‘受贈著書’ カテゴリーのアーカイブ

火の神をねぎらふ冬至祭せむ   矢島渚男 

2015年10月3日 土曜日

矢島渚男句集『冬青集』 2015年9月 ふらんす堂より

古代から火はさまざまなシーンを物語る中心にあった。怖いものであると同時に、片時も無しでは人間の生活は成り立たない。(ねぎらう)には、そうしたもろもろの思いが重なっているのだろう。普段は何気なく見過ごしているものに立ち止まらせるのも、季節の節目というものなのだろう。ほかに、(蜥蜴らにジュラ紀の眼麦の秋)(毛の国は雷神の領出会いたし)(犬は犬呼びとめてをり春の暮れ)。(筆者・岩淵喜代子)

象老いて色なき風をまたぎ来る   飯田冬眞

2015年9月25日 金曜日

(風をまたぐ)、この措辞にまず意表をつかれた。こう表現されたことで、本来は色も形もない秋風が形象化されて、読み手にも見えるように差し出されたのである。その色なき風を老いた象のゆっくりした足取りがまたぎながら近づいてくるのを作者は待っているのである。他に

太き眉持たねばならぬ花守は
手の届くあたりに眼鏡おぼろの夜
人知れず背筋を伸ばす蛇笏の忌
隅つこの好きな金魚と暮らしけり
雲の峰こんなものかと骨拾ふ
裏表なきせんべいよ母の日よ
桃の花腕組む父の待つもとへ    『時効』2015年 ふらんす堂

 

岩淵喜代子

露けさに山が歩いて来るやうな   岩岡中正

2015年9月25日 金曜日

露そのものは自然現象だが、このことばを被せた(露の世)(露けし)(露の間)(露の底)になると(露けさの昔に似たる旅衣蓑の島の名には隠れず 源氏)のように心情的になる。

掲出句は(山が歩いてくるやうな)の措辞によって、和歌の世界とは違う男心で俳諧的になった。他に(露けさに)を納得させる一句である。(相聞のごとくに橋や花の散る)(山繭の風のごとくに眠りけり)(こゑあげてゐる一本の夜の新樹)など。岩岡中正句集『相聞』2015年角川書店  (岩淵喜代子)

宇治橋に木の沓の音文化の日   島村 正

2015年9月25日 金曜日

宇治橋は伊勢の神宮の内宮の参道口にある参道のこと。木造の和橋の両側に神明鳥居があって、下を五十鈴川が流れている。(沓の音)は記紀の世界へ渡る音でもあるのだ。その沓音の響きが、戦後に施行された「文化の日」という極めて象徴的な祝日の音でもあるかのように思わせる。

(大鷲と化し仙人がひるがへる)(鳴くことが命の証し蟬時雨)(風筋を読みゐて眠る百合鴎)。島村 正 第十二句集『一億』 2015年   宇宙叢書(岩淵喜代子)

一軒の家のまはりの稲の花   鳥居三郎

2015年9月24日 木曜日

稲の花がどこまでも続いている風景は、平安の象徴のような風景である。それなのに今年は、多くの地域で河川氾濫をもたらした台風で稲田が水没した映像を幾度となく見せられた。

稲田を詠むのは難しい。もう稲田というだけで、あるいは稲の花というだけで、風景の大方は掬い上げられているからである。その稲の花の盛りの田圃に一軒の家を配置して、視点のよりどころとしたのである。ほかに(田のなかの白鳥まぶた閉じてゐる)(ふくろふの歳を思ふに夜の明けぬ)(薮椿落つる辺りの暗さかな)など。

「鳥居三郎句集『てつぺんかけたか』 2015年 木の山文庫」 (岩淵喜代子)

引鶴は一糸の赤い糸なりや   岡田史乃

2015年9月23日 水曜日

季節的には、ここでは秋または冬の句を鑑賞したいと思ったが、この句に及ぶものがない。というよりも、この句が句集中の群を抜いた秀句と思うのである。鶴という神秘的な鳥の印象を(一糸の赤い糸なりや)に託した感覚に惹かれる。鶴は止まっている鶴ではなく、飛翔の鶴として捉えたい。

他に(立春の紙に小さな音生まれ)(陽を受けて水母に厚み生まれけり)(象の汗みたことあるか茅舎の忌)(学校が消えてなくなる青嵐)(四方から鹿の寄り来る山の冷え)など。第四句集『ピカソの壺』2015年  俳句界。(岩淵喜代子)

老人に成り切れぬまま敬老日   大高霧海

2015年9月22日 火曜日

広辞苑での老人の項目には、――年とった人。年より、という簡単な言葉しかない。世界大百科事典 第2版の解説ではーー老人になるということは,単なる生物学的事象というより社会的・文化的事象である。――とあり、デジタル大辞泉では老人福祉法でも、老人の定義はないが、具体的な施策対象は65歳以上を原則としている。――とある。

誰もが昨日の続きで今日を生きているのだが、その何処で老人という言葉を肯うかは個々の問題かもしれない。毎年巡ってくる敬老日を面映ゆいおもいで受け止めている作者がいる。他に(鯉幟宙(そら)に水あるごとくあり)(早苗田の畔にぽつんと大薬缶)大高霧海句集『菜の花の沖』2015年 文学の森    (岩淵喜代子)

屈強の男が揃ひ棕櫚を剥ぐ   茨木和生

2015年9月3日 木曜日

棕櫚は箒にするのだろうか。否、この句は(屈強な)に続く(棕櫚)という言葉が、意味を越えて世界を作っているような気がした。その世界とは、見えているようで見えない世界である。黄泉の暗さがはみ出してきているような、見えなさなのである。(春灯消えてしばらく人のこゑ)(椎の実と見極めてから拾ひけり)など、重厚な風景である。
茨木和生『真鳥』   2015年   角川書店

山神を祀れる四人焚火せり   山中弘通

2015年9月3日 木曜日

浅田次郎の『神座す山の物語』を読んだばかりだった。神官の家に育った少年はどこかに霊を意識する日常があった。山中氏の句集にも(初生りの柚子も遺品のひとつなる)・(神杉と大きな橡の裸木と)など、日常にある神の存在が自然である。
山中弘通第四句集『山の神』  2015年  邑書林

ゆきどころなき尺とりの空青し   山崎祐子

2015年9月3日 木曜日

一読して確実な描写力を発揮した作品群だと思った。描写力とは言っても唯物的な輪郭よりも情感の濃い世界が展開して、ごく自然な息遣いが捉えた世界に納得するのである。掲出句は漠々とひろがる空の在り様が心情的に染み込んできた。他にも(岩礁に馬乗り海苔掻始む)(糸ゆるめ泣かすピノキオ鳥雲に)など。

山崎祐子第二句集『葉脈図』 2015年刊  ふらんす堂

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