2012年11月4日 のアーカイブ

『りいの』2012年11月  主宰・檜山哲彦

2012年11月4日 日曜日

交響する言葉  書評ほか 卓田 謙一

時空を超えて 岩淵喜代子句集『白雁』  
 同人誌「ににん」代表の岩淵喜代子氏の第五句集である。
平成二〇年に上梓した第四句集『嘘のやう影やう』以降の三〇八句が収められている。
 岩淵氏は大胆な把握で瞬間を切り取り、時空を超えて自在に言葉を操る旅人である。

  今生の螢は声を持たざりし

 何という発想だろう。今の世に生きている螢は声を持たされていないというのだ。人々が愛でるあの螢の明滅は、失った声の代わりに与えられたものだったのか。ゆらゆらと流れる螢の明滅が人々を幽玄の世界に誘うのは、それが前生や後生とつながっているからか。時空を超えてつながっているものを主題、もしくは背景とした作品は多い。

  化けるなら泰山木の花の中
  昼も夜もあらずわれから鳴くときは
  残生や見える限りの雁の空
  いわし雲われら地球に飼はれたる
  風呂吹を風の色ともおもひをり
  狼の闇の見えくる書庫の冷え
  尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
  幻をかたちにすれば白魚に
  花ミモザ地上の船は錆こぼす

 直感的な取り合わせの妙と、選び抜かれて掬い取った言葉とが、読み手の胸に詩情を膨らませる。叙情的な作品の中に時折、にやりと微笑を誘う句も。

  金魚屋の金魚は眼閉ぢられず
  浜碗豆咲けばかならず叔母が来る
  目も鼻もありて平や福笑
  決闘の足取りで来る鷹匠は

 「あとがき」で岩淵氏は「書くことは『生きざま』を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。句集作りは、今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました」と書いている。また「自分を変える旅をしたいと切に思っています。言い換えれば『憧れ』を追う旅とも言えます」とも。
 この句集には「雁」の句が十七句収められている。句集名ともなった
  万の鳥帰り一羽の自雁もには、「今の自分を抜け出すための手段」や「自分を変える旅」への願いも込められているに違いない。
             (平成ニ十四年四月 角川書店)

今野志津子第一句集『桂花』2012年10月  角川書店

2012年11月4日 日曜日

序文 黒田杏子

花びらを受けては水面ふるへけり
みんな来て窓に寄りたる大夕立
朝顔や絞らずに干す麻の衣
どの家も二階に夕日冬立つ日
はればれと枯れて梅の木桜の木
夕暮れは風聞くばかり蟻地獄
母をらぬある夜大きな夏の月

序文で黒田杏子氏がーー肩に力の入っていない。見せ場を作ろうなどと全く考えない。対象へのごく自然なやさしいまなざし。--と書いている。
それは自然の微小の変化に心を寄せることで得た作品が物語っている。

『森』2012年11月号  主宰・森野稔

2012年11月4日 日曜日

受贈誌拝見     筆者 森野稔

ににん 
   平成12年秋、埼玉県朝霞市で岩淵喜代子により創刊。意欲的に新企画に取り組みたい。(『俳句年鑑』2012より)

 本号は3012夏号(通巻四七号)である。俳句に評論にと意欲的な同人誌であることが一読して読み取れる。そのトップを飾るのは「物語を詠む」。物語のリストの中から選んで作品二十四句を発表する企画で今回は三名が参加。
 高橋治の『風の盆恋歌』を詠むのは、宮本郁江。
  夜流しの踊か坂を降りゆけり
  輪踊の夜ふけて雨となりにけり
  水滴を言して重き酔芙蓉
  ぴんと脹る蚊帳の中まで胡弓の音

 三島由紀夫の『金閣寺』を詠むのは、及川希子。
  月光に捕らはれ女の不動明王
  遅桜どもりどもりて咲き出せる
  金閣寺の空広げる火事明かり

 宮木あや子の「花宵道中」を詠かのは、伊丹竹野子。
  音もなく粉雪めぐる常夜灯
  霧晴れて男の記憶戻りけり
  夕焼けの天従へて糸桜
  朝霧に匂ひ立つ身を委ねけり

 会員の作品発表の場は「ににん集」(作品発表者三十一名)と「さざん集」に分かれている。「ににん集」はテーマが決まっていて今回は(毎号テーマが変わるのかどうかは定かではないが、)「火・灯」である。作品のすべてがこれに関連している。意欲的な作品を抄出してみる。

  遥より声のあつまる螢の火          浜岡紀子
  芝居小屋閉めたる後の春燈         山内かぐや
  ポスターの女の頬に灯蛾とまる       新本孝介
  蛇衣を説ぐや日蝕近づき来          川村研治
  声高し野焼の朝の集会所           佐々木靖子
  ナイターのなかなか落ちぬフライかな    服部さやか

 次に「さざん集」から。これは自由題のようだ。

  穀象に或る日母船のやうな影         岩淵喜代子
  万の鶴引きて一つの鶴の墓           宇陀草子
  形代を集めに町内会長来           河邉幸行子
  白衣干す夏と未来がぱんぱんに        木津直人
  触るるほどに並んで五月晴れの道       四宮暁子
  春分の前をゆく人ゆったりと          高田まさ江

 評論も充実。特に「この世にいなかった俳人⑥」岩淵喜代子が原石鼎について丹念にその軌跡をたどっている。浅学の私は「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」が吉野での作とは知らなかったし、石鼎の吉野への傾斜の深淵に触れて、私の眼が聞かれた思いがする。

『幡』2012年11月号  主宰・辻田克己

2012年11月4日 日曜日

句林間歩   筆者 服部友彦

   『白 雁』    岩淵喜代子
  万の鳥帰り一羽の白雁も
を表題句とする『自雁』は平成二十年に上梓された『嘘のやう影のやう』に次ぐ、岩淵喜代子氏の第五句集で三百八句を収録する。岩淵氏は昭和十一年の東京生れで、同五一年「鹿火屋」に入会し、原裕氏に師事、後に川崎展宏氏の「貂」創刊に参加、現在は同人誌「ににん」の代表をつとめる。
  がりがねの帰る彼方を遥かといふ
  「あとがき」で「句集作りは、今の
自分を抜け出すための手段」と言われる岩淵氏にとって、「日常の現実は遥かなものへ通じる回路(原雅子氏評)」になっているといえよう。その岩淵氏の作風は、たとえば喫茶というきわめて日常的な行為を非日常化させたところに成立する茶の湯などの在り方にも通じていくものがあるように思われる。

  初夏や虹色放つ貝釦
  箱庭と空を同じくしてゐたり
  今生の螢は声を持たざりし

 「蝙蝠」と「螢」の章より。一句目は巻頭句。二句目、作者と空を同じくする箱庭という季語に強い象徴性が窺われる。三句目は和泉式部の「沢の螢」の歌とあわせて鑑賞したくなるような集中随一の感銘句である。

  鳥は鳥同志で群るる白夜かな
  天の川鹿にかすかな斑の名残
  残生や見える限りの雁の空

 「白夜」と「時間」の章より。白夜の明るさはやはり畏怖を覚えるような非日常の体験。鹿の斑に見立てた天の川へのメルヘンのような視点と残生の先を見据える非情ともいえる視点はいずれも作者特有のもの。

  ゆふぐれは椋鳥さわぐ木のありぬ
  地獄とは柘榴の中のやうなもの
  まるごとが命なのかも海鼠とは

 「柘榴」と「風の色」の章より。一句目、帰宅途中など、日常よく出合う光景だが、ここでは夕暮れの椋鳥があたかも異形のもののように現れてくる。二句目の地獄と柘榴のアナロジーはとても尋常のものとは思えないが、その独断に納得の一句。三句目、読み手としては、まるごとの命をまるごとの心と読み換えさせていただいた。

  尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
  梅の咲くふしぎ吾の居る不思議
  幻をかたちにすれば白魚に
  花ミモザ地上の船は錆こぼす

 「白雁」と「地上の船」より。一句目、半仙戯という漢語調の季語を通して、尾砥骨にのこる人類の生命誌に思いが及ぶ。二句目、吾という実存の摩詞不思議。三句目、幻と白魚を取合せる作者の飛躍に共感するものかある。四句目はあの東北の地上の船であろうか、鎮魂の供華としての花ミモザ。 日常的な「こと」と「もの」の世界が作者ならではの言葉に置き換えられる時から、現実の時空を越えた一種スリリングな非日常の世界が見えてくる。そんな自分を変えるための未知の世界に出合わせていただいたような句集であった。

『獅林』2012年11月号  主宰・的場秀恭

2012年11月4日 日曜日

総合誌の秀句に学ぶ  33   〈俳句〉9月号より
   筆者   高原風太

万緑や火の坩堝から汲むガラス
「クローズアップ 岩淵喜代子句集『白雁』から、新作12句「半夏生」の内。
上五「万緑や」で切れる二物衝撃の句と思われる。エジブトでは紀元前24~22世紀頃から作られているというガラス。高温の坩堝の中で様々な無機原料が真赤に融けたガラス。一方で季語である「万緑」は燃え立つ緑、有機の坩堝である。真っ赤と深緑、無機と有機、対照的な二つの坩堝の響き合いが見事に決まった感がする。

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