2012年11月19日 のアーカイブ

『舞』2012年11月号  主宰・山西雅子

2012年11月19日 月曜日

現代俳句月評 筆者 小川楓子

夏霞から歩み来てメニュー置く    岩淵喜代子 
               (「俳句」九月号)

 誰がどうして夏霞から歩いてきたのか、そしてなぜメニューを置いたのか、推理小説のプロローグのように謎めいている。高原のオープンカフェで、立ち込める夏霞の方向からウェイターが客にメニューを置きに来た、とまずはイメージする。だが、夏霞の効果によって、ウェイターの存在が曖昧になり、唐突に置かれたメニューのみ際やかになる。一句を何度も読み返すうちに、本来は、食事を決める選択技の記された小冊子であるメニューが、読者の前にふいに提示されることで、それが、未来から届いた手紙のようにも、メメント・モリ―必ず死ぬことを忘れるな―という警句にさえ感じられ、終ることのない物語が引き出される。

『汀』2012年11月号 主宰・井上弘美

2012年11月19日 月曜日

現代俳句私解    筆者 湯口昌彦

夏霞から歩み来てメニュー置く   岩淵喜代子
               (「俳句」九月号)

「ににん」代表。「鹿の背を撫でれば硬し半夏生」から「半夏生」と題する新作12句。掲句は「夏霞」の存在を「メニュー置く」という行為も、それぞれ日常だが、これを「歩み来て」で結んだ結果、非日常を感じさせる句となった。霞は春にたなびくものだが、「夏霞」は遠く見通しがきかないこと。すなわち、「夏霞から」というカオスを提示しておいて、その後の予測困難な状況を「メニュ置く」という卑近にして具体的な行動を提示することにより、不思議に心のどこかを刺激する句に仕上がった。同時掲載の原雅子の「岩淵喜代子小論」は「現実の向うへ」と題し、「箱庭と空を同じくしてゐたり」他を例句に挙げている。

『ランブル』2012年11月号 主宰・上田日差子

2012年11月19日 月曜日

現代俳句鑑賞   筆者 今野好江

人が人へ闇を作りて螢待つ   岩淵喜代子
         『俳句』九月号「半夏生」より

水のほとりの闇にたのしむ螢狩。昔、「腐草螢となる」といって草がむれて腐って蛍になると信じられていたという。そういえば蛍の闇には隠微な一面がなくもない。

人殺す我とも知らず飛ぶ螢   前田普羅
身の中の待つ暗がりの螢狩  河原枇杷男

掲句の〈人が人へ闇を作りて〉の措辞に一瞬ドッキっとする。
人の心の闇、即ち心の迷いうぃいうのか―。
虚実を軽々ととび越える機知が自由な発想となり、一句の振幅を広げる。そこはかとない哀愁も魅力的である。

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