2012年8月31日 のアーカイブ

『天頂』2012年9月号 主宰・波戸岡旭

2012年8月31日 金曜日

句集紹介  筆者 村越陽一

『白雁』 岩淵喜代子

湖に夏満月をそだてをり
雛あられ食べる作法のみつからず
蜃気楼眼鏡が役にたたぬなり
決闘の足取りで来る鷹匠は
くれないゐを品格として薩摩芋
円卓のどこも正面虎落笛
牧開くとて一本の杭を抜く

 読後感の印象は、月下独酌の感。このままどこかに運ばれてゆかれそうな浮遊感を覚えた。句集名は〈万の鳥帰り一羽の白雁も〉の句から。作者は、「あとがき」に、加藤楸邨、坪内稔典・原石鼎らの作法を取り上げつつ、「書くことは、「生きざま」を残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。句集作りは今の自分を抜け出すためのような気もしてきました。」と独白の俳句観を示しておられる。

耳飾り外す真夜にも海猫啼けり
病葉も踏めば音して哲学科
大花野越えきて襁褓まだとれぬ
杉花粉情報刻々子持鯊
雪女郎来る白墨の折れやすく
蟻地獄どこかで子供泣いてゐる

また、次のような特異な季語を使われているのが散見、印象的であった。浮塵子、海雀、アメリカ白灯蛾、白茯苓茸など。
 句集の掉尾は「東日本大震災」の前書きを置いて

青空の他は子猫の三つ巴

『雲云』 2012年秋号 主宰・山本千代子

2012年8月31日 金曜日

恵贈の書籍      筆者山本千代子

岩淵喜代子句集『白雁』

同人誌「ににん」代表の第5句集である。「あとがき」によると、句集名は次の句からとったという。

万の鳥帰り一羽の白雁も

 白雁の姿は美しいが、余り日本には渡ってこない。他の雁や小白鳥にまじってまれに渡ってくる孤高の鳥である。作者は「今の自分を抜け出す・・・」「自分を変える度をしたい・・・・」とあとがきに述べているが、掲句はその心中の表白なのだろう。

鷺消えて紙の折目の戻らざる
なめくぢり昨日と今日の境なく
天の川鹿にかすかな斑の名残
幻を形にすれば白魚に

『いには』2012年9月号 主宰・村上喜代子

2012年8月31日 金曜日

受贈誌紹介  筆者 竹下喜代子
岩淵喜代子句集『白雁』

『耕』2012年9月号 主宰・加藤耕子

2012年8月31日 金曜日

句集紹介 藤島咲子
 岩淵喜代子句集『白雁』について

『百磴』2012年9月号 主宰・雨宮きぬよ

2012年8月31日 金曜日

現代俳句鑑賞    筆者  小岩 浩子

  藁屋根の藁の切口夏燕         
  晩年は今かもしれず牛蛙
  着水の雁一羽づつ闇になる

岩淵喜代子句集『白雁』角川書店刊
 二〇〇八年に上梓した第四句集『嘘のやう影のやう』に次ぐ第五句集で三〇八句が収められている。
  加藤楸邨、坪内稔典の晩年の作風を例にあげ、「等身大の自分を後追いしても仕方なく、句集作りは今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました」と綴られている。
 一句目、最近は特に保存された地区でもないとなかなか目にすることが出来なくなったが、どっしりと厚みのある藁屋根の軒の切り口の潔さは見事と言うほかは無い。折しも周辺の植田に影を写して燕が飛び交っているのだろう。日本の原風景とも言えるような落ち着いた気持の良い景が広がる。
 二句目、この世に生を受けたもの、誰しも年を重ね晩年に達するのだ。けれど自らの晩年は未だ先と思いたい。腹の底を抉るような牛蛙の声を聞いた瞬間、突然今が将に晩年かもしれないと感じたのであろう。中七の表現に同したじろぎを憶えた筆者である、
 三句、雁や鴨類の着水は降り立つというより落ちてしまったのかと思えるように無様な気がするが次の瞬同平然としているのも面白い。涼やかな風に促されるように数羽の雁が塒の水場へ下りてくる。一瞬上がる水音、そしてそのまま姿は見えなくなるのだ。下五の表現から雁の着水様子と周辺の静けさ、迫り来る夕闇の深さを彷彿する。
 日々の生活の場から少し問を置いたように感じられる作品はご自身の言われる「自分を変える旅」の先々に作者が見詰めようとしているものなのかもしれない。   「ににん」代表

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