2011年10月 のアーカイブ

『円錐』  創刊20周年祝賀会

2011年10月9日 日曜日

soukann

『円錐』主宰・澤好摩氏の祝賀会が、アルカディアで行われた。シンポジューム「戦後派俳人の作品」が1時30分から4時までとかなり長丁場であった。論者は恩田侑布子・岸本尚毅・高山れおな氏。論点がいまひとつ絞れなかったが、多分活字になるときには、章立てやら推敲でもっと輪郭がでるのだろう。

『円錐』、そして澤好摩氏を認識したのは、数年前の「俳句界」の座談会に同席したのがきっかけだ。そのお名前を目にしたときは、前衛の分野の俳人と言うぐらいのおぼろげな認識しかなかった。しかし、その俳句は,その師である高柳重信よりはるかに分かり易いし抒情的である。この『円錐」は最近病気の糸大八氏のために基金を募り、それで糸氏の句集も刊行した。篤い仲間意識である。

     昼寝覚め象にあたまを跨がれて               澤好摩
    春闌けてピアノの前に椅子がない
    病院の廊下の果てに夜の岬
    ものかげの永き授乳や日本海
    セーターを脱ぐとき昼の海の匂い

この祝賀会は私の所に送られた案内状には8日(日)となっていた。だから昨日の筈なのだが、括弧の中に日曜日とあるので戸惑ってしまった。8日の朝、アルカディアに電話を入れてみると9日だという。それで会場の受付で「8日になっていたから混乱してしまったわ」というとそうですか、と間違いに気がついていないのだ。なんだかまた混乱してしまった。間違っているのは私のほうかな、と密かに携帯のカレンダーを見ると、やはり今日は9日だった。でもみんな混乱しないで出席しているのである。

知らない人ばかりの会だとおもったら、トイレに見知った女性陣がかたまっていた。案内の日付け間違っていたわよねー、というと、そうなのよと原さんが言って、池田さんは私は直したのを貰ったからといった。やっとなんだか、混乱が鎮まった。会場で挨拶していたひとが、この祝賀会にはぜったい出席しようと、宿泊の手配のために、アルカディアに電話を入れるとまだその時点では、祝賀会の予約は入っていないことを知ったらしい。予約もしないで先に決めていたのに驚いていた。

乾杯を頼まれた人が、「そんなこと聞いていなぜ」と独り言を言いながら壇上にあがった。そのあと池田さんがあいさつして、次に私に振られた。えーと思ったが、事前に聞いていても私の挨拶は短いのだから構わない。私はアバウトな人間と言われているが、澤さんもかなりアバウトな人物なのかもしれないと思って親近感が湧いた。

原子力発電 

2011年10月6日 木曜日

現在国内にある全54基の原発のうち、稼働しているのは11基だという。それで停電もなく暮らしている。勿論さまざまな処で節電モードを実行しているからだ。それにしても、54基は造り過ぎである。その事が今回露呈したわけである。現在の原子力発電も徐々に停止して欲しい。それで電気はどうするの、と言う声があがると思うが、人間は無ければないように知恵を働かせるように出来ている。

ときどき原子力は必要か、必要ではないかという馬鹿な議論が出ているが、それはおかしい。必要なら人間に悪影響のあるものでもいいという支離滅裂な論理である。原子力の怖さは、今回の福島原発で十分知った筈である。多分この恐ろしい現実がなかったら、日本はもっともっと原子力発電を作ってしまっただろう。9月11日に確か原発反対のデモ行進が都内であったのではなかったか。

その同時間に、ある舞台で短歌を朗読した著名な歌人が「今日は原発のデモをしているねー。しかし、あの原発で誰も死んでいないのですよね」というようなことを呟いた。あれれ、と思った。もしかしたら少し痴呆になったのかなとも思った。はやく、ドイツのように原子力発電は中止という法律を作って欲しい。

『星雲』主宰・鳥居保和 2011年10月 第16号

2011年10月4日 火曜日

俳誌拝見     中村悌二

 『ににん』平成二十三年夏号。通巻43号。代表=岩淵喜代子。埼玉県朝霞市より発行。季刊、60頁。主張=批評眼を待った自立の作家をめざす。同人誌の気概ということを追求していきた
い。

 「物語を詠む」伊丹竹野子の「石原慎太郎の『太陽の季節』を詠む」(二十四句)より
   
  ヨットの帆上げる男の心意気
  白い肌ひらり海月の傘の上
  太陽の季節遠のく秋の空
 
「ににん集」兼題「独」(各五向、題目付)より

  ジャズピアノ独身貴族といふ日焼け   長嶺 千晶
  透かし見る孤独の蛇の衣かな      浜岡 紀子
  独り酌み独りで崩す冷奴         新木 孝介
  サングラス独りごころを育てをり     岩淵喜代子
  独木橋隔て河鹿の高音かな       宇陀 草子
  独活の香や桂の太き古き家       小塩 正子

 「さざん集」(各五句、題目付)より

  やすやすと揺るるつり橋青嵐       服部さやか
  匂ひ立つ竹の切り口宵祭         浜田はるみ
   一輪の薔薇置く隅の予約席       宮本 郁子
   つくばひに落ちて相寄る椿かな     今井 宗睦
   春霞生き残りたる者に降る        佐々木靖子
   百人の汗一つづつ土嚢積む       四宮 暁子

 岩淵代表の提唱する「同人作家としての気概と自立」をうけての各同人の作品は、そのしっかりした骨格に個性が惨んで佳句揃いである。特に兼題の「独」の捉見方と季語の斡旋に注目、大いに参考になった。編集後記によれば、約八年続いた「物語を詠む」は、次号で一時誌上中止とのこと、新しい企画に期待したい。
 「ににん」は同人誌だけに、実力作家の執筆陣による俳句評論の充実が際立つ。連載四篇=長嶺千晶の「預言者草田男」降る雪や、そして結婚」(八頁)、岩淵代表の「この世にいなかった俳人③原石鼎」(四頁)、田中庸介の「わたしの茂吉ノート言道あかあかと(その二)」(五頁)、正津勉の「歩く人・碧梧桐-隠退から急逝へ」(五頁)=は圧巻で、いずれもその俳人・歌人の作品を中心に、当時の社会的背景をも踏まえながら、その作家の人間像を浮彫にする重厚で造詣深い作品論となっている。
 エッセイ部門も多士済済。東日本大震災と原発事故に関する清水哲男の巻頭言「震災詩歌」(その論旨に賛成)を筆頭に、ミニエッセイ「月下独酌」に代表以下十名が個性豊かに健筆を競い、武井伸子のショートーショート風の一俳句の風景」もなかなか面白い。また、四宮暁子の被災地でのボランティア実体験記「復興の記録」が生々しい。
 「ににん」誌は、コンパクトにして内容が濃く、読み応え十分である。代表を中心に大いに論じ合い、同人誌として更に発展される事を期待する。(文中敬称略)

2011年9月号 『港』主宰・大牧 広

2011年10月4日 火曜日

 現代俳句を読む    野舘 真佐志
             
  サングラス独りごころを育てをり    岩淵喜代子
                「俳句ににん」2011年夏号〈独〉より

 サングラスの起源は明らかではないが、古代ローマの皇帝ネロも円形闘技場の観戦に、エメラルドのレンズを入れたものを使用していたという。本来、サングラスは日差しを防ぐために着用する保護眼鏡であるが、目元が隠れるため人相を隠したり、人に威圧感を与える目的に使用することが多い。揚句は、人相を隠す意味のサングラスの着用であろう。人間はサングラスにより、他人に本人であることがバレなければ、良くも悪くも心に潜在した別人格が顕在化するものである。掲句は、顕在化した別人格が独り歩きする様を詠んだものであろう。人間の心の裏をうまく捉えた作品である。

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