガキを購入するもの。人との交わりは、ハガキ一枚がきっかけの場合もあり得るのだ。表裏に記載の無いハガキも「涼し」気である。(鑑賞・平田雄公子   「松の花」  平成二七年一月号  現代俳句管見 (191))

●「ににん」2014年夏号 55号〈季刊〉

2015年1月5日 月曜日

『太陽』平成二六年十二月号
他誌拝見       筆者・迫口あき 

平成十二年秋、埼玉県朝霞市にて岩淵喜代子氏により創刊。代表岩淵喜代子。師系原 裕。「同人誌の気概」ということを追求していきたいと。

氏は『評伝 頂上の石鼎』から四年後、『原石鼎の憧憬― 二冊の「鹿火屋」』を出版された。「ににん」では毎号兼題による作品集「ににん集」と自由題による「さざん集」の二集が設けられている。今号には別に佃島盆踊各十二句も。

代表の句五句を
上げ潮や更けて膨るる踊の輪    岩淵喜代子
踊の輪ときに解かれて海匂ふ
踊櫓古老は牙のごとくたつ
昼寝覚め尾のあることを思ひ出す
竹夫人抱くは胸を冷やすため

潮も満ち、月は中天に。「膨るる」に月光の海原と盆踊の高揚とが寸分の隙なく伝わってくる。一息入れ、輪を解いて休む踊り手。海からの風が潮の匂いを運んでくる。海の向こうには補陀落があるという。

そこからの匂いとも。極楽からも地獄からも盆には帰つてくる精霊.なれば称え迎え慰めるのが盆踊である。櫓の頂上で錆び錆びと唄う古老。背筋もぴんと張り揺るぎない姿勢cそれを「牙のごとく」と喩えられた比喩の的確さに魅了される。

昼寝覚めの半覚醒のまま、自分の有り様が掴み難いことがある。尾のあつた古代の国栖人か、カンブリア紀の生き物か。昼寝覚めの茫洋として異界のものになつた気分には大いに共感を覚える。胸中の炎を鎮め難いことがある。竹夫人を抱いてあの籠の中に吸い取らせよう。

同人の作品より

シネマ出て鯰のごとき笑み浮かぶ    高橋寛治
花曇文末さりげなくやさし     大豆生田伴子
竜の巣と確信したり積乱雲      木佐梨乃
ラムネのむ瓶の底より空が見え    服部さやか
鳥麦熟れて口笛吹く少女       浜田はるみ

「鯰のごとき笑み」とは思わず「瓢箪鯰」の謂いを思った。可か不可か、気になるなあなどにたりとされている顔と心。さりげないやさしさは嬉しく、心にしみる。積乱雲、今年の異常気象にはぴたり。悪竜の棲む雲である。入道雲は優しくおだやか。ラムネの瓶の底の青緑色は夏空の色。

金色に熟れた烏麦畑。口笛を吹く少女、ヨーロツパ風の恋の景色。新鮮で晴れやか。表紙には子規庵のスケツチ。ガラス戸越の糸瓜だなと子規愛用の机、筆皿、句帖など達者に描かれている。

「ににん」には高橋寛治、田中庸介、正津勉の三氏による連載評論があり、沢山の示唆を頂いた。

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