‘他誌からの転載’ カテゴリーのアーカイブ

足裏の火照りてきたる盆踊    岩淵喜代子

2014年10月11日 土曜日

筆者  赤木和代

(ににん夏号より)生活「踊」の傍題「盆踊」の解説に、俳句では単に「踊」というだけで、盆踊を意味する。盆踊は平安初期の空也上人や時宗の一遍上人が広めたと言われる念仏踊を起源とするもので、盆に迎えた霊を供養し、かの世へ送り返すためのものであったという。

今では、娯楽の要素が多い。櫓を中心に二重三重の輪を作って踊っていることが多い。盆踊の曲も新しいものは馴染がないが、昔から踊っている曲は自然と手足が動く。岩淵氏の句、時間の経つのも忘れるほど没頭して踊り続けたのであろう。下駄と足裏の摩擦熱も感じられる句である。(「笹」2014年10月号・現代俳句月評より)

夜光虫の水をのばして見せにけり   岩淵喜代子

2014年10月3日 金曜日

評者 蟇目良雨

(「俳句界」2014年月号)  夜光虫が波間に見せる光の変幻は見ていても興味が尽きないが、その変幻の最中に夜光虫が水を引き延ばしているように見えた一瞬をとらえたが掲句である。夜光虫の数万の群れが一生懸命に水を引っ張り延ばしていると思わせることで一つ一つの夜光虫の動きまで見えてくるようだ。夜光虫の動きを見詰めつづけて得られたもので、「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中に言いとむべし」芭蕉を実践して得られた堅実な写生句になった。
「春耕」10月号 鑑賞「現代俳句」77より

極楽も地獄も称へ盆踊り   岩淵喜代子

2014年9月21日 日曜日

評者 春田千歳

(ににん夏号)極楽も地獄も称へ、というフレーズに驚いてしまったが、私は東京佃島の念仏踊りのことを詠んだ句だと表題にある。私は毎年七月の行われるこの盆踊を見たことはなく具体的にどのように踊るのかどのような歌詞なのかわからないがどうも「南無阿弥陀仏」という言葉が唄い込まれているらしい。由来を調べてみると江戸時代、摂津の国から移住してきた漁師達が本願寺教団の信徒であり、隅田川の近辺の無縁仏供養が踊りの発端であったらしい。

東京の超高層マンションの林立するすぐ近くで昔と変わらない念仏踊りが今も継承されていることに感動するとともに、もし私がこの地を吟行したならばお祭りの情緒に流されてしまって観光俳句になってしまうだろうと思った。しかし作者の岩淵氏は「南無阿弥陀仏」と言って踊る人の心のなかに入り、極楽も地獄も称えるというこの独特の祭りの本質を掴んだのだ。素朴で力強い人間本来の姿をみたのではないだろうか。同時発表の句をもうひとつ

水盤に水を満たして留守居かな

祭りでにぎわう表通りをちょっとはずれた小路での景か。水盤とは平たい陶製の花器のことで水辺の景を飾ったり、すらりとした草花を活け涼を楽しむものである。通りすがりにtyっと覗いた一軒の家かもしれない。
祭り囃子の聞こえる座敷でゆったりと水盤の水を眺めている家人がいる。祭りで楽しむ人と、家で静かに待つ人。動と静の対照。どちらも大切な時間が流れてゆく。
2014年9月号「未来図」現代俳句逍遥より転載

月齢をかぞへてをれば雪しずり    岩淵喜代子

2014年9月20日 土曜日

評者 岩男 進

(個人誌「白い部屋」)月齢を数えているのだから、しずりは聞こえてくるのである。しずりが聞こえるには相当静かな環境が必要で、そのなかでひとり月齢を数えている。 釣りにいくのか月見の算段か。それとも占いか女性のコンディションか、障子に閉ざされた部屋の中はしかしあくまでも静寂である。「六曜」2014年36号 「575の散歩」より転載

逃水の向うに道の続きをり   岩淵喜代子

2014年8月9日 土曜日

評者・今野好江

(『俳句四季』6月号 「遍路」)<蜃気楼>現象のひとつである(逃水)。遠くの道路面に水たまりがあるかのように見え、近づくにつれ遠ざかることから(逃水)という。地面近くの異常高温による光の異常屈折現象である。
現実にはないものを追う虚しさ。追っても追いつけないまぼろしである。

逃水や道の片側田水鳴る   角川源義

今はもう、まぼろしを追うよりも田水の音や、その先に続く道をゆく作者なのであろうか。(ランブル8月号  現代俳句鑑賞)

お遍路の踵に蟇のぶつかり来    岩淵喜代子

2014年8月5日 火曜日

 (山繭8月号 現代俳句鑑賞より  筆者・佐々木経子) 遍路は春の季語で、遍路そのものを詠んだ句が多い中この句は意表を突いている。蟇は穴から這い出す頃ではまだ機敏に動けない。お遍路の踵にぶつかり思わず踏まれそうになって驚いていることだろう。季語二つであるが「蟇」に重きを置きたい。お遍路の甲高い声も聞こえてきそうだ。俳諧味、滑稽味のある句で明るい。(「俳句四季」6月号発表句)

青空の果ても青空揚雲雀   岩淵喜代子

2014年8月5日 火曜日

 (春嶺8月号 現代俳句瞥見より 筆者・縣 恒則)  よく晴れ渡った青い空が広がっている。その青い空へ舞い上がると、広がっていた青空の遠くに更に空が青く晴れ、広がっていた。揚げ雲雀の視点で捉えられた限りなく青い、しかも広々とした空だ。繁殖期の雄は空高く舞い上がるが、その雄雲雀になりきった作だ。(「俳句四季」6月号発表句)

カステラと聖書の厚み春深し  岩淵喜代子

2014年8月5日 火曜日

(「俳句四季」3月号一枚の絵)シリーズ掲載の「1枚の絵」。逸水御舟の「伊太利亜オリヴェート所見」の絵に掲句が寄せられている。絵の選択は編集者か作家か定かではないが、「炎舞」などの御舟の代表作でないところに意図が感じられる。画面いっぱいにイタリアの家屋を据え、いく分物憂げな、、いわゆる御舟らしくない絵。作者はあえてその絵に描かれていないカステラと聖書を即物的に据えた句を寄せた。そこに思い入れがあるのだろう。その結果、単なる絵の説明にならず、独立した一句となった。
キリスト教文化を土台にした生活劇と作者独自の色彩までが「一枚の絵」に加わる。深みゆく春を立体的に据えて、イタリアの田舎街の日常を描いた御舟の絵と響き合う。絵と句の距離感が心地よい。(筆者・閲朱門 『門』6月号より)

『好日』2014年8月号  主宰・長峰竹芳

2014年7月28日 月曜日

俳誌月評  筆者・広畑美千代

「ににん」冬号  通巻53号 季刊
代表岩淵喜代子。平成12年埼玉県朝霞市で岩淵喜代子が創刊。発行所朝霞市。

火と灯の祭祀「奈良」若草山焼き
伊丹竹野子作品「山談義」より
春日野の春を先取るお山焼
山焼きて寺領争ひ止めたといふ

岩淵喜代子作品「冬萌え」より
寂々と日の彩りの霜柱
梟に胸の広場を空けてをく

ににん集  (兼題 広場)
をちこちで白き息たつ広場かな   新木孝介
椋鳥鳴きて広場は影の中にある   木津直人

さざん集
これはこれは入場無料懐手     山内美代子
産声は秋の嵐を貫けり       阿部暁子

木佐梨乃氏「英語版奥の細道を読む」、正津勉氏「乞食路通」、高橋寛治「定型詩の不思議」、田中庸介氏「わたしの茂吉ノート」など連載は読み応えがある。代表の講演記録『二冊の「鹿火屋」』を八頁に亘り掲載。「秀句燦燦」には長峰竹峰句集『暦日』より(どんぐりは真正直に落ちてゐる)を抽出。?ぎ立ての句群は素朴な俳味と滋養に充ち、噛めば噛むほど味わい深いと鑑賞。
巻末には付録として五氏によるエッセイ集「雁の玉章」がある。

『貝の会』2014年8月号 主宰・澤井洋子

2014年7月28日 月曜日

俳句四季6月号より   筆者・水間千鶴子

春暁の音に明暗ありにけり   岩淵喜代子
夜から朝へ時はしろじろと移る。朝刊の届く音、水汲む音、鳥の声、始発列車の音…。その音色さまざまに、人それぞれの新しい一日が始まる。(春暁のあまたの瀬音村を出づ  飯田龍太)に通う情景。漢字「聴」が浮かぶ。

お遍路に山のひきよせられてゆく     岩淵喜代子
山がお遍路を引き寄せるのではなく、逆にお遍路が山を引き寄せる、という発想に感銘を受けた。歩く程に魂は浄化され、山の霊気と一体になる。白装束と青い山の対照も際やかに、自然への畏敬の念が伝わる。破調のリズムも心惹かれる。漢字「信」が浮かぶ。

逃水の向こうに道の続きをり   岩淵喜代子
道又道逃げ水また逃げ水、歩けど追いつけど尚遠ざかる。透明な炎よ。漢字「遙」が浮かぶ。(逃げ水を追ふ逃げ水となりしかな。 平井照敏)と同様、不思議な距離感の漂う一句。

トップページ

ににんブログメニュー

HTML convert time: 0.234 sec. Powered by WordPress ME