死んでから先が永さう冬ざくら
老人を日向に出して梅の花
マッチ棒でつくる三角夜の蝉
河鹿鳴き代はるがはるに夜と昼
密葬のあと座ぶとんと夏の雨
銀木犀野に夕暮れのゆきわたる
曼珠沙華雨の子供を抱き上ぐる
隣国に砲煙あがる大根干し
浦和よりあるいて与野や梅雨鯰
どのページを切り取っても、飄々とした達観の域に達した作家の
顔が浮かびあがり、絶妙な世界を作っていた。
死んでから先が永さう冬ざくら
老人を日向に出して梅の花
マッチ棒でつくる三角夜の蝉
河鹿鳴き代はるがはるに夜と昼
密葬のあと座ぶとんと夏の雨
銀木犀野に夕暮れのゆきわたる
曼珠沙華雨の子供を抱き上ぐる
隣国に砲煙あがる大根干し
浦和よりあるいて与野や梅雨鯰
どのページを切り取っても、飄々とした達観の域に達した作家の
顔が浮かびあがり、絶妙な世界を作っていた。
切ればすぐ流しの上で西瓜食ふ
野遊びの茣蓙にきちんと靴二足
赤まんま茣蓙の四隅に石置きて
落椿踏んで悲鳴のごときもの
水鱧やこんなをとこぢやこころぼそ
満月やベビーベットの中は空
雪解川なかなか海になじまざる
なぜか『船団』の方たちの句は若々しい。それは口語的発想からくるものなのだろうか。
ここはまだこの世ぶらんこ軋むかな
多分、こんな句を見かけなかったら、還暦も過ぎた作家とは思わないだろう。
跋文 坪内稔展
春風に押されてみんな古墳まで
ふららこや物言ふ時は息吸うて
まなうらに降る淡雪の影法師
晩夏光砂におしりの跡ふたつ
末席にゐて入道雲を見てをりぬ
秋色の海よりほろと生まれたの
魚の首ざつくり落とす星月夜
亀鳴くと思へばありし後生かな
一句目の古墳がいい。二句目の自然の中への埋没感。三句めの象徴性。多彩な作家だとおもった。
作者は短歌で迢空賞受賞の作家である。
短詩形というのは想念が他人へ形状的に伝えられて完成なのだろう。そのことを、この一集で改めて納得した。
この作家の短歌に(ああ母はとつぜん消えてゆきたれど一生なんて青虫にもある)という中の「青虫にもある」の普遍的な事実によって読み手はさらにこの一首を深く納得することになる。
短歌作家が俳句を作ることに不思議はないが、やはり短歌人ならでは想念がいたるところに顔を出すが、それが映像的になるとき俳句が生まれるのではないかと思う。
牛の尻ぶろぶろとひるがすみかな
苜蓿に眉毛の太き獣医かな
手のとどくはんゐ遥けくかたつむり
松虫草ひとりのあとをひとりゆく
秋冷が汽車のかたちではこばるる
とほりすぐるものこそ秋の糸切歯
そうした中で、最終章近いところにある冬木を詠んだ句群が短歌と俳句とバランスを保った透明な詩心を展開していた。
大勢で死ぬゆめをみる冬木かな
冬木といふまつ赤な芯に出あひけり
遠くから枯木ちかづけば巨人
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