‘他誌からの転載’ カテゴリーのアーカイブ

『春月』・主宰戸恒東人 2012年1月号

2011年12月18日 日曜日

俳誌探訪   筆者 淡海うたひ

『ににん』(岩淵喜代子代表) 2011年秋号 通巻44号

 2000年9月、岩淵喜代子氏が埼玉県朝霞市にて創刊。季刊の同人誌。創刊号O号の「創刊にあたって」の中で氏は、「俳句の俳とは、非日常です。俳句を諧謔とか滑稽など狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細かいことに終わらないで、もっと俳句の醸し出す香りを楽しんでいきたいとおもいます。」と書いている。
 また37号では、「同人誌とは自分を発揮するための場と考えていただけばいい。『ににん』に拠れば自由に書く場と句を発表する場がある。」としている。大きな結社誌は内側へ視点を合わせているが、同人誌は、外へ向かって発信した編集になっている(11号)という。『ににん』 のホームページが充実しているのもこのコンセプトに適っており、私のような部外者でも創刊号から最新号までの目次と編集後記を見ながらこの欄を書くことが出来るわけだ。
 題字を読み込む「ににん集」は一人5句ずつ掲載。当号の題は「酌」。

   月下独酌このまま何処かに運ばれさう       岩淵喜代子
   かたはらに子猫眠らせ独り酌む           牧野洋子
   潜入の蟻は斟酌もなく潰す              川村研治

 雑詠の「さざん集」も一人5句ずつ掲載。

   八月の柱一つを拠り所                 岩淵喜代子
   木霊夜々宿して滝の落ちつづく            長嶺千晶
   送行や枕の硬き母の家                 新木孝介
   にきびのごと言語浮き立つ酷暑かな         栗原良子
 
 「物語を詠む」という24句述作の全画もあり、当号は松井今朝子作「吉原十二月」と日野啓三作「向う側」。

   門松の内輪向きなる置屋口              伊丹竹野子
   サングラスかけ向う側へ行つたきり          武井伸子

 連載評論は、岩淵氏のライフワークともいえる原石鼎研究「この世にいなかった俳人①」『手簡自叙傅』(四)のほか、田中庸介氏の「わたしの茂吉ノート二十二」『最上川の増水(その1)』、正津勉氏の「歩く入・碧梧桐」『子規膝下』、と大変充実している。
 この他、巻頭言に清水哲男氏の「下達雀からの眺め 七」『写真の目』、木佐梨乃氏の「英語版『奥の細道』を読む」第16回『尿前の関』。
 次号から十五周年に向けて、「火と灯の季語」を集める企画が発表されており、同人誌ならではの情熱とフットワークの良さが感じられる。

『花暦』12月号 主宰・舘岡沙緻

2011年11月25日 金曜日

俳誌展望          筆者 野村えつ子

ににん 2011年夏号季刊  

□ににん集より
独活大木鬼も独りになるときか     岩淵喜代子
ジャズピアノ独身貴族といふ日焼け  長嶺千晶
夏雲溶けて坦々と独走者        木津直人
罹災後の独り吟行てふ五月       栗原良子
夏の旅果て辿りつく吾が独居      四宮暁子
橋詰のカフェに独りの夏の雨      武井伸子
小豆島独り咳く人心澄む         中村善枝

□さざん集より
冬あかねカフェテラスからチェロの音   中島外男
やすやすと揺るるつり橋青嵐       服部さやか
ひたひたと月の波動や橋涼し       浜田はるみ
基地巡る夾竹桃も核の傘         伊丹竹野子
花人にざらざら風の吹いて来る      尾崎じゅん木
街なかに船鎮座する啄木忌        須賀 薊
蕗昧増や母の背にある陽の温み    牧野洋子

 平成十二年、朝霞市にて岩淵喜代子氏により創刊。理念は「同人誌の気概ということを追求していきたい」。詩人清水哲夫氏の巻頭言「震災詩歌」は自省なき震災詩歌作品群への失望と訴えです。連戦評論は昭和初年代の草田男を論じた長嶺氏の「降る雪や、そして結婚」、寡筆だった石鼎の生活を辿る岩淵氏の「手簡自叙伝」、茂吉の〈一本道〉の綿密な読みで本質に迫る詩人田中庸介氏の「道あかあかと」、歩く人であった碧梧桐の他界までを詳述した詩人正津勉氏の「引退から急逝へ」といずれも力の籠った内容です。武井氏の掌編小説を思わせる随筆「俳句の風景」、四宮氏の連載震災地の救援活動記もあり本誌の密度の高さが感じられました。

『天塚』11月号 主宰木田千女   

2011年11月12日 土曜日

現代俳句鑑賞  竹村良三

  紫陽花に嗚呼と赤子の立ち上がる    岩淵喜代子
  大花野越えきて襁褓まだとれぬ

 たまたま「俳句」九月号に赤ん坊を詠った句が並んでいたので一括して取り上げた。いずれの句も、子の成長見守る母の句であるが、底に人間愛が流れている。第一句(短夜の赤子よもつともつと泣け)は赤子の将来を祝福いるのだ。第二句、子はその期待に応えるかのように(海を見たまま)すでに遠い将来を見据えているのである。第三句、第四句、ここでは自然の美、いや人間愛がわかるまでに成長した赤子が詠まれている。(紫陽花)(大花野)の季語が生き生きと赤子の様子を伝える。(襁褓まだとれぬ)は(這えば立て立てば歩めの親心)なのだ。

『天為』 11月号 主宰有馬朗人

2011年11月12日 土曜日

現代俳句鑑賞        筆者五十嵐義知

 涼風の通ふところに集合す    岩淵喜代子

水面を吹きぬけてくるのか、打水のあとを吹く風か、涼風の通るところがある。あるいは冷房の自動ドアーの付近かもしれない。暑さのために自然にその場所が待ち合わせ場所、集合場所となってしまったのである。建物の影にかくれるように信号待ちをしている光景も、涼風の通る場所とは異なるかもしれないが、日差しを避けるために自然にそのようになるのである。

『雲』11月号・主宰 鳥居三朗

2011年11月11日 金曜日

俳句の窓  筆者 赤井子魯

折鶴に息を吹き込む夏休み  「俳句」九月号    岩淵喜代子

 折鶴は、ただ折って終わりということはなくて、息を吹き込んで初めて完成する。そのことを思い出させてくれた。広島忌、長崎忌と夏休みは折鶴に縁が深い季節だが、今年はさらに三月十一日の出来事が加わった。さりげない表現の中から、深い思いが伝わる。

『門』・主宰 鈴木鷹夫  11月号

2011年11月11日 金曜日

現代俳句月評    筆者   長 浜 勤

  地獄とは石榴の中のやうなもの  岩淵喜代子  「俳句」九月号

 農家の庭先などに昔からあるものが石榴であろう。晩秋になると、不規則に割れた実から数多の赤い実が現れる。強い個性にひかれて絵筆をとりたくなることがある。中国などでは子孫繁栄を願って植えられたというが日本の場合は実を食べるための目的だろうか。勤務先の学校にも石榴があるが誰に聞いてもこの樹木を植えた理由がわからない。教師の目を盗んで食べる生徒もいるから面白い。中国から日本に伝わったのは十世紀だというが、もう少し早いのかもしれない。
 柘榴の味はその見た目と同じようにくせがある。人肉に似た味がするとも言われる。他人の子を食う鬼子母神は自分の末子を仏に隠されて改心したという話がある。このことから柘榴は子を守る魔除けとしている地域もある。さて、地獄とは柘榴の中というのは、強い言葉の組み合わせだ。地獄の苦しみが一粒づつの柘榴の実であるようにも鑑賞でき、実の割れ方も尋常ではないところに納得した。

『春耕』・主宰・棚山波朗 創刊45周年記念号 10月号

2011年11月11日 金曜日

鑑賞「現代の俳句」    筆者  蟇目良雨

  地獄とは柘榴の中のやうなもの 岩淵喜代子   「俳句」9月号

 天国と地獄、地獄と極楽など表現は違うにせよ洋の東西を問わず人の心の中に地獄はあるようだ。心の中と言ったのは誰も見たことが無いからである。想像でも地獄という概念を考え出した人間は罪深いと思う。人も草本鳥獣と同にとする考えからスタートすれば生と死も何の疑問を持つことなく受け入れ、天災人災を受けたとしても天国やら地獄やらを考えなくても済むはず。地獄もあるぞと脅して天国や極楽という飴玉を見せ付けているのだと思う。
 さて揚句であるが裂けた柘榴の中を見ると確かに地獄のようにも見える。地獄はそんなものじゃないという声も聞えてきそうだが、その人はその見える形を提示すればいい。私には印象鮮明な句に思えた。

『空』10月号・主宰 柴田佐知子

2011年11月11日 金曜日

俳句展望 筆者 高倉和子

   地獄とは柘榴の中のやうなもの      「俳句」九月号  

 熟してぱっくりと裂けた柘榴に一瞬にして地獄を感じた感覚は鋭い。びっしりと並ぶ実の色は鮮烈な赤い色であり、血や炎の色を連想させる。
柘榴には鬼子母神の拙話があり、人間の子供を食べる鬼子母神を釈迦が諭し人肉の替わりに食べるように与えたという。この拙話を超えて地獄と言い切る作者の思い切りの良さに感服した。

『麻』10月号 ・主宰 嶋田麻紀

2011年11月11日 金曜日

現代俳句月評             筆者 川島一紀

  地獄とは柘榴の中のやうなもの   「俳句」九月号

柘榴の実の中は鮮紅色のルビーのような珠玉が詰っている。これは、多数の種が纏っている外種皮である。ぬめぬめした紅玉が立錐の余地の無いように犇めき合っている。ある意味では、種がのたうつ赤い地獄のようでもあると感じる。

『山彦』・主宰 河村正浩

2011年10月30日 日曜日

他誌拝見           筆者 藤井サカエ

 ににん  夏号 通巻四十三号
代表 岩淵喜代子 平成十二年、埼玉県朝霞市にて創刊。主張 同人誌の気概ということを追求していきたい。

巻頭言 「震災詩歌」     清水 哲男
 文中から転記させていただく。「いま(震災詩歌)とても名付けたいような作品群が続々と登場しつつある。(略)ざっと目を通した感想を書いておくと大いに失望したというしかない。失望を通り越して腹立たしさえ覚えた(略)」。
天災はともかく原発事故さえも天災のように見なしたり、白身とは無関係という立場の作品へ我慢がならないと警鐘を鳴らしている。
 「太陽の季節」を詠む           伊丹竹野子
  火に油そそぐ逢瀬の花衣
  ヨットの帆上げる男の心意気
  夏の夜の熱きくちづけ海の中
 映画「太陽の季節」が若者に与えた影響は大であった。時代を先取りし、ぎらぎらと輝く大陽のような映像・エネルギーの爆発は若者を魅了した。今も懐かしい心躍るシーンが蘇る。
にににん集 課題「独」三十七名二八五句)
  独逸語の怒れるごとく胡桃割る    長峰 千晶
  独身の友一人減る薄暑かな      服部さやか
  独り酌ぐ音透きとほる夜長かな    今井 宗睦
  おそろしきかな朧夜の独り言     川村 研治
  独鈷杵の黒光りして雷の音      木佐 梨乃
  年の瀬の雑踏に居て独言       中島 外男
さざん集
  遠足の眼泳がす水族館         平林 恵子
  柏餅過保護な母といわれても     石井 圭子
  船腹を真赤に塗つて夏兆す      宇陀 草子
  箱に箱重ねてみたる日永かな     武井 伸子
ミニエッセイ 「月下独酌」 代表をはじめ十人の方々の月に因んだミニエッセイが掲載され、肩の力を抜いて読み進められるように構成されている。
連載評論「預言者草田男」(一一十回)    長嶺 千晶
  降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男 良く知られているこの句についての評論が掲載されている。昭和六年の初句会で虚子の選を受けたが、「や」
「けり」の重なり「瀬祭忌明治・こ の類想句だと糾弾されたりとこの句は物議をかもした。続いて何故「明治なのか」と言う事にも触れられており一気に読ませる読み応えのある作品である。
 六十ページ中巻頭言を除き前半三十ベーダが俳句で、後半が評論四編・エッセイ等々書き手の揃った同人誌である。俳誌の主張にもある通り「同人誌の気概」が溢れている。

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