‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

孫娘

2013年12月21日 土曜日

一時間ほど離れた川崎で独身生活を始めた孫娘から珍しく遊びにいくからという電話をもらったのだが、こちらは前橋の煥乎堂に今年最後の句会に行かなければならない日。なんだか渡したいものがあるとか。
で、朝は遅いからゆっくり出かけて夕食を作っておいてくれるというのだ。

それで、冷蔵庫にはなにもないから見繕ってから家に来るように連絡し、さらに「金に糸目を付けず」に買ってくるようにと追伸を書いておいた。初めて使ったことばだが、糸目ってこう書くのだ。

帰りは電車に乗り込んでから帰宅時間を検索して知らせておいたので、丁度食卓が整うころだった。メインデッシュは鯛の塩麹漬けと葱の削ぎ切りの重ね蒸し。その塩麹だけの味で食べるのだが、なんとその葱の美味しいこと。どこで覚えたのかというと、ネットで見つけて作ってみようかなと思ったのだという。

そうして早々とクリスマスプレゼントをくれた。今年はもう会えないしねーと、夫にはマフラー、私にはボデイケアーの一式。これから念入りにお風呂で磨かなくてはならない。

明日も明後日も休みだから泊まっていくのかと思ったら、車椅子の選手たちの明日からの合宿についていくので、と帰っていった。今月初めには北海道の試合のサポートにも行っていた筈だ。この車椅子の人たちの試合はどこかで援助が出るわけでないらしい。従ってサポートしている孫も交通費は自費なのだという。

娘が仙台に住むようになってから20年にはなるのだろうか。だから孫娘がこちらで就職すると聞いた時には、我が家も少しにぎやかになるかな、と思ったのだが、そうはならなかった。まー、元気でいてくれればいいことにしよう。

歳末

2013年12月11日 水曜日

年末

今月は初校を2日に済ませたので4日か5日に印刷所に入れておいたはずだが土曜日にはゲラ送りましたというメールが入った。間がよくてすぐに仕事に取り掛かれたようだ。お蔭でいつもは一人でやる校正を9日に大勢で見ることができた。今朝歯医者にいく途中で印刷所に校正済みを郵送したので、夕方からの「件の会」もゆったりした気分で参加できた。会場で「ににん」のWEVの投句欄に投句したことがあるという方に出会った。そう、以前はそんなこともしていた。

山の上ホテルでの「 件の会」の講演は小泉武夫氏の食のお話。日本食がいかにいいか、また日本の水はそれに適った水質なのだということ等々、その語り口が上手い。発酵学が専門のようで、おびただしい著書があることを初めて知った。帰り道で歳末らしい風景を撮った。あと幾つ・・と数えるような日になった。この歳末は「ににん」の出来上がりを待つ月でもある。明日から発送の準備に入らなければならない。

秘密保護法案

2013年12月6日 金曜日

国会図書館へ行くために地下鉄から地上へ出ると、デモ隊の怒声が響いていた。昨日の国会では「秘密保護法」案の強行採決が行われようとしていたのである。3時ごろ図書館に入り5時ごろふたたび外へでると往きには秘密保護法案反対だったが、帰りは強行採決反対に変わっていた。もうあたりは暗くなっていたが、人は増えていた。今朝改めてニュースを見ると、暴力で法案を勝ち取ろうとする図式がはっきり見える。この時の議長と総理大臣をしっかり覚えておこう。

こんな日に映画『ハンナ・アーレント』を観るのも奇遇である。この映画は人気が高くて二度ほど立ち寄ったことがあるが入れなかった。昨日は永田町へ行く前に岩波ホールへよって、19時からのチケットを買っておいたのである。座席は満員になった。ハンナ・アーレントは実在の哲学者、思想家。主に政治哲学、政治思想の分野で活躍した人物。

そのハンナがナチスの残党のひとりアドルフ・アイヒマンの裁判記事を書くために傍聴する。その記事、すなわちハンナの思考は、「悪の陳腐さ」という言葉によって、ナチスの戦犯アイヒマンへを冷酷非情な怪物ではなく、上官の命令を黙々と遂行する凡庸な官吏に過ぎなかった、という記事になり社会から怒りを買う。もちろんアドルフ・アイヒマンは死刑になるのだが、ユダヤの人たちの怒りは続く。それは、この裁判の中で、一部ユダヤ人指導層がナチスに協力したとという事実を指摘したためである。

まさに、現在の国会のようだ。はたしてひとりひとりが、この秘密保護法案への論理を言えるのだろうか。国会では力と怒声のなかで、まさにハンナ・アーレントの言う上官の命令を黙々と遂行する凡庸な官吏の群れに過ぎない「悪の陳腐」が行われたのではないだろうか。本来、なぜそんなに強行に採決しなければならないのかわからない。もっと時間をかけなければいけない。

Windows8 慣れればお友達

2013年12月1日 日曜日

パソコンと携帯を同時に新機種に変えた話を先月の25日に書いたのだから、もう一か月経ったのである。「ににん」の編集をする時期までには何とかパソコンに慣れておかなければと焦ったが、どうやら新しい機種で新年号の編集も大詰めにきた。なにしろ、私のパソコン歴は「ににん」の編集歴と表裏なのだ。最初のパソコンはIBM95.ときどきダダーンと響きながら「不正操作をしたので・・・」というような文字が出て、画面が閉じたり固まったりしてしまった。

あまりにそれが頻繁なので「いいわよ、それならもっと利口な機種に取り換えてやるから」と言ったらすこしパソコンが大人しくなったのである。それからWindowsXP・Windows7となり、今はWindows8である。このごろのパソコンは過剰なパホーマンスをしてくれるので、面倒である。そんなにいろいろなことができなくてもいいのである。

携帯にしても、ガラケーで出来たことをどういう風にすればアイホーンで利用できるのか戸惑った。これではガラケーの方が進んでいるのではないかさえ思いたくなったが、そんなことはない筈だ。取りあえずは販売店に行って訊くことをメモ帳に箇条書きにしておいた。パソコンとアイホーンの両方だから箇条書きは十数ヶ条になっていた。ところが、ところが一か月の間に、その箇条書きが一行づつ消えていった。いろいろな場で人に教えて貰ったり、自分で探ったりして、必要な機能を使いこなせるようになったからだ。最近になったら、もう販売店にわざわざ出向く必要はほとんどなくなった。

まーそんな心の余裕がアイホーンにお洒落をしようと、百円ショップでシールを買い込んできて貼ったりもして、以前の携帯のような親しみも感じ出した。それにしても、若者はこれらを最初から戸惑わないで使いこなせるのである。たまにやってくる孫がiPadを貸してくれというので出してくると、どことかの国で試合をしている車椅子チームを観戦するのだという。ボランテイアで高校生の時からサポートしているバスケットチームだ。そーなんだ。iPadでテレビも観ることができるのか。私は、二年近くも使っていながら、そんなことも知らなかったが、iPadを持っていない孫が使いこなせるのである。

新機種にしたからというわけではないが、マッキントッシュの元祖の映画『スティーブ・ジョブズ』を観た。結論を言えば面白くなかった。この映画の製作者はスティーブ・ジョブズの経営的な面ばかりを語っていたので、それならわざわざスティーブ・ジョブズでなくて、松下幸之助でもよかったわけである。スティーブ・ジョブズを観にいくというのは、パソコンを使っているものにとっては「そこがすごかったのか」とう実感も期待していただろう。そういう部分がわかりにくかった。

大正14年生まれ

2013年11月7日 木曜日

以前ふとした縁で、石鼎が住んでいた麻布本村町を案内していただいたさんにお目にかかった。初めてお会いしたのは5年以上前だっただろう。それから音信が途絶えていたが、石鼎に関わる記事を送った中の文章に「袋小路に車を止めた」という箇所が話題になった。その袋小路を確認に行ってもいいとおっしゃた。

以前とおなじように有栖川公園の入り口で待ち合わせた。広尾は外国人の多い街だ。公園入口までに何軒かのオープンカフエの中にも外国人が目についた。さんは大正14年生まれ。90歳にちかいのではないかと思っていたが、黄色いタートルネックのシャツの上にベージュのセーターを重ね、そこに明るい煉瓦色のブレザーを羽織っていた。何気ない取り合わせだがセンスを感じる服装だった。やはり、この地で育ったせいかもしれない。

もう麻布に住んではいないが、ご自身が懐かしそうで、いちいち確認するようにあたりを眺めていた。以前はなかった大きな建物に立ち止ったさんは、建物から出てきた女性にここは何の建物なのか訊ねていた。それから少し歩くと、「袋小路に車を止めた」という袋小路はここだとおっしゃた。それは右に昔の本村町116番地の広大な土地、右に小学校、その真ん中を貫く道を前にして小学校へ沿って折れた道だった。

「この道まだ車で行けますよね」と本村町116番地と小学校の間を貫く道を指さした。
「いや当時は細い道だったんですよ」
さんがそういうので、車が入れないことを納得した。
帰りに新坂からどこをどう回ったのか新富士見坂へ出た、
「ここから富士がみえたんですよ」
とおっしゃたが今は真正面をビルが塞いでいた。

広尾駅に近いところでお茶にした。
二階へあがってテラスへとでると公園と向き合うような場所だった。そこでまた吃驚したのは
「そういえば斎藤眞爾さんの『ひばり伝』はいままでになく深いですよ」とおっしゃた。
「あの厚い本を読んだんですか。あれはたしか芸術文部大臣賞だかを貰ったんですよ」
「そうでしょう、今までの美空ひばり伝はいいことしか書いてありませんからね」

こうした高齢になるとその年齢に寄りかかってしまっている人がおおいが、さんは違うと思った。まず歩いている最中でも私を気遣って車が来ますよとか、ご自分が道路側にさりげなく立つ。それでも、明るいうちに家にお返ししないといけない。ここからバスで帰れるらしい。足腰を鍛える何かを実行しているわけではなく、買い物はしなくてはならないし、庭の草むしりもしなければならないとおっしゃった。

誕生日がきた

2013年10月26日 土曜日

10月23日は私の誕生日だ。
誰も言い出さなくてしめしめと思っていたら、スポーツクラブのインストラクターが覚えていた。
この年齢になると、死亡通知も多い。特別なご縁があったというわけではないが、村上護さんは六月末になくなった。それから半月後の海の日に私の俳句の鑑賞された新聞が送られてきた。
村上さんの鑑賞したものだ。多分亡くなる直前までお仕事をしていたのだなーと察した。
ーーー★ーーーー★ーーーー★ーーー
久しく会わなかった竹村さんのご家族からのお知らせが来た。

赤坂で料亭を営んでいた竹村さんは、私の時間感覚でいえば3倍以上の密度の濃い人生を送ってきた方だ。なにしろ深夜までになる料亭を営みながら、書道も日本刺繍も生け花も瞠目する深入りの仕方である。それに加えて俳句も長い年月関わってきた。私はその俳句つながりだったが、刺繍展にも生け花展にも書道展にも馳せ参じた。

木村伊兵衛の写真集「昭和の女たち」にも登場していた。昭和の働く女性たちの写真集だから、大方は名も無い人たちだが、大阪の本店「しる芳」で、昭和29年にはすでに店に出ていたようだ。支店である赤坂「しる芳」には数え切れないほど立ち寄らせて貰ったが、現在はもう閉店している。
ーーー★ーーーー★ーーーー★ーーー
詩人飯島耕一氏が 14日に死去。というニュースを25日の新聞で見た。
飯島耕一という詩人を意識したのは『日本のベル・エポック』を発表したあたりだったろうか。その後、同じ明大の教授であった川崎展宏氏の縁で、ご一緒に一日鎌倉を歩いたことがあった。句会をして、それからまた新宿まで戻ってきてボルガで飲んだ。まだ川崎展宏氏が貂を立ち上げて間もない頃で、お互いに若かった。

お目にかかったのはその一回だけだったが、背丈が高いわけではなかったが、男っぽい四角い体格で、展宏氏とは逆の印象で受け止めた。年齢的にも展宏氏よりは若かったのではないかと思っている。そのボルガで、幾たびか川崎展宏氏をけしかけていた。何をと問われても記憶が薄れてしまっているが、とにかくこのままではいけない。前へ進めというようなことだったと記憶している。

その川崎展宏氏ももうすでに他界している。今頃はあちらの世界で大声で口角泡を飛ばす論を戦わせあっていることだろう。
それぞれの方の、ご冥福を祈りたい。

Windows8・パソコンが壊れた

2013年10月25日 金曜日

パソコンが壊れてしまった。ちょっと不具合いがあるというのではなく、全く使用不能になってしまったので、朝、何をさて置いてもPCデポに駆けつけた。結果、すぐには直らない故障でメーカーに送るので、かなりの日にちがかかるという。もう。

パソコンは私にとって大方はワードを使用するためにある。それも横書きではなく縦書きで入力していきたいので、画面がより大きな方が使いやすい。しかし、こうして故障などというときには、持ち運びには重たくて苦労する。それは、新しい機能習得のためにマイ・パソコンを持ち込むときにのもだ。

やっとXPからwindoows7に慣れたところだったが、やはり今の大きさで軽いのがあれば買い変えてもいいかな、と思いながら店内を見回した。値段が年々安くなっているのに吃驚。

現在使用中のも、まだ4年くらいしか使っていないが、現在はもう新機種windoows8である。これはwindoows7とほぼ変わらない。変わるのはスタート画面が違うらしい。それでは入り口がみつからなくてうろうろするのではないかなーと思っていると、希望すればその機能を追加してくれるという。

そうしてなんとなんと、アイホーンを購入すればパソコンが割引きになり、しかも、なお数万円のポイントがつくので、パソコンがただ同然になるのである。なんだかわけの分からない事態であるが、それなら中身を引き出して新しいパソコンに移動するだけでいいので、早くパソコンが手に入る。

ということで、デスクトップは同じ大きさで、以前よりは少し軽いパソコンに乗り換えることにした。まーアイホーンを使いこなすのにはかなり難儀をするのではないかということは覚悟の上でだが。

零余子

2013年10月9日 水曜日

131007_0832 二階の窓から見下ろしていたら、柿の木をよじ登っている蔓草に実のようなもの。零余子が成っていた。すっかり忘れたていたが昨年、庭に撒いておいたのである。もっと早くに気がついて、適当な支えを作っておけば、柿の木の高いところまで這い上らせなくてもよかったのである。

手の届くあたりの零余子を採ってきた。そのあと二階から椿の木の上を這っているもう一本の蔓を発見。しかし、引っ張って手元に寄せてきたときには大方の零余子はどこかに落ちてしまっていた。というわけで、僅かな収穫だが零余子飯に使うくらいにはなりそうである。

観測史上初の高温日だとかいうが、秋は確実にやって来ていた。零余子だけではなく、金木犀は手で掬いあげられるくらいの落花を零しているし、黒目川の土手は萱がびっしり。今日の強風になびいていた。

ご壮健な方々

2013年10月8日 火曜日

 先日、深夜叢書創立五十周年祝賀会で瀬戸内寂聴さんのご壮健振りに目を見張ったが、今日は85歳のジャンヌ・モロー主演の「クロワッサンで朝食を」を観てきた。この女優の映画を以前に見たのは「デュラス 愛の最終章」だったが、あれから5年くらい経っているだろうか。
 老いることに駄々をこねているようなフリーダとかっての恋人だったステフアン。そのステフアンがやっと探したメイドのアンヌ。映画は、ともすれば人生の終焉のべたつきを見せてしまいそうな物語である。それを誇りと自我を持つ、それぞれの人物によって、深遠な人生が紡がれている。

 帰りの電車の中で、携帯にメールが入っていた。「ににん」をありがとうというものだったが、そのあとに、体調が回復したので、一緒に麻布本村町へ行ってもいいですよ、と書いてある。以前石鼎評伝を書いているときにお世話になったAさんからだ。この方も大正十四年生まれで、今年九十歳くらいの方である。実は「頂上の石鼎」を書くにあたって、石鼎が神奈川県の二宮に移るまで住んでいた麻布本村町の探索にご一緒していただいた方である。

 その後、ある一文から思っていた場所が少しずれているのではないかと、Aさんに手紙を書いておいた。そのとき、手術をしてまだ外出はできないが、回復したらもう一度歩いてみるというお返事を頂いていた。
 高齢でもあるし、もうご一緒に歩くの無理ではないかと思っていたので、メールが来たことに吃驚した。本来なら十月にこんな暑い日はないのに、今日は真夏のような気温、それが数日続くという予報が出ている。それで、来週になったら涼しくなりそうなので、また連絡を入れます、というお返事をしておいた。私もすでに後期高齢者だが、それよりはるかに高齢の方たちに元気付けられるような気がしている。

斎藤眞爾氏の「深夜叢書」50周年祝賀会

2013年10月4日 金曜日

如水会館での「深夜叢書」50周年祝賀会。発起人は瀬戸内寂聴氏。
出版社だからそれはそれは多彩な顔ぶれだがひと際輝いているのが瀬戸内寂聴さん。お元気である。席に寛いていても、つぎつぎ、みなさんが横に並んで写真に収めていた。どなたにもにこにこと応じていたのはやはり年輪である。そうして五木寛之さんの変わらないダンデイないでたち。

131004_1804           131004_1811

思いがけない取り合わせ、と言ったら失礼になるかもしれないが、ひばりプロの社長加藤和也氏と社会学者上野千鶴子さんお二人の乾杯の音頭。ぎっしり詰まった会場がゆるやかな渦となって、来客たちの歓談の場になった。思いがけない人たちから発送したばかりの「ににん」の感想も頂いた。

131004_1830

斎藤さんはと言えば、なんだか申し訳なさそうに人混のなかに隠れていた。斎藤さんと寂聴さんとの出会いは、お土産に頂いた対談集によると二十代だったようである。すでに深夜叢書は立ち上げていた。井上光晴氏の紹介だったとか。そういえば、斎藤眞爾さんは井上光晴に似た雰囲気がある。それも寂聴さんとの繋がりを濃くしているかもしれない。とにかく一人で出版社をしているのは稀有な存在である。
ますますのご発展をお祈りしたい。

トップページ

ににんブログメニュー

HTML convert time: 0.223 sec. Powered by WordPress ME