2011年12月 のアーカイブ

『やまかわうみ』2011年号冬号

2011年12月13日 火曜日

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自然と生きる 自然に生きる
————————    季刊
自然民俗誌

正津勉さんが中心になって発行している「やまかわうみ」は、今年の初めに創刊された雑誌。まだ三号だが一号の創刊祝賀会は、関東東北大震災で大幅に遅れての開催ではなかったろうか。しかし、この本はその東北地方の風土を送りとどけてくれるような雑誌である。今回は第3号、「東北・民とこころ」という特集を組んで過去の震災を振り返っている。

先ずは知っている人からと開いたのが磯辺勝氏の連載「最上川」。最上川を旅した作家たち、最上川を描いた画家の紹介。こうしたアプローチもあったなと思う興味深い内容。風土は旅人によってその良さが捉えられていくのだとする筆者の論。そうして最上川周辺で生れた作家達もひとたび故郷を離れてから旅の目で捉えていると展開されて、茂吉や後藤紀一を紹介している。

つぎに開いたのが『「風景」への迷いも多い旅』と題する木津直人氏の詩論。ゲーテ、谷川俊太郎、永瀬清子、立原道造、唐詩選と多様な詩から風土への寄り添い方、あるいは風土の質のようなものを語ろうとしている。ところで、この雑誌の紙質は厚すぎる。だから読むのに手の力が必要だ。電車の中で表紙の表裏を合わせて片手で読む、などという読書は出来ない。編集の正津勉さーん。もう少し柔らかい紙質にしないと持ち歩けないです。

雑誌

2011年12月9日 金曜日

朝から霙。晴れていれば明日は皆既月蝕が見られる筈なのだが。昨日思わず雑誌の話しに入ったので、続きを書いておくことにする。俳句雑誌の同人誌というのは何が理想かは、決め難い。しかし個々の中には理想がある筈である。本当は「ににん」の形が理想とは思っていない。ただ発表の場があるだけでは詰らないと思い、辛うじて文章は評論なら誰でも、そして俳句作品は編集の企画に添ったものなら誰でも、という縛りを入れて、特別企画の場で雑誌の方向を留めている。

しかし、もっと理想を言うなら全体が一つのテーマで毎号書いてゆく、というのがいい。この理想に近い雑誌が今のところ「船団」しかみあたらない。ここでは毎号編集で企画したテーマに沿った文章が載る。以前「子規の食べ物」特集のようなものがあったが、とても面白かった。まさに同人誌の結集力を発揮していた。

今「ににん」の特徴は俳句を作る場の共有である。これは吟行だったり句会場だったりしても、その集まりの場に入ると俳句が出来るような錯覚が出るほど、そこで俳句が生れる。私の「硝子の仲間」「嘘のやう影のやう」はほとんどその工房で造られたようなもの。これは多分みんなが感じていることだと思う。座の空気が俳句を作り、集中度を作る。いまのところ、それが一番の宝である。

編集後記に結社は城のようなもので、同人誌は家のようなものだと書いたことがある。そうして「ににん」は公園のようなものだと書いた覚えがある。公園だから誰も自由に出入り出来るとも書いた。その関わり方は、ちょっと覗く人、通りすがりの人、一日中遊んでいる人と様々だ。事実「ににん」には他の結社に拠りながら句会を何年も通ってきているひとも幾人かいる。その解放感を持ち続けていきたい。

そのかわりに縦構造の人脈はない。すべて言うなれば「一視同人」である。この事を間違えて、「自分は句歴や作品の質も突出している俳壇で認められている作家で、みんなとは違うのだ」という意識を持ったら「ににん」には相応しくない。

俳句年鑑

2011年12月8日 木曜日

今年も終りになる。「角川俳句年鑑」もますます厚くなって届いた。俳句人口が増えているようには思えないが、小さな雑誌が増えたのだろう。「ににん」もその最少の部類だが最初から掲載させて貰っている。

雑誌が増えたのはやはり印刷業界の低廉化が進んだせいもある。「ににん」もそのお陰で赤字も出さずに発行している。この発行にはパソコンの普及が大いに後押ししている筈だ。わたしも、雑誌が作りたくていきなりパソコンを買い求めた。

作り始めてみると、案外自分が雑誌造りが好きだった事に気が付いた。なんだか作ることが楽しいのである。「ににん」内には同時期から前橋句会だけで発行している雑誌「換乎」がある。これは最初の2,3号は私が作った。そのフォーマットをもとにして今も続いている。

何故雑誌なのか、と立ち止まって考えてみると、たぶん発表意欲も作品の力になるというのが私の持論なのである。「ににん」の内部で詩の雑誌も造られている。その造り手はやはり雑誌造りが嫌いではないのだろう。

彼が、あるいは彼女が造ればこんな雑誌になるだろう、というイメージも湧いてくる。それで最近「ににん」の仲間の女流に造ることをけしかけている。最初はとても出来ないような顔をしているが、そのうち本気で考えている様子が見えてきた。

ときどき思い出したように、造るための方法の模索をしているのが感じられて、口の端にのぼるのだ。「それは一句鑑賞をしてもらえば」とか、校正と引き換えに誰さんを頼んだら」などと即座に応えるものだから吃驚している。さすがに今はフォーマットまで造って上げるほどの暇がない。

こうした小さな雑誌が増え続けて、雑誌の意味が違ってきたりして、違う形に淘汰されるのかもしれない。それはそれで時代の流れである。

かりがね

2011年12月7日 水曜日

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雁の塒入りを見るために4日、5日と宮城県蕪栗沼へ行った。この雁の風景は天候によって変化する。今回は4日も5日も風が強くて新幹線にも影響したくらいなので、それはそれは寒い吟行だった。風は地上だけではなく空にも吹いていたようだ。いつもならあの特徴のある雁行をしっかり見せてくれるのだが、いつも風に抵抗しながらの飛翔で乱れがちだった。

本来ならこのあたりが「ににん」の校正にあてる日だったので、帰ってきてからがてんやわんやであったが今日無事に入稿を果たした。最後の入稿は「茂吉ノート」の田中さん。「もう締め切ります」と伝えたら今、デンバーにいるという。句稿は飛行機の中から下にロッキー山脈を眺め下ろしながらの入稿なのだという。パソコンの普及で便利になったものである。

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