2011年3月17日 のアーカイブ

春の地震6(東日本大震災)

2011年3月17日 木曜日

きのう東北関東大地震と書いたが、呼び名が「東日本大震災」とも呼ばれているようだ。仙台の娘一家はようやく落ち着いたようだが、その落ち着きは電話が開通しての第一報で「長期戦覚悟」と結んでいるその覚悟から生まれた落ち着きなのだろう。

品物は送れない、駈けつける手段もないとすればとりあえずは銀行振り込みの送金でも何かの元気をつける足しにはなるだろうと思った。その話をしたら連れ合いも負けまいばかりに私の送金の何倍もの金額を明日送ると言う。確かにいくらあっても足りないだろう。まずは仕事が軌道になかなか乗らないと思うからだ。

毎日新聞夕刊には地震発生数日後から仙台在住作家・熊谷達也氏の大震災日記が紙面の4分の一位を占めて書き込まれている。ガソリンを買うために6時間並んだとか、スーパーマーケットのはしごでトイレットペーパーや風邪薬を求める話や水の確保方法などが記録されている。その合間に散乱した家の中の片づけをしているなどという記事。大方は同じ仙台に住む娘一家と同じようなパターンである。

この手記のなかで「ーーどうしても気になっていることがある。今回の地震が発生する2日前、3月9日の午前11時45分ごろに、今回とほぼ同じ位置を震源地とする、最大震度5弱、M7・3の地震が起きて、仙台もかなり揺れた。宮城県と岩手県の沿岸部では最大60センチの津波が観測されている。ーー」とある箇所は大いに私も気になるところである。

今日のテレビは福島原発の消火経過の実況中継のようなもので、スイッチをいれるたびに原発の焼け爛れたような写真が現れた。同じ毎日新聞には、原発が怖いと5家族19人が当てもなく南下して加須で助けられたという話。もっと遠くの出雲まで避難した2家族がいた。一人は火災の原発関係会社にいたらしい。だから、原発の怖さを一般より知っているのかも知れない。

携帯が、午後21:32分に千葉東方沖の緊急地震速報を伝えてきた。コートを来て身構えていたが揺れは感じなかった。これからやって来るのかも知れないと見回していたが天井から下がっている火災報知機の紐も揺れていないのはむしろ不気味だった。テレビは各地の地震速報を流しはじめていた。埼玉は震度3くらい。

いつまでもコートを来て突っ立っているわたしに連れ合いは揺れてないよというのだが、揺れているものを発見した。隣室の和室に吊ってある等身大の大鏡がゆらゆらしていた。エアコンの風がいくわけでもなく、無人の部屋の鏡はいつまでも規則正しく揺れていた。その鏡を手で押さえて揺れを止めてみたが、手を離すと揺れていた。その鏡が人に感じない揺れを一番敏感に察知することを知った。

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