島田牙城句集『誤植』2011年2月 邑書林刊

肘掛に人を忘れてゐる人よ
夕方をさみしくなりぬ男の手
ひきつづき虚子の御恩や栗笑まふ
われからを見定めてより妻に色
地球儀のお尻に螺子や紋黄蝶

俳句の本領が余韻にあることを思い出させる句集である。しかし、本来余韻とはその描写された光景から湧きあがる余情である。しかし、この一集の余韻とはそれとは少し違うように思える。言い放ったそこからの空間を提示している。

一句目の「肘掛」にしても、作者の描写している位置から別の次元を視差している。だから、読み手はそこに書かれている光景の外側に視点を浮遊させることになる。それは2句目にも言える。多分、作者は俳句という形式と付き合いながら、それを越える形式を探っているのだと思う。

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