2012年11月 のアーカイブ

『ランブル』2012年11月号 主宰・上田日差子

2012年11月19日 月曜日

現代俳句鑑賞   筆者 今野好江

人が人へ闇を作りて螢待つ   岩淵喜代子
         『俳句』九月号「半夏生」より

水のほとりの闇にたのしむ螢狩。昔、「腐草螢となる」といって草がむれて腐って蛍になると信じられていたという。そういえば蛍の闇には隠微な一面がなくもない。

人殺す我とも知らず飛ぶ螢   前田普羅
身の中の待つ暗がりの螢狩  河原枇杷男

掲句の〈人が人へ闇を作りて〉の措辞に一瞬ドッキっとする。
人の心の闇、即ち心の迷いうぃいうのか―。
虚実を軽々ととび越える機知が自由な発想となり、一句の振幅を広げる。そこはかとない哀愁も魅力的である。

松明あかし

2012年11月13日 火曜日

121110_1901~02 以前、と言っても15年くらい昔に須賀川の「牡丹焚火」の行事に行った時、その一週間前が「松明あかし」だったという情報を知った。それからずっと果たせずに、今年やっと機会が訪れた。新幹線を降りてまず目を惹いたのが紅葉。

10日の松明あかしの時間に合わせた出発だったので、宿に荷物を置いて須賀川の五老山へ。天正9年三春城主の廓の一つ五老山館が有った場所で松明あかしの行われる。
伊達政宗に攻められ落城したとき戦死した人々の霊を弔うために始められた祭だという。松明の大きさはや高さは電柱をもっと太くしたようなものと想像して貰えれば手っ取り早い。覚悟はしていたが、雨が降ってきて、長い時間を立ちつくすのは辛抱が要った。一番見易い場所を探して一周してくると、屋台で買いこんだジャガバタやおでんやたこ焼きが調達されていた。そのジャガイモの美味しかったこと。すべてが行き当たりばったりの計画だったので、翌日の朝食もホテルでとるか、外で見付けるか決めてなかった。結局、前夜の屋台からの食物調達も翌朝の食事の段取も昼食の饂飩屋さんも、お誘いした慈庵さんが先導してくれた。

二日目は芭蕉の足跡を周ったが、この地には大正11年創刊の「桔槹」という雑誌がある。殆どの人が原石鼎の「鹿火屋」に属しながら続いてきているので、雑誌を開くと見知った名前がたくさんあった。さらに驚いたのは昼食に立ち寄った饂飩屋さんも記念館の方も、私の名前を挙げる人たちをよく把握して居て、しみじみ地域の雑誌であることを実感したが、みんな高齢である。主宰は84歳。そのほかの知人もみんなそれに準じる筈だが、地域の結束が存続させることだろう。

日曜日に帰ってきて翌日の句会はなんとも思わなかったが、今日になって身体が重くて頭が痛い。咽喉も痛い。何とか医者にはいかないと、拗れたら大変。

井上康明句集『峽谷』2012年10月  角川書店

2012年11月7日 水曜日

最近終刊になった「白露」の編集部に所属し、「雲母」から連なってきた作家。自然の中に埋没しながら、無理のない表現がじんわり沁みてくる。

自選十句
人とある大黒柱冷やかに
真鯉緋鯉触れ合うてゐる朧かな
秋風や切り出して岩横たはり
大年の風吹く甲州善光寺
若竹の伸ぶ勢ひなり揺るるなり
老鶯や墓石ひとつづつまどか
立ち上がる人に影ある晩夏かな
秋の潮眼差しにこゑよみがへり
影くれなゐに万両の五六粒
春満月四肢めぐりたる水の色

筑紫磐井詠題文学論『伝統の探求――俳句で季語は必要か』

2012年11月7日 水曜日

筑紫氏のこれまでの評論では読み易い本である。表題が要約を知らせているので、初めからその「季語は必要か」を指標しながら読み進めることも一つの読み方だ。そこで、詠題の座での方法や効果も先達の例を挙げて納得出来るようになる。このあたりに、俳句の入門書的な部分もあるので、私などは読みやすいと感じたかもしれない。

水野真由美評論集『小さな神へー未明の詩学』未明の詩学 2012年 6月

2012年11月7日 水曜日

一書の大方は、編集長を務める「鬣」に執筆したもの。
水野氏の文章は歯切れがいい。歯切れがいいと言うことは、別の言葉を使えば明解であるということでなのである。
基本的には第一章「問いつづけるためにー現代俳句との接線」のテーマを軸にしながらすべての文章が生れている。

その前に福島「松明あかし」へ

2012年11月7日 水曜日

先日香港旅行の打ち合わせをしたが、今日は三日間の計画書がガイド役の仲間から送られてきた。
一日目・2時ごろ香港に到着するので、その日のメインは夕食の上海蟹づくしと夜景。それに女人街散策。

二日目・九龍の下町散策。昼食は飲茶を名都酒楼でとることになっている。この名都酒楼は日系の酒楼で、経営は横浜の聘珍楼だということまで調べた時、えっ「聘珍楼」?と吃驚。実は過日、このぶろぐで点心料理だけを食べてこなかったのでコースに入れて貰った話を書いたのだが、その数日後になんと点心の詰め合わせがクール便で届いたのだ。偶然だとは思うのだが驚いた。その頂きものの点心が、なんと横浜の「聘珍楼」のものだったのである。

午後句会をしたあと香港南部散策。夜は鯉魚門で海鮮料理。材料から目の前で選ぶのらしく、とれたての魚介類が生簀にいっぱいらしい。 日本からもツアーが組まれるほど有名な海鮮街。帰りは中環→尖沙咀 (フェリーでビクトリア・ハーバーを横断)からホテルへ。

三日目・15時ぐらいまで自由行動ということになっている。この三日目の歩き方が、香港の旅のポイントを左右するかも。ここまで書いてやっと旅行のイメージが出来るようになった。

おっとその前に、今週末に福島の「松明あかし」へ行くことになっている。

『鷹』2012年11月号  主宰・小川軽舟

2012年11月6日 火曜日

俳壇の諸作    筆者 大石香代子

万緑や火の坩堝から汲むガラス   岩淵喜代子    
俳句9月号 「半夏生」より

森のなかのガラス工房が思われる「万緑叢中紅一点」の故事成語にある紅花を、坩堝から巻き取った金属パイプの先の真っ赤な溶解ガラスの一玉になぞらえ、それが周囲の木々の緑に鮮やかに映えるさまに転化した句は、現代的な美とエネルギーに溢れている。すぐさま息が吹き込まれてどんどん成形されて製品となることを、下五の硬質なカタカナ表記が伝える。冷えたガラスはやがて木々の緑に新しい息吹を与えるようだ。

『りいの』2012年11月  主宰・檜山哲彦

2012年11月4日 日曜日

交響する言葉  書評ほか 卓田 謙一

時空を超えて 岩淵喜代子句集『白雁』  
 同人誌「ににん」代表の岩淵喜代子氏の第五句集である。
平成二〇年に上梓した第四句集『嘘のやう影やう』以降の三〇八句が収められている。
 岩淵氏は大胆な把握で瞬間を切り取り、時空を超えて自在に言葉を操る旅人である。

  今生の螢は声を持たざりし

 何という発想だろう。今の世に生きている螢は声を持たされていないというのだ。人々が愛でるあの螢の明滅は、失った声の代わりに与えられたものだったのか。ゆらゆらと流れる螢の明滅が人々を幽玄の世界に誘うのは、それが前生や後生とつながっているからか。時空を超えてつながっているものを主題、もしくは背景とした作品は多い。

  化けるなら泰山木の花の中
  昼も夜もあらずわれから鳴くときは
  残生や見える限りの雁の空
  いわし雲われら地球に飼はれたる
  風呂吹を風の色ともおもひをり
  狼の闇の見えくる書庫の冷え
  尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
  幻をかたちにすれば白魚に
  花ミモザ地上の船は錆こぼす

 直感的な取り合わせの妙と、選び抜かれて掬い取った言葉とが、読み手の胸に詩情を膨らませる。叙情的な作品の中に時折、にやりと微笑を誘う句も。

  金魚屋の金魚は眼閉ぢられず
  浜碗豆咲けばかならず叔母が来る
  目も鼻もありて平や福笑
  決闘の足取りで来る鷹匠は

 「あとがき」で岩淵氏は「書くことは『生きざま』を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。句集作りは、今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました」と書いている。また「自分を変える旅をしたいと切に思っています。言い換えれば『憧れ』を追う旅とも言えます」とも。
 この句集には「雁」の句が十七句収められている。句集名ともなった
  万の鳥帰り一羽の自雁もには、「今の自分を抜け出すための手段」や「自分を変える旅」への願いも込められているに違いない。
             (平成ニ十四年四月 角川書店)

今野志津子第一句集『桂花』2012年10月  角川書店

2012年11月4日 日曜日

序文 黒田杏子

花びらを受けては水面ふるへけり
みんな来て窓に寄りたる大夕立
朝顔や絞らずに干す麻の衣
どの家も二階に夕日冬立つ日
はればれと枯れて梅の木桜の木
夕暮れは風聞くばかり蟻地獄
母をらぬある夜大きな夏の月

序文で黒田杏子氏がーー肩に力の入っていない。見せ場を作ろうなどと全く考えない。対象へのごく自然なやさしいまなざし。--と書いている。
それは自然の微小の変化に心を寄せることで得た作品が物語っている。

『森』2012年11月号  主宰・森野稔

2012年11月4日 日曜日

受贈誌拝見     筆者 森野稔

ににん 
   平成12年秋、埼玉県朝霞市で岩淵喜代子により創刊。意欲的に新企画に取り組みたい。(『俳句年鑑』2012より)

 本号は3012夏号(通巻四七号)である。俳句に評論にと意欲的な同人誌であることが一読して読み取れる。そのトップを飾るのは「物語を詠む」。物語のリストの中から選んで作品二十四句を発表する企画で今回は三名が参加。
 高橋治の『風の盆恋歌』を詠むのは、宮本郁江。
  夜流しの踊か坂を降りゆけり
  輪踊の夜ふけて雨となりにけり
  水滴を言して重き酔芙蓉
  ぴんと脹る蚊帳の中まで胡弓の音

 三島由紀夫の『金閣寺』を詠むのは、及川希子。
  月光に捕らはれ女の不動明王
  遅桜どもりどもりて咲き出せる
  金閣寺の空広げる火事明かり

 宮木あや子の「花宵道中」を詠かのは、伊丹竹野子。
  音もなく粉雪めぐる常夜灯
  霧晴れて男の記憶戻りけり
  夕焼けの天従へて糸桜
  朝霧に匂ひ立つ身を委ねけり

 会員の作品発表の場は「ににん集」(作品発表者三十一名)と「さざん集」に分かれている。「ににん集」はテーマが決まっていて今回は(毎号テーマが変わるのかどうかは定かではないが、)「火・灯」である。作品のすべてがこれに関連している。意欲的な作品を抄出してみる。

  遥より声のあつまる螢の火          浜岡紀子
  芝居小屋閉めたる後の春燈         山内かぐや
  ポスターの女の頬に灯蛾とまる       新本孝介
  蛇衣を説ぐや日蝕近づき来          川村研治
  声高し野焼の朝の集会所           佐々木靖子
  ナイターのなかなか落ちぬフライかな    服部さやか

 次に「さざん集」から。これは自由題のようだ。

  穀象に或る日母船のやうな影         岩淵喜代子
  万の鶴引きて一つの鶴の墓           宇陀草子
  形代を集めに町内会長来           河邉幸行子
  白衣干す夏と未来がぱんぱんに        木津直人
  触るるほどに並んで五月晴れの道       四宮暁子
  春分の前をゆく人ゆったりと          高田まさ江

 評論も充実。特に「この世にいなかった俳人⑥」岩淵喜代子が原石鼎について丹念にその軌跡をたどっている。浅学の私は「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」が吉野での作とは知らなかったし、石鼎の吉野への傾斜の深淵に触れて、私の眼が聞かれた思いがする。

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