‘他誌からの転載’ カテゴリーのアーカイブ

『若竹』2012年10月号 主宰・加古宗也

2012年10月6日 土曜日

一句の風景   筆者江川貞代

椎匂ふ椎の闇より闇を見る    岩淵喜代子 「俳壇」六月号より

 椎の花は青臭い強烈な匂いがする。女であれば女を、男であれば男を意識してしまう一種独特な匂いともいえる。
 作者は椎の大木の「闇」の中に立っている。むんむんと花の匂いの重く淀んだ空間は、現実の「闇」である。そこから別次元の「闇」を見る。岩淵氏は「俳句の俳とは、非日常です。日常の中で、もうひとつの日常を作ることです。」と述べられているが、この別次元の「闇」は作者自信が作り出した非日常のものだろう。それは作者の心象風景か、あるいは性の深淵か、それとももっと根元的な人間の罪業のようなものか。作者は瞬きもせず、その「闇」を見据えている。上五の「椎匂ふ」の措辞が、両方の「闇」に照応し、その重層性が句に深い奥行きを与えている。

『澤』2012年10月号 主宰・小澤實

2012年10月3日 水曜日

窓   俳句ホームページを読む

「ににん」  筆者 野渾 雄

 「ににん」は岩淵喜代子氏を中心に活動する俳句同人でホームページのタイトルも同じ「ににん」。ににんの目指す俳句は「俳句の俳とは、非日常です。日常の中で、もうひとつの日常をつくることです。俳句を諧謔とか滑稽など狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細かいことに終わらないで、もっと俳句の醸し出す香りを楽しんでみませんか。」幅広く、ゆったりとした楽しげな俳句のイメージを持っているのであろうか。
 岩淵喜代子氏は現在、俳人協会会員、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員、世界俳句協会会員で、著作には第一句集『朝の椅子』、第一回俳句四季賞を受賞した第二句集『螢袋に灯をともす』、第三句集『硝子の仲間』、第四句集『嘘のやう影のやう』、第十一回文学の森優良賞を受賞した恋の句愛の句『かたはらに』、現代俳句文庫『岩淵喜代子句集』、俳詩集『淡彩望』、連句集『鼎』など。そのほか、埼玉文芸賞を受賞した評伝『頂上の石鼎』がある。
 さっそくホームページを見てみよう。同人誌におけるホームベージの最大の役割はなんと言ってもその本体である「俳句雑誌」の紹介にある。確かに結社の宣伝をしていても肝心の「雑誌」の内容が何年も前の内容から更新されていないと「果たしてこの同人(あるいは結社)はまともに活動しているのだろうか」と心配になってしまい宣伝とは真逆の効果を与えてしまいそうな所が多い中、最新号の目次があると言うことはとても安心感がある。
 なお、「ににん」は四月(春号)、七月(夏号)、十月(秋呼)、一月(冬号) の季刊ペースの発行のようだ。目次の他にも編集後記、同人の記事掲載やお知らせなども掲載されており、活動の息吹が感じられるところが好ましく感じられる。
 また「ににん」ではホームページから投句の受付もしているが雑詠ではなく兼題、現在は【新企画】投稿俳句・火と灯の歳時記と銘打って火の季語、灯の季語を詠んだ作品を募集している。
 結社誌や同人誌を読む場合、この結社や同人にはどんな人が参加しているのか、割と気になるたちなのだがこのホームページからは「ににん」に参加している同人たちのブログなどへのリンクが張られている。清水哲男氏の「増殖する俳句歳時記」、詩人の正津勉氏の「正津勉のゼミ」、同人の作った句集の紹介など興味は尽きない。
 さて、岩淵喜代子氏の俳句。プロフィールに氏の第二から第四句集に掲載された作品の抜粋が掲載されているので鑑賞してみることにする。
 氏を―言で表すと「週刊俳句」の平成二十年五月十一日付けに掲載された中西夕紀氏の表現を借りるならば「寡黙な無頼派」であるそうだ。またパソコンの扱いに堪能らしく、これはホームページを見た印象からも窺える。

蝙蝠やうしろの正面おもひだす
端居して帰りゆき処のなきごとし
空也忌の闇が動いてくるやうな
逢ひたくて螢袋に灯をともす

 これらは第二句集『螢袋に灯をともす』に掲載された句であるが時間と空間と感覚、あるいは感情の動きが一連の流れを持って表現された、と言ったらよいのであろうか、自分の語彙の貧しさと感性の鈍さにもどかしさを覚えてしまうが、ふいに意味もなく中原中也の詩を連想させられてしまう作品である。

ストーブに貌が崩れていくやうな
穂薄も父性も痒くてならぬなり
雛流す水を選んでゐたりけり
緑蔭を大きな部屋として使ふ
空蝉も硝子の仲間に加へけり
生きること死ぬことそれより練群来

 第三句集『硝子の仲間』の中の作品はシュールレアリズムというのであろうか、非常に身近な題材も何故か現実という枠を超えた作品として成立していることに違和感よりも親近感を覚えることが不思議だ。まるで、ダリやマグリットの絵画を連想させられる。
 私は残念ながら普段の岩淵喜代子氏の様子を知ることがないため、本当は陽気でおしゃべりな方だと申し訳ないがやはり、作品を読ませて頂いた限りでは「寡黙な無頼派」言い得て妙である。

『雲』2012年10月号 主宰・鳥居三郎

2012年10月3日 水曜日

句集のこころ    筆者 瀬戸幹三    

『白雁』岩淵喜代子(角川書店)

  夜が来て蛎幅はみな楽しさう
 子どもの時にこの句に接していたらどうだったろう、と考えた。あの飛び方は、はしゃいでいるのかもよ、と聞かされていたら。夏の夕景への感じ方が変わっていたかもしれない。

  七夕やときをり踏みし海の端
 海の端は陸の端でもある。その越えられない境界をそっと踏んでいる。壮大な七夕の物語のシチュエーションとの響き合いを思った。

  箱庭と空を同じくしてゐたり
 空の広さから見れば、箱庭も我々も同じ大きさである。ミニチュアを見ていると思ったら、一気に広がる視点。「箱庭」が季語であることが、分かった気がした。

   素手素足集め夜話続くなり
 版画を見ているようである。暗い部屋に手と足が見える。そして、夜話の語り手を一心に見つめている顔。素朴で、特に山場のない話。しかし結末が聞きたい。

  花冷えや裏返しても魚の顔
 気がつくと魚の体は不思議である顔半分ずつの表裏。 ふと冷静になるのは、寒さの戻った日だからか。そんな思いにかかわらず、魚は美味しく食べられていく。

  郁子を手に夜汽車のやうな地下鉄に
 地ド鉄には単なる移動手段というイメージが強い。しかし夜汽車にはノスタルジーをはじめ、人の感情が伴う。二つを結び付けたのは、手に持っている郁子である.

瓢箪の端に並べば楽天家
作者の笑顔の写真を見ているようである。他に「よく笑ふ鳥も加へて避暑の宿」「盆踊り人に生れて手を叩く」などなど、誠に楽しく読ませていただいた。

『松の花』2012年10月 松尾隆信

2012年10月3日 水曜日

現代俳句管見 句集より   筆者斎藤良子

句集『白雁』 岩淵喜代子
 万の人間の一人として万の鳥の一羽を詠む。 等身大の人生から、ユーモアの歩幅とペーソスの歩速で抜け出してはまた、岩淵喜代子は地上の船に還ってくる。(清水哲男 帯文より)

  水無月の平手にあたる馬の胴
  野馬追の武者を差し出す大藁屋
  青鷺の飛び立つときの煙色
  深閑と蓮にぶつかる蓮見舟
  大南瓜椅子に置かれて幾日か

 馬の句が四句野馬追を詠っている。 福島県浜通り北部は旧相馬藩領で、野馬追の神事と祭が行われるが、神事は国の要無形民俗文化財に指定され、東北六大祭の一つにもなっている。現在は神事と祭は分離され別々に行われている。平将門の時代の軍事訓練が元といわれる。

  雁渡し仏も影をつくりけり
  かりがねの夜も一列の藁ぼつち
  水霜や裏表紙へと絵のつづき
  万の鳥帰り一羽の白雁も

 句集名は〈万の鳥帰り一羽の白雁も〉から採用したとある。
 日本には冬鳥として稀に飛来するようだが、嘴と足が桃色、風り羽が黒色の他、青色型も居て、胴体や翼の羽衣が淡々灰色や暗青灰色も居る。

『遊牧』2012年10月号 主宰・塩野谷 仁

2012年10月3日 水曜日

好句を探る   筆者 板間恒子

 次郎より太郎がさびし桐の花    岩淵喜代子

岩淵喜代子句集「白雁」より。
太郎・次郎と言えばすぐ三好達治の詩が浮かぶ。

 大郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。(雪)

 この場合の太郎・次郎は、日本のごくありふれた伝来の名前である。太郎の家にも、次郎の家にも音もなく雪が降り積もる。民話風でノスタルジーに溢れている。
 掲向の太郎・次郎も子どもの代名詞だが、「より」という助詞によって二人の間には格付けがある。太郎は農家の長男・次郎は次男三男。「家」制度において土地を独占的に相続する太郎。土地から切り離される次郎。しかし「家」制度の崩壊、農村社会の崩壊によって二人の場は逆転したと言えそうだ。家と近代的自我との葛藤に苦しむ太郎。太郎の心象は淡紫の美しい「桐の花」によって際だつ。桐は成長の早い木、材は軽く狂いが少ない木として古くから植栽されてきた。「さびし」という平仮名表記、「び」という濁音も含めて幽かに響く音。太郎・次郎という平凡な二語で今を表現した。

『遊牧』2012年10月号 主宰・塩野谷 仁

2012年10月3日 水曜日

好句を探る    筆者清水 伶 
 
万緑の隙間のごとし黒衣着て  岩淵喜代子

 「俳句四季」九月号巻頭句より。句集『白雁』をこの四月に上梓され、代表をされている同人誌「ににん」のブログ上でもその評価が高く、各誌からの転載が華やかである。
 揚句、爽やかな緑溢るる明るい日射しの中で、黒衣を纏ったときの自分の存在感、あるいは今自分の居るこの場所を「万緑の隙間」のようだと思う感覚。生命力の漲る万緑の自然界、それに対し「黒衣」に象徴される死は、われわれの思考や行為が生み出す世界とは全く懸け離れた世界である。私たちは死へ向かって何事を企むことも図ることもできないが、実は、この生もまた企みようがないのである。いまは、私たちはただこの生命を満たして、多くの魂へ供養を張るしかない。
 万緑の隙間の暗がり、万緑の下の暗がりに展ける時空は、このような予兆に満ちたものであることに違いない。私たちは、あの震災以来、こころに深い悼みを抱えてしまった。この地上の生命は絶えず変化を続けているのに、その中で私たち人間の考え、思想だけが、停滞し澱んでいる。

遠矢』2012年10月号  主宰・檜 紀代

2012年9月21日 金曜日

現代俳句月評  筆者・関口 巌

蛸斟の国日の出日の入り響きけり 岩淵喜代子
                   「俳壇」六月号、「葦舟」より。

 生まれたての蝌蚪は群を成し黒い塊となっています。あたかも一つの国のように。蝌蚪も朝・夕は精力的に捕食行動にでますので、それを騒乱のようだと捉えています。水底の騒乱の音は、聴覚には反応
しませんが、視覚より心に強く響いてくるものがあると作者は詠われました。
 田舎育ちの筆者も同感です。三段切れにも見えますが、対比を用いた一句一章形です。

春月2012年10月号  主宰・戸恒東人

2012年9月21日 金曜日

句集の泉    筆者 長谷川耿人

岩淵喜代子句集『白雁』

 昭和十一年、東京生まれ。昭和五十一年、「鹿火屋」入会。原俗に師事。のち、川崎展宏の「招」創刊に参加。平成十二年、「ににん」創刊、代表となる。著書に、句集『朝の椅子』『螢袋に灯をともす』『硝子の仲間』『嘘のやう影のやう』、評伝『頂上の石鼎』など多数。 現在、「ににん」代表。俳人協会会員、現代俳句協会会員、国際俳句交流協会会員、日本文蓼家協会会員、日本ペンクラブ会員。平成十三年に句集『螢袋に灯をともす』で第一回俳句四季大賞、平成二十二年には評伝『頂上の石鼎』で第四十一回埼玉文芸賞を受賞。埼玉県朝霞市に在住。

 句集『白雁』は著者の第五句集であり、三百八句を収める。 あとがきに、句集名は

  万の鳥帰り一羽の白雁も
 の句から採用しました、と記してある。
  茎立や壁新聞の重ね張り

 フェルトペンに手書きで発行を続けた被災地石巻の新聞社を思い出した。厚くなった壁新聞に、読者と記者のつながりの深さを感じてしまう。

  ががんぼの打つ戸を開けてやりにけり

 心優しい著者である。風の強い日にはどうしているのだろう…と考えているかもしれない。自然界の多様性には分からないことばかりだが、人間に生まれたからには、すべての生きものに優しくしたいものだ。

  ふところに入らぬものに仏手柑

 ちょっと失敬して…は確かにできなさそう。枝が道にとびだしていたもので、美味しかった記憶がない。

  雁の声みづから夜具を敷く宿に

 連衆で雁の沼を訪れたのであろう、併せて十句が並ぶ。街で宿をとるような無粋なことはせず、雁の声を彼方に床へ。雁の気持ちに少し近づいた著者であった。
 清水哲男氏は帯に、万の人間の一人として万の鳥の一羽を詠む。等身大の人生から、ユーモアの歩幅とペーソスの歩速で抜け出してはまた、岩淵喜代子は地上の船に還ってくる、と記している。

『吉野』2012年8月号 主宰・野田禎男

2012年9月7日 金曜日

総合誌の秀句

闇匂ふ闇の中より闇を見る    岩淵喜代子 (俳壇6月号)

椎の花の夜を通しても強烈に匂ってくる様を、これまでの人生にも重ねて、これでいいのよね、と念を押している面白さがある。

『雉』2012年9月号 主宰・田島和生

2012年9月5日 水曜日

俳書紹介    筆者 二宮英子

『白雁』岩淵喜代子
 『白雁』は二〇〇八年に上梓した『嘘のやう影のやう』に次ぐ第五句集で三〇八句を収録する。
 句集の名の『白雁』は、《万の鳥帰り一羽の白雁も》から採る。

  夜が来て煽蛸はみな楽しさう

 蝙蝠の飛び交うさまを楽しそうだと受止めた句。蝙蝠のスピードを感じる大胆な句。

  晩年は今かもしれず牛蛙

 さらりと真実を言い遂げられていて、どきっとする句。晩年は確かにもう来ているのかもしれない。

  サングラス独りごころを育てをり

 サングラスをかけると世間と距離が広がる感じがする時もある。繭に籠るような心地かもしれない。「独りごころを育てをり」心の中を言われて粋だと思う。

  昼も夜もあらずわれから鳴くときは

 「われから」は正体不明の生物。例句を見たことがない季語である。昼も夜も鳴く「われから」に今の気持ちを重ねあわせてみた。俳句の可能性を広げてみせてくれた感じがした。

  盆踊り人に生まれて手を叩く

 人として生まれたからこそ、盆踊りの輪の中に入り手をたたいているのだ。切なくてうれしい。

  神棚は板一枚や法師蝉

 神棚は板一枚と見届けられたところが、この句のポイントであろう。法師蝉が鳴き始める朝夕には秋の気配が濃くなる。家の内に居て聞く秋の蝉である。

  地獄とは柘榴の中のやうなもの

 「地獄」と「柘榴」との果てのない離れようが見事である。美しい転進とも受け止めた。
 作者はあとがきでこう書いている。「書くことは《生きざま》を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方ありません。句集作りは今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました」。改めて俳句の深さや幅の広さを実感する句集であ
った。

  尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
  幻をかたちにすれば白魚に
  登山靴命二つのごと置かれ
  鳥は鳥同士で群るる白夜かな
  風呂吹を風の色ともおもひをり

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