2012年7月 のアーカイブ

『俳句四季』七夕まつり

2012年7月7日 土曜日

120707_1810~01
「俳句四季賞」の受賞式の行われるのは、いつもこの七夕まつり。あいにくの雨だったが、席は満員、懇親会もいつもよりはたくさんの顔ぶれが集まっていたような気がする。「角川」9月号に句集「白雁」総論を書いて下さる原雅子さんには真っ先に出会えた。ににんへの「白雁」評をお願いしてある安西篤氏にもお目にかかることが出来た。先日千葉の螢情報の資料を頂いた井上弘美さんにもお目にかかれた。

最後に偶然出会ったのが、いつもその俳句が気になり、魅かれている女流俳人二人だった。三人で話しこんでいるうちに句会をしようという話に発展した。只作って作ってつくりきるしか生き方はないと観念している人たちだ。この句会の収穫は、七夕が作ってくれたのかもしれない。

春耕」2012年6月号 主宰・棚山波朗

2012年7月7日 土曜日

岩淵喜代子句集『白雁』鑑賞   蟇目良雨

朝寝して砂漠の端にいるごとし    句集『白雁」より

 朝寝の好きな私は夢の中から見て来たものを引きづり出してやろうといつも挑戦するのであるが、さっきまではっきりと見て夢の内容は、目が覚めてしまえば殆んど忘れてしまうものである。たまに戦利品を直ぐにメモしていくつかが私の日記に残っているが実につまらないものが多い。
 掲句は作者が朝寝のときの光景を述べているのであるが、明らかに夢の内容に言及したものである。作者はたぶん夢の中で砂漠に遊んだ筈であるが、そうした夢の記憶は定かでなくなり、気がつけば砂漠の端に取り残されていたというのが句の意味であると思う。茫々と曖昧な夢の中身はまさに砂漠の端に居るような、取り残された感じなのである。

『軸』 2012年7月号 主宰・秋尾 敏

2012年7月7日 土曜日

新刊紹介    筆者 表ひろ

句集「白雁」  岩淵喜代子著

今生の蛍は声を持たざりし
鷺消えて紙の折目は戻らざる
登山靴命二つのごと置かれ
月光の届かぬ部屋に寝まるなり
着水の雁一羽づつ闇になる
屏風絵の空は金泥鴨雑炊
葉牡丹として大阪を記憶せり
万の鳥帰り一羽の白雁も
花ミモザ地上の船は錆こぼす
青空のほかは仔猫の三つ巴

■昭和11年東京生まれ。51年「鹿火屋」入会。原裕に師事。後に川崎展宏主宰の「貂」の創刊に参加。平成12年、同人誌「ににん」創刊。現代表。13年「俳句四季」大賞、22年埼玉文芸賞受賞。句集に「朝の椅子」「螢袋に灯をともす」「硝子の仲間」他、エッセイ集、評伝、その他共著多数。日本文藝家協会、日本ペンクラブ、俳人協会、現代俳句協会、国際俳句協会会員。
 本集は308句収める著書の第5句集。句集名は一句に拠る。句集作りは自身を変え、憧れを追う旅。と。

『火星』2012年7月号 主宰山尾玉藻

2012年7月7日 土曜日

俳壇月評     筆者 涼野海音

   空蝉を鈴のごとくに振つてみる  岩淵喜代子
                       句集『白雁』より

「ごとく」がとても効果的に使われている。「鈴」は単なる物ではなく、聴覚に訴える役目も果たしている。空蝉を振ったら音がしそうだ。

『雉』 2012年7月号 主宰・田島和生

2012年7月6日 金曜日

現代俳句月評    筆者 神田美穂子

夕凪や悪魔呼ぶには闇淡し      岩淵喜代子
                (「俳壇」6月号「葦舟」より)

 この句を読んで「逢魔が時」という言葉がすぐに思い出された。
 夕凪とは夏の夕方、海風から陸風に変る時、風が止む状態をいう。かって香川県に住んだことがあるが、瀬戸内海の夕凪がおいたりと止み蒸し暑く、汗を流しつつ夕飯の支度をしたものだった。
 掲句、そんな風もなく暑苦しい時間帯、空は少しずつ暮れてくるが、悪魔を呼ぶほどにはまだ闇が迫っていないと。「逢魔が時」と重ね合わせて考えてみるつなるほどと納得させられた句である。

榎本好宏著 『風のなまえ』 2012年7月  白水社

2012年7月5日 木曜日

著者は昭和12年生れ。「杉」の編集長を18年担当していた。まずはこの「風のなまえ」というタイトルに魅かれる。歳時記にも涅槃西風、貝寄風、東風、彼岸西風、春一番など春だけでも数え切れない風のなまえがある。本書のタイトルから、そんな風がつぎつぎ出て来るのだろうと想像した。もちろん、そうした風のなまえは出て来るが、目次を開くともっと違う物語が盛り込まれていることが察しられる。

春の分類にはまず「蒙古風に運ばれる砂」「大使の忌日に吹く貝寄風」「比良八荒と四高の遭難」……など、興味をそそられることばが続く。夏の「藤原実方と黄雀風」「お風入れと呼ぶ虫干し」「風鈴の音に魅せられて」……なども、単なる風の解説でないのが解る。小文の集積であるから、何処から読み始めてもかまわない。

「ににん」47号発送完了

2012年7月3日 火曜日

さっきクロネコさんがメール便を集配して行った。いつもは月末には発送も済んでいるのだが、今回は印刷所から届いた箱を眺めながら外出していて、なかなか封筒詰めが出来なかった。今日3日に発送したので、明後日ごろには届くのではないかと思う。もし一週間届かなかったら連絡をください。

今回からは新連載が二つある。正津勉さんの「縁辺の人 衣更着信」と伊丹竹野子さんの鬼貫の「独ごと」である。清水哲男さんもつぎつぎとご親族のご不幸がつづいたが、ようやく落ち着いた。今回の巻頭エッセイはそんなことに触れていた。

昨年の3・11の災害から一年以上が過ぎた。それ以後震災、原発の経過の簡単な記録を編集後記に残しているが、次号には大飯原発が始動したことを書き込まなければならない。 ほんとうに残念である。

煥乎堂

2012年7月2日 月曜日

今日は煥乎堂の前社長の葬儀の日。行かれないので夕べのお通夜に行ってきた。入口に二郎氏を偲ぶ写真があった。小林二郎氏は友人である京子さんのご主人である。その縁もあって現在も書店の六階の会議室で句会を行っている。写真集は受付で手渡された冊子にもあった。

現在の社長小林卓郎氏が高校生、二人のお嬢さんが大学生の頃の一家の写真だ。京子さんと知り合ったのはそのころであるが、「ににん」の創刊号にも名前を連ねていた。二郎氏が夫人の亡くなったあともダンデイな着こなしを保っていたのは、もともと服は全部ご自分で選んでいたからだ。

渡された冊子には夏目房之介著の「あっぱれな人々」から小林二郎氏についての抜粋が転載され、そのダンデイ振りが軽妙なタッチで描かれていた。忘れていたが、そこには偶然夏目房之介も小林二郎氏も利用していた赤坂の料亭「しるよし」のおかみ竹村芳子さんのことにも触れている。竹村さんは小林氏の亡くなったことを知っているのだろうか。享年八十六歳の二郎氏と似た年齢の筈である。長年「ににん」を購読して頂いている。お礼をかねて明日は電話をしてみようと思う。

前橋の煥乎堂書店は創業百年を越えた北関東随一の大型書店である。当時、私は句会のあといつも三階の画廊へ立寄ってお茶を御馳走になりながら、ひとしきりおしゃべりをしてから帰ってきた。書籍などもそこでお願いすると店員さんが見付けてきてくれた。ときに、必要な本を探して貰うと、もう絶版になっていますと報告が入る。そんなときに小林氏が居合わせると「一冊くらいはどこかにある筈だ」と、店員さんから註文書を受け取ると、何やら書き込むのであった。果して、その次の会で絶版の筈の本が手に入るのだった。

そう言えば当時の専務さんが「ににん」を「ユリイカ」のような感じだといつも元気付けてくれた。変っていなければ今も土屋文明記念文学館の館長さんだが、お元気だろうか。

トップページ

ににんブログメニュー

HTML convert time: 0.196 sec. Powered by WordPress ME