句集のこころ 筆者 瀬戸幹三
『白雁』岩淵喜代子(角川書店)
夜が来て蛎幅はみな楽しさう
子どもの時にこの句に接していたらどうだったろう、と考えた。あの飛び方は、はしゃいでいるのかもよ、と聞かされていたら。夏の夕景への感じ方が変わっていたかもしれない。
七夕やときをり踏みし海の端
海の端は陸の端でもある。その越えられない境界をそっと踏んでいる。壮大な七夕の物語のシチュエーションとの響き合いを思った。
箱庭と空を同じくしてゐたり
空の広さから見れば、箱庭も我々も同じ大きさである。ミニチュアを見ていると思ったら、一気に広がる視点。「箱庭」が季語であることが、分かった気がした。
素手素足集め夜話続くなり
版画を見ているようである。暗い部屋に手と足が見える。そして、夜話の語り手を一心に見つめている顔。素朴で、特に山場のない話。しかし結末が聞きたい。
花冷えや裏返しても魚の顔
気がつくと魚の体は不思議である顔半分ずつの表裏。 ふと冷静になるのは、寒さの戻った日だからか。そんな思いにかかわらず、魚は美味しく食べられていく。
郁子を手に夜汽車のやうな地下鉄に
地ド鉄には単なる移動手段というイメージが強い。しかし夜汽車にはノスタルジーをはじめ、人の感情が伴う。二つを結び付けたのは、手に持っている郁子である.
瓢箪の端に並べば楽天家
作者の笑顔の写真を見ているようである。他に「よく笑ふ鳥も加へて避暑の宿」「盆踊り人に生れて手を叩く」などなど、誠に楽しく読ませていただいた。