現代俳句鑑賞 筆者 中川康多
蝌蚪の国日の出日の入り響きけり 岩淵喜代子
「俳壇」6月号
作品は「葦舟」の中の一句。蝌蚪には蝌蚪の国があって、その中にもそれぞれ日の出、日の入りがある。その度にさまざまの音を発し響いているのである。作者のユニークな見方に、大いに勉強させあっれる。
現代俳句鑑賞 筆者 中川康多
蝌蚪の国日の出日の入り響きけり 岩淵喜代子
「俳壇」6月号
作品は「葦舟」の中の一句。蝌蚪には蝌蚪の国があって、その中にもそれぞれ日の出、日の入りがある。その度にさまざまの音を発し響いているのである。作者のユニークな見方に、大いに勉強させあっれる。
鳥居三郎主宰の『雲』八月号を見ていたら、「巨大な龍蛇が登場する 脚折雨乞」の吟行案内が出ていた。それで、十年以上前に見たその行事のことを思い出した。我家の最寄り駅から30分程乗る場所である。四年に一度の行事では、何をさておいても見てみたいと思った。急な思いつきで、声をかけた人のほとんどは予定が入っていたので、若葉駅に集まったのは三人。
一人でも行こうと思っていたので、心強い同行者がいて助かった。以前見たときも暑かったが、今日も特別暑い日だった。若葉駅には待合わせらしい人が大勢いた。もしかしたら「雲」の方たちかも知れない。本当は雨乞い神事は一時から始まっていたが、そんな早くから現場に行って日射病にでもなったら大変である。先ずは昼食を食べて、ゆっくり体も冷してから行列の通過する牛小屋のあるあたりから見始めることにした。
以前と変わらぬ場所に乳牛がいた。小屋の中にも十頭以上の牛が繋がれていて、子牛も居た。ふと奥に目をやると、まだ濡れていて、地面にぐにゃりとへばりついているような黒牛がいた。直前に生まれたのだと思う。四年に一度の雨乞神事に出掛けているらしく人影はなかった。神事の最後は雷電(かんだち)池。麦わらで形作った龍に熊笹を挿した、全長36メートルの巨大な龍を写真に収めるのは大変だった。なにしろ池を囲む見物人は、何時間も前からシートを敷いて待っていたらしい。人垣の切れているところをやっと探して一枚撮ることが出来た。
句集鑑賞 筆者石井洽子
岩淵喜代子著『白雁』
万の鳥帰り一羽の白雁も
この句を句集名とされる「ににん」代表の著者の308句を収める第五句集である。
幻をかたちにすれば白魚に
月光の届かぬ部屋に寝まるなり
「句作りは等身大の自分を後追いせずに自分を抜け出すための手段」であり「切に自分を変える旅がしたい」と。
花ミモザ地上の船は錆こぼす
空の海にミモザの大枝が船となりゆらゆらと撓っている。たしかにその黄色は錆色を含んでいる。
十二使徒のあとに加はれ葱坊主
伸びた葱坊主と十二使徒。この視線にある愛しみとやさしさ。
一生の幸とは花びら積もるやう
積もった花びらの隙間の柔らかな空気。あくまでも透明な軽さ。本当にそんな一生でありたい。「憧れ」を追う旅がしたいという著者の今を一冊にしたこの本は読者の胸底に落ちいつまでも共鳴する。そして風の道を歩むことの豊かさを改めて思う。
現代俳句月評 筆者 高御堂季男
俳壇6月号「蘆舟」より
蜜豆や出雲八重垣妻籠めに 岩淵喜代子
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」と、神代の昔、須佐之男命は愛しい人に詠った。「貴女を籠らせるために私は美しい八重垣を作りますよ」という意味である。掲句は「八雲立つ」が「蜜豆」に置きかえられている。それは「私には蜜豆があれば幸せですよ」という諧謔味のある意にもとれる。しかし、さらに深く読むと、ここには作者の奥深い思いが込められているように思える。それは、美しく涼しげな「蜜豆」に寄せた昔日のあれこれである。
遠交近交 筆者 塩野谷 仁
万の鳥帰り一羽の白雁も 岩淵喜代子
『白雁』(角川平成俳句叢書38)は氏の第五句集。308句を収める。句集名は掲句から採ったとあとがきにある。「一羽の白雁」のあざやかな残影が心に沁みる。このこと、清水哲男氏が帯文でこう語っていた。「万の人間の一人として万の鳥の一羽を詠む。等身大の人生から、ユーモアの歩幅とペーソスの歩速で抜け出してはまた、岩淵喜代子は地上の船に還ってくる。」
作者の句作の全容を語ることばでもある。
化けるなら泰山木の花の中
螢から螢こぼるるときもあり
折鶴に息を吹き込む夏休
鬼の子や昼とは夜を待つ時間
まるごとがいのちなのかも海鼠とは
作者の「あとがき」が心を打つ。「書くことは(生きざま)を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。句集作りは今の自分を抜け出すための手段」だと記していた。留めて置きたい言葉でもある。そんな作者の、句集の後半から共鳴作のいくつか。
幻をかたちにすれば白魚に
雲雀には穴のやうなる潦
青空の雲雀は海へゆきたがらず
現代俳句管見(162) 筆者平田雄公子
総合誌「俳壇」巻頭の10句欄から
蘆牙や声かけるとて振りむけり 岩淵喜代子
「蘆牙」=春先の水辺に、誇らかに新芽を伸ばす蘆。そして、その発見をすかさず後続の人に、「声」をかけるため「振りむ」く人。詩情纏綿にして、春らしく弾んだ、二段切れを意に介さない、句。
読書日記 小西昭夫
某月某日 岩淵喜代子句集『白雁』を読む
「句集作りは、今の自分を抜け出すための手段のような気がしてきました」と書く岩淵さんの第五句集。この句集の上質なユーモアに感心した。
七曜のまたはじめから冷素麺
大足の人も虫干ししてゐたり
十二使徒のあとに加はれ葱坊主
恋猫のために踏切上りたる
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