2012年7月8日 のアーカイブ

『谺』2012年7月号 主宰・山本一歩

2012年7月8日 日曜日

我田引水(181)    筆者 平田雄公子

等身大からの脱却、そして変貌
        -岩淵喜代子の世界-

 岩淵喜代子(ににん)氏の第五句集『自服』(平成二四年四月・角川書店刊)を読み込みます。
同氏の句集を本欄で取り上げるのは、四年振り四回目となります。また、氏がその間、俳誌《鹿火屋》の創始者原石鼎の評伝
として『頂上の石鼎』(平成二一年九月・深夜叢書社刊)の一大著作を、上梓されたことも付記しておきます。

 夜が来て蝙蝠はみな楽しさう
 一般的には「夜が来」るのは、昼間の活動の結果としてほっとすることはあっても、必ずしも「楽し」くはない。しかし夜行性の「蝙蝠」が、逆さ釣りの寝床から開放され、薄暗い夜空を群れ飛んでいる景は、見るからに 「みな楽しさう」。生命の輝きを簡明に指摘した、句。

 サングラス独りごころを育てをリ
  「サングラス」を掛けることは、世の中の全てに一線を画することに通じよう。偶然にしろ、他者との疎外感が「独りごころを育て」るのだ。思考のからくりによる一過性のものであろうが、いささか不気味でもある。

 鷺消えて紙の折目の戻らざる
「紙の折目」は如何に軽く折ったものでも、それを戻す段になるとかなり厄介なもの。他方、日頃畦の一角などに定位置を占める「鷺」の姿が「消え」ると、ぽっかり穴が開いたような具合に、落ち着かない。そう、消えた鷺も、戻らない紙の折目も、もどかしい限りなのだ。

 鳥は鳥同士で群るる白夜かな
 似た者同士と言うが、同種同系の場合は本より、型や大きさが同じ場合も、まま「鳥は鳥同士で群るる」ようだ。ここはまして「白夜」である。時空の進行に酔い、極光の躍動に痴れ、縦横に舞い飛ぶのだ。

 見開きの本のごとくに大花火
 「見開きの本」の広さ加減。それは、真ん中が繋がるからか、片面の二倍以上の広さとなって、見る人に迫るもの。「大花火」も天上に割れると、左右に大きく、円にまた球体に広がり、将に、見開きの本の案配なのだ。

 揺れさうもなくてゆるるや曼珠沙華
  「曼珠沙華」は、ひょろっとしているが頑丈そうなので、「揺れさうもな」いのだが、よく見ると風もないのに「ゆるる」風情。まるで自然の摂理についてとか、父母未生以前についてとか、誰れ彼れを問わずまた死者生者に限らず、語り掛けて来るよう。

 天へ地へ道はつづきぬ葛の花
「天へ地へ道はつづ」く、秋。その舞台は、山道そも山裾を巡り、谷に分け入るアップダウンのあるくねった道であろう。また、山奥の「葛の花」となれば、作者にとっての先師、原石鼎所縁の深吉野は国栖辺りの山地が、思い浮かぶ。葛の花の上に、彼の〈頂上や殊に野菊の吹かれ居り〉の、山頂(おむら山)を望めたのかも。

 風呂吹を風の色ともおもひをリ
 寒い時の煮物として愛好される、「風呂吹」大根(又は、蕪)自体の、淡白で微妙な風合を「風の色」とした。窓外・屋外の風は冷たい一方だが、この風呂吹のそれは、味噌やだし汁の香とともに、懐しくも暖い色合いなのだ。

 薬飲むときの仰向け十二月
 「十二月」は、風邪薬や胃腸薬など健常者でも「薬飲む」機会が多いもの。さて、粉薬は元より丸薬でも、いざ水や白湯と嘸下する段になると、喉越しを気遣ってか誰しも「仰向け」となろう。ユーモアの、句。

 万の鳥帰リー羽の白雁も
 句集名となった句である。雁帰る春。「万の鳥」に混じって「一羽の白雁も」。突然変異であろう一羽の白雁ながら、その超然たる凛凛しさ・健気さが印象的なのだ。北へ帰る旅の安全に加え、行く末の安寧を祈る、そんな句。

 下萌えや雀の奪ふ象の餌
  「象」は図体が巨きいので大量の「餌」を採るのだが、 「下萌え」る春到来の気分にも乗って、あちらかに構えているのでしょう。井の頭公園の老象はな子さんも、鳩や鴉にまで、餌のお裾分けしているのを見かけます。

 原子炉の壊れて桜満開に
 福島第一原発の「原子炉」であろう。人工の悲惨さの対極としての、大自然の恩寵である「桜」の「満開」。それは、天の配剤とは勿論、皮肉であるとも言つべくもない厳粛な事実であり、我々に突き付けられた現場なのだ。

 春の闇鬼は手の鳴るはうに来る
 今更、《「鬼」さんこちら「手の鳴るはう」へ》の、目隠し鬼遊びではあるまい。この鬼は、「春の闇」に拮抗する心の「闇」と解したい。もの思う人の心に現れる断片は、ついつい自家撞着し勝ちなのだ。疑心暗鬼の、句。

 以上、当意即妙振りにも磨きが掛かり、変貌への深化が歴然とした、作品=三〇八句を堪能しました。前回も申しましたが、現代の語部たる作家として、等身大を超克した更なる充実ご発展を、心底から期待します。

『太陽』2012年七月号  主宰 務中昌巳

2012年7月8日 日曜日

岩淵喜代子句集『白雁』鑑賞     筆者 吉原 文音

  「ににん」代表の第五句集。氏の独特の感性から流れ出す詩情の本流、「初夏や虹色放つ貝釦」が巻頭を飾り、一ぺージめくると、「化けるなら泰山木の花の中」といった伏流が流れている。その伏流は本当に非凡で、句集の音色に変化をもたらし、色相を変える。氏の魅力はここにある。

  青鷺の飛びだつときの煙色
 青葉を「煙色」と描写した句眼に脱帽である。これ以上の表現を、私は知らない。

  太宰忌の水盛り上げる鯉の群
 大宰は玉川上水で入水した。大宰を呑み込んだ川の水の勢いを思わせるように、鯉の群が水を盛り上げたのである。心に衝撃が走る。

  病葉も踏めば音して哲学科
  「病葉」と「哲学科」の取り合せが新鮮にマッチしている。「音」がするということは、存在を語っているということだ。ここに哲学がある。

 花ミモザ地上の船は錆こぼす
 「地上の船」とは、或いは津波で押し上げられた船かもしれない。「花ミモザ」と「錆」の衝撃が生み出す詩の世界。それは、光と影、新しさと古さ、エネルギッシュな生と死の対比でもある。

  地獄とは柘榴の中のやうなもの
  「柘榴」のグロテスクなイメージを「地獄」とさらりと言ってのけるとは。私はもう、叫ぶしかない。

共鳴句
  初夏や虹色放つ貝釦
  化けるなら泰山木の花の中
  藁屋根の藁の切口夏燕
  たぶの木に椨の闇あり青葉木菟
  空蝉を鈴のごとくに振つてみる
  蒲の穂は土器の手触り土器の色
  獣らの輪廻転生踊子草
  頬といふつめたきところ楠若葉
  或る蟻は金欄緞子曳きゆけり
  鬼の子や昼とは夜を待つ時間
  着水の雁一羽づつ闇になる
  荒牛のごとく先立て鞍馬の火
  影のごと立つも座るも月の鹿
  遠い田を沖と呼んでは耕せり
  春愁のときどき薬飲む時間
  幻をかたちにすれば白魚に
  牧開くとて一本の杭を抜く
 刺激に継ぐ刺激と快感。私の愛読書となった。

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