B子の母親の葬儀も終わって、娘一家が帰えることなった。朝食後買い物してから帰ると言いだした。今までは仙台のほうが何かと豊富な食材があって、埼玉の我が家に来るときには珍しい野菜を車に積んできていたが、今回は全く逆だった。一昨日、昨日とスーパーに一緒についてきて、こちらのほうが豊富な食材があることを知ったのだろう。
特に今日は日曜の朝市がスーパーの空地で開催されていたので、なおさらその豊富さを感じたようだ。値段もぜんぜん安い、という。途中のガソリンスタンドには15,6台の車が並んでいた。「あら並んでいるわ」というと「あんなのぜんぜん平気、すぐ番が来るから」と驚かない。とりあえず、みんな日常生活は戻りつつあるようだが、次女は5月にならないと学校の再開のめどがたたないようで、ボランテアに行くそうだ。
このボランテアも誰でも出来るとは限らない。避難所まで自力で行ける人しか、お手伝いも出来ないのである。とりあえず次女は自分の車があるので、避難所へ行けるらしい。そこで、何処で手が必要なのかの指示を受けて、いろいろな場所へ行くらしい。最初の日はお年寄り一人で住んでいる家の倒れた家具や散乱した品物の片づけをしたようだ。
帰るために荷物を車に詰め込んでいると、仙台に住んでいることを知っているご近所の人が「大丈夫だった」と声をかけてきた。それにしても、娘の車は旅行のことも考えていつも四輪駆動の8人乗り。以前の車トヨタアルファードも乗りこむのに大変だったが、今度の買い替えた車はもっと乗り込むにに大変。
今や津波被害のことより原子炉事故がすべてのニュース場面を占めている。福島原子炉勤務の東電社員の苦悩もある。家族は津波に呑まれてしまっているが、その確認をすることも出来ないようだ。片やプロ野球のナイター自粛で、さまざまな分野の混乱困惑もある。たしかに、野球に限らず映画演劇は無用の長物かもしれない。そう言っていろいろなものを自粛していたら、国民全部がおろおろ無聊な日々を過ごさなければいけなくなる。