2011年3月2日 のアーカイブ

島田牙城句集『誤植』2011年2月 邑書林刊

2011年3月2日 水曜日

肘掛に人を忘れてゐる人よ
夕方をさみしくなりぬ男の手
ひきつづき虚子の御恩や栗笑まふ
われからを見定めてより妻に色
地球儀のお尻に螺子や紋黄蝶

俳句の本領が余韻にあることを思い出させる句集である。しかし、本来余韻とはその描写された光景から湧きあがる余情である。しかし、この一集の余韻とはそれとは少し違うように思える。言い放ったそこからの空間を提示している。

一句目の「肘掛」にしても、作者の描写している位置から別の次元を視差している。だから、読み手はそこに書かれている光景の外側に視点を浮遊させることになる。それは2句目にも言える。多分、作者は俳句という形式と付き合いながら、それを越える形式を探っているのだと思う。

大竹多可志著『自転車でゆく「奥の細道」逆まわり

2011年3月2日 水曜日

 2011年2月 東京四季出版刊

この一書は自転車で奥の細道を辿った記録である。定年になって実行してみたいと願っていたことを行動に移したようだ。逆順だからもちろん大垣。二回目は夜行バスで、折畳自転車を携えて敦賀に行きそこから出発している。

芭蕉には忍者説があるが、大竹氏は忍者は曾良ではなかったかと考えたりして愉しそうな旅が書き込まれている。わたしも、曾良がたびたび芭蕉と別行動をとるのが不審であったが、忍者説があれば、謎を埋められる発展も・・。こうした旅が出来るのも大竹氏の親しみ易い性格が助けているだろう。

『俳句四季』3月号

2011年3月2日 水曜日

 

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