2011年4月 のアーカイブ

東北関東大震災25・ふたたび地震

2011年4月8日 金曜日

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吟行と言っても「かのん通信」の取材なので、ただ一人密かな句作りである。川越中院の枝垂桜はもうかなり落花が進んでいた。情報で満開と聞いてから行くのは一歩後れを取るのかも知れな。いままで震災忌と言えば9月1日の関東大震災を指すのだが、これからは、それとどう区別する季語になるのでしょうね、と編集者と話し合った。

私自身としては次の5年、すなわち「ににん」15周年までにどの程度の復興がなされるのかを記録していこうと思う。そんなことを書いているうちに、3月11日に次ぐ地震が起った。宮城野で震度6、しかもガス漏れと水道破裂、火災が起こっているようだ。津波注意報をテレビがいくたびも呼びかけていた。地震とともに、仙台市内は広範囲に停電となった。コンビニの店員の情報では11日の地震と同じように陳列棚の品物は散乱したようである。

娘の携帯は留守電設定になっていて会話ができなかったが、メールは「「また停電、水は今のところ出ている」という返事が返ってきた。

東北関東大震災24・桜

2011年4月6日 水曜日

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津波の被害が癒えるのに何年かかるだろうか。原発汚染はますます深刻になり何時人が安心出来るようになるのか見通すことは出来ない。この人災を誰が責任を取るのだろうか。それでも桜が咲いて黒目川沿いには花見の人がちらほらして、子供たちは川遊びをしていた。

東北関東大震災23・句会

2011年4月4日 月曜日

三月の第一月曜日の「ににん」定例句会のあとの行事を全部中止にしてきていたので、今日の句会は一ヶ月振りの顔合わせである。別に被災地の人はいないのだが、それでもこの一カ月の恐ろしいニュースを見続けていた気分が少しふっきれた。

幸い「ににん」は一月に「祝賀会」を終っていたので、その意味でも気持ちはしっかり次の5年後へ踏みだしている。多分これから祝賀会予定の入っている結社は「やるべきか、やらざるべきか」とハムレットのように悩んでいるかも知れない。

二次会では、地震の時のそれぞれの体験談義に花が咲き、そのあとは停電の話、地震と同時に電気が止ってしまったマンションもあったようだ。そのあと新しい「ににん」企画の検討に入った。今年でこれまでの「物語を詠む」は終了する。それにしても飽きずに10年も続いたものである。「ににん」集「さざん」集の内容も見直しもする。

今一つ上がっている提案は「灯と火の歳時記」を5年間で作ろうかということ。この企画はすでに3周年目には浮上していて、「火」や「灯」の行事を追いかけて吟行を重ねた記録も残っている。実際「灯」や「火」は生活の根みたいな存在である。火と灯がなければ生活が成り立たない。

すでにイオマンテや葦焼き、虫送り、阿蘇の山焼き、などのさまざまな灯あるいは火の行事の吟行している。
          
鳥追い
山焼き
どんど焼き
山火事
火伏の祀り
長崎ランタンまつり
あまめはぎ
お水取り
なまはげ柴灯(せど)まつり
畑焼く 野焼き 芝焼く
阿蘇の火まつり
葭焼
雁供養
夜桜
火渡り
蛍烏賊
曾我の傘焼き

虫送り
花火
恋路の火祭り
キャンプフアイヤー
夜振り夜焚き
鵜飼
白浜海女まつり
吉田の火まつり
ナイター
あばれ祭り
夜光茸
烏賊釣り
徒鵜飼
蚊遣り
虫篝
誘蛾灯
蒼朮を焼く
走馬灯
岐阜提灯
館林手筒花火大会
夜店
佞武多
竿灯    
柱松
百八燈
七夕絵灯篭祭
万灯供養
百八燈(投げ松明
迎え火 精霊火 送り火流灯
地蔵会
千灯供養
大文字
金魚提灯
手筒まつり
おわら風の盆
不知火
龍勢
ケべス
那知火まつり 
鞍馬の火まつり
火恋し 炉火恋し
京都亀岡の火まつり
ハロウィン
芦火
一つ火
鞴祭り
牡丹焚き火
焚き火
落ち葉焚き
鞴祭り
高千穂夜神楽
年の火
秩父夜祭り
イオマンテ祭り
鉄砲まつり
王子の狐火 
たたら
火鉢、暖炉 埋火
炭焼き
御火焚き
おけらまいり
クリスマスイブ
鎮火祭
薪能
夜景
煙草
灯台
かぎろい
鞴祭り
ろうそくまつり
嵯峨の柱炬
太陽柱
一つ灯(遊行寺)

東北関東大震災22・映画もお花見も

2011年4月3日 日曜日

沿線にあるスーパーマーケットに併設されているミニシアターは気軽に行けるので利用することが多かった。だが、私の通うミニシアターが現在閉館になっている。サイトには「地震の影響により、劇場によっては上映スケジュールの変更、閉館など行っている場合がございます。」とある。吃驚であり、正直がっかりであるが、これもいたしかなたないことなのか。

近くの黒目川の土手の桜の開花に合わせて毎年行われる桜祭りも中止の看板が立った。中止でも桜は咲くのである。それは電力事情を考えれば夜の雪洞をつけるのは、控えなければいけないが、お花見の中止の看板を掲げなくてもいいのではないかと思う。今、日本中が打ちのめされたように意気消沈しているとき。せめて変わらずに咲いてくれた桜を見に行きたい。

自冶体もこうしたときに、電力事情について、そうして被災地への応援に就いての提示をアピールする場にして寄付などを促していいのではないだろうか。じっと静かに家の中に居ても進展しないのである。自粛自粛と言い過ぎるのもどんなものであろうか。たとえば今回のことで、さまざまな会が中止になっている。しかし、みんなが自粛という言葉の自爆で活気を無くすことは復興を遅らすことにもなるだろう。

東北関東大震災21・魔法使い

2011年4月2日 土曜日

アニメの世界ではヒーローが変身して難問を解決する物語が時代ごとに生れる。物語が人の願望から生み出されるからだ。当然、その変身に使われる杖やらベルトやら鏡が玩具屋に並ぶ。クリスマスの子どもたちのプレゼントも、その変身グッズが主流のようだった。

子供に変身グッズをプレゼントした或る親が、それを子供がなかなか使わないので、「早く変身して見せて」と促しら「だって戻り方を知らないから」・・・という言葉が返ってきたという。大人たちには爆笑することだったが、子供は一つの玩具に想像力をめぐらしていたのである。

「戻り方を知らないうちは使えない」というこの想像力と自制心を原発を作るときにも持って貰いたかった。日本は放射能爆弾の洗礼を受けた唯一の国である。むしろそのことを許さないという姿勢を貫くことが、原子炉を使わないということで完結するのではなかったろうか。

一つの原子炉の故障がこんなに影響を及ぼすのであれば、やはり日本で原子炉は無理なのである。例えば延々と続く沙漠の中、あるいは人の住まない孤島など、場所を選ぶべきである。出来ないなら、もっと完全な技術を持つ国から電気を買うしかない。

フランスやアメリカから原子力発電の知識を持った人たちが、応援にやって来るらしい。もう来ているのかもしれない。今回の原発事故は改めて日本の電力事情を考える機会を投げかけてきている。我が家も数年前、風呂釜の故障からオール電化に切り替えている。

東北関東大震災20・ににん発送

2011年4月1日 金曜日

「ににん」の印刷所は広島県三原。荷物を発送した受付時間が3時15分だった。そうして到着したのが翌日31日の午後三時だった。こんな時期にもかかわらず凄い早さである。真夜中を「ににん」の詰ったダンボール箱を載せた車は、山陽道や東海道を走り続けてきたのだろうか。

いつものように、宛名ラベルとメール便シールを貼った封筒を用意しておいたので、到着と同時に封筒詰めを始めた。それで、真夜中までと今日の午前中を使って終らせた。なにしろ、そういう段取りで集配をお願いしてあったからだ。そこで七通ほど受付られないと弾かれた雑誌が残った。全部被災地である。残された宛名の人達は多分程度はいろいろかもしれないが、難儀をしているに違いない。

東北関東大震災19・貨車

2011年4月1日 金曜日

長き長き春暁の貨車なつかしき    加藤楸邨

我が家の最寄り駅は東武東上線とJR武蔵野線の交差駅。その武蔵野線はもともと貨車を通すのを目的に作られたものなので、貨車にはよく出合う。しかし、加藤楸邨の句のような長き長き貨車という感じではない。確かに昔はまだ続くのかと呆れながらその通過を待ったものだ。

このごろはそんなに長い貨車は通らない上に、貨車はところどころにコンテナが乗っているだけであとは空車なのである。もったいないなーと思いながら眺めていた。貨車自身も何だか白けながら走っているように思えた。ところが今日は行きも帰りも端から端まで重油タンクを積んだ貨車だった。貨車も働く時が来たかのようだ。

この現象も地震のせいか、或いは原発事故のせいだろう。今回の原発事故はだんだん深刻になってゆく。今日は津波で亡くなった人から放射能が検出されて、その処置に困惑しているニュースが流れた。もしかしたら、子供たちだけ安全な地域に疎開させる、なんてことにならなければいいが。

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