‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

2017年受贈著

2017年3月9日 木曜日

2017年受贈書籍

筑紫磐井・『季語は生きてゐる
ーー季題、季語の研究と戦略ーー』2017年  実業広報社
小川軽舟・『俳句と暮らす』          2016年     中公新書
島田牙城・『俳句の背骨』           2017年     邑書林
大崎紀夫・『nの方舟』ーー大人の童話     2017年     ウエップ
小島良子・『続・自習室』--現代の俳句を詠む 2017年       文学の森
小川軽舟著『俳句と暮らす』               2017年      中公新書
井上弘美著 『季語になった「京都千年の歳時」』2017年      角川書店

義仲寺の前通りゆく蜆売  浅井陽子

2017年2月27日 月曜日

「自註現代俳句シリーズ・12期11  『浅井陽子集』より   2017年  俳人協会」より

滋賀県大津にある義仲寺といえば、木曽義仲の葬られている寺である。そのうえ芭蕉の墓もある。そう聞くと立派な寺を想像してしまうが、まことに小さな墓所である。

蜆売りの声がまともに寺社を筒抜けに通り過ぎていくのが想像される。ほかに(卒業歌聞こゆる島の港かな)(サングラス外して鳥を見失ふ)(新涼の机に貝の砂こぼす)など、風土の匂いのする一集である。

まるまるとゆさゆさとゐて毛虫かな  ふけとしこ

2017年2月27日 月曜日

ふけとしこ著「俳句とエッセイ『ヨットと横顔』」2017年  創風社出版より

植物に詳しいというより植物や小さな生き物に、ことに興味を持っている俳人として印象を持っている。(まるまると)に続く(ゆさゆさと)で、毛虫と等身大になった作者が見えてくる。

ふけとしこ氏は「ほたる通信」というはがきの通信紙を発行して、俳句とエッセイを発表している。ここには、必ず手に取って、必ず読んでしまうという仕掛けがある。ほかに、(言い忘れすことばのやうに幹の花)(霜解けの始まつてゐる朝ごはんおとうとをタマト畑に忘れきし)(遠く見るものにヨットと横顔と)などの作品がある。

正面にイエス小さし卒業歌    黒澤あき緒

2017年2月9日 木曜日

「句集『5コース』2017年 邑書林」より  帯文・小川軽舟 非常にシンプルな切り取り方をした作品である。シンプルではあるが、イエスの像か絵画かが正面にあるのだとすれば、カトリック系の学校なのだろう。讃美歌も歌い慣れていて、荘厳な空気が伝わってくる。 他に(宝石に小さき値札春霙)(風花の音とも覚ゆ炭手前)(薯食うて鼻が大きくなりにけり)など。繊細な切り取り方と大胆な切り取り方がある。岩淵喜代子

コンビニの離陸しそうな花月夜    中村光声

2017年1月2日 月曜日

「中村光声第一句集『聲』 2016年  ふらんす堂」より

「コンビニが離陸しそう」の措辞にわけもなく納得し同感してしまった。他に「秋蝶の触れたるものに触れにけり」など。句集全体では抒情的な作り手だと思うのだが、素材の新鮮さが魅力を引き出している。

あめんぼう大きく四角張つてをり   草深昌子

2016年12月24日 土曜日

(草深昌子第三句集 『金剛』 2016年 ふらんす堂)より

ほかに( 七夕の傘を真つ赤にひらきけり)(一束は七八本の苧殻かな)(初蝶の如雨露を越えて来たりけり)(豆飯に豆の潰れてあるが好き)(蝌蚪の来て蝌蚪の隙間を埋めにけり)など、枚挙に遑が無い。

掲出句、大きな足を四方に踏ん張っている姿は、生き物への愛おしみの視点が働いている。(四角張って)という捉え方とは裏腹に、あめんぼうは華奢な生き物である。

去年今年夢の中にも鳥居かな   松尾隆信

2016年12月24日 土曜日

(松尾隆信 句集『弾み玉』  2016年  角川書店)より

これから初詣に行こうとしている時間なのか、あるいはもう済ませてきたのか。そうして、転寝の間にか、あるいは元日の朝の目覚めの後なのか。どちらにしても印象に残っているのが鳥居というのも可笑しい。

昼寝より起ちて巨人として去れり   宗田安正

2016年12月24日 土曜日

(宗田安正第三句集 『巨人』  2016年  沖積舎)より

昼寝の間は頑是ない子供と同じように他愛なく眠っていたのだろう。それは誰でも同じ姿をしている。だがひとたび目覚めてみれば、現世のしがらみの鎧を纏って、どこかに向かっていく後ろ姿になるのだ。(巨人として)には昼寝から立ち上がったものの気迫のようなものも見えてくる。

氷瀑をしばらく雨の叩きけり    奈良文夫

2016年12月24日 土曜日

(奈良文夫第六句集 『急磴』   2016年   ウエップ)より

氷った滝、その動きのない滝、しかも音もない滝をしばらく雨が叩いたのは、作者だったかもしれない。あるいは作者の思いが雨になったのかもしれない。

水辺とは十一月の鳥の数   木内憲子

2016年12月24日 土曜日

木内憲子第二句集 『夜の卓』  2016年  ウエップ

十一月をなんの衒いもなく言い切って、水辺の鳥の動きを穏やかな小春の中に据えた手腕が見事だ。

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