2012年7月15日 のアーカイブ

頭痛・肩凝り・樋口一葉

2012年7月15日 日曜日

 井上ひしの「頭痛肩凝り樋口一葉」を観たことも読んだこともないのだが、一葉も頭痛肩凝りに悩んでいたのだろうか。
 肩凝り、首筋の張りが頭痛もともないながら突然襲ってくる。その症状は必ず起床時から始まる。何時か救急車を呼ぶ破目になった眩暈も起床時。眩暈が起床時はわかるが、肩凝りが朝から始まるのは不可解というより理不尽である。寝る姿勢が影響するのかもしれないとも思い、寝具に気を使い、デパートで身体に合わせて買った高価な枕も使ってみた。だが、そんなことは一向に改善にはなっていない。

 先日、慈庵に集まった人たちから「凝り」の話題が上った。私よりもっと若いひとでもやっぱり凝るのだ。月に一回の人、週に一回の人、二回の人、とそれなりの身のケアーをしている。そう思うと何だか気が楽になった。それで、かねて行ってみようかな、と思っていた医院を訪れた。場所は、駅までの途中のバス亭前、我が家から徒歩でも10分とはかからない。

 接骨、肩凝り、保険が利くというような関係のある文字をインプットしておいた。以前は何を営業していたところなのか、張りめぐらされた硝子戸に接骨医院と書かれているが、その文字が剥げかかり、営業をしているのか危ぶんだ。しかし、時折、そこへ入ってゆく人を見かけたので診療はしているようだった。外側からの雰囲気で、腕は確かだが気難しそうな老いた整体師がひとりで診療しているような風景を想像した。それも、その医院へ行くのを躊躇っていた理由である。

 怪我をしたり確たる病名のある場合は治療に躊躇することはないのだが、肩凝りなどは病気の範囲にはいるのかどうか。まして、何か特別な仕事をしているわけでもない。言ってみればしなくてもいいことをしながら遊んでいて、肩凝りの治療に行くことに引け目がある。おそるおそる戸を開けると、治療をしている人が奥に見えた。意外やどちらも40代か50代の人だ。そうして、外側で想像したのとは違った明るい空気が流れていた。

 揉み始めから、今までの治療を受けたのとは違っていた。指をあてる度にその力は皮膚から垂直に身体の中へ入るのである。こんなことならもっと早くくればよかった。首筋の張りが取れ、後頭部分の痛みもほとんど消えた。この世で痛みほど耐えられないものはない。多分私が拷問を受ける羽目になったら、何でも言いなりになってしまうだろう。頭痛の消えたあとのなんと爽やかなことよ。

角川『俳句』2012年7月号

2012年7月15日 日曜日

今月の10句       山口優夢

     紫陽花に嗚呼と赤子の立ち上がる    岩淵喜代子
                               (句集『自雁』より)
 〈紫陽花〉の「あ」、〈嗚呼〉の「あ」、〈赤子〉の「あ」、〈上がる〉の「あ」。頭韻がすっきりした印象を句にもたらしている。さらに〈嗚呼〉の漢字表記。「ああ」でも「アー」でも「ああ」でもない。〈嗚呼〉は赤ちゃんの単なる発声というよりは、まるで嘆息のような印象を与える。しかしここに表れているのは赤子の心情ではない。しっとりと雨を含んだような沈潜した色合いの紫陽花を前にして、意思疎通をはかる言葉をまだ持
たない赤子の声を〈嗚呼〉という形で聞き止めてしまうところには、作者自身の鈍い悲しみのような心境の反映があるだろう。そして赤子の〈立ち上がる〉行為がそんな嘆きを打ち破る力強さを期待させるのだ。

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