‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

豪雨

2014年6月25日 水曜日

埼玉県朝霞市で1時間に110ミリの猛烈な雨だったとか。他人事のようだが、東北からの帰りの道中で聞いたので、さて私が飛んで帰ってもどうなるものでもない。仕方がないので車中では読書三昧で過ごした。

下車する頃は、雨も上がっていたが、我が家の近くまで来たら消防車が道を塞いでいた。マンションの地下駐車場の水を汲みだしているのだ。昨日は三鷹に雹が大量に降ったのだ。学校帰りの子供が膝まで埋まりながら下校している姿を旅先のテレビで見た。

これまであまり聞かない竜巻やら、都会の大量の雹やら集中豪雨やら、なんだか凄まじい現象が起こる。こんな時には地中の蟻のお家はどうなるのだろう。

 

 

善光寺

2014年6月22日 日曜日

久しぶりの善光寺参りをしてきた。長野新幹線には二度目だが、長野まで行ったのは初めてである。Kさんが正津勉さんと谷川俊太郎さんの対談があるんだけど、と連絡してきたとき、それでは、大人の休日パスを一日は長野に使ってもいいかな、と思った。対談は信濃新聞社の中で午後行われるので、午前中の2時間ほどを、とりあえず善光寺さんに足を運んだ。

__ 2  __ 1    駅から善光寺までまっすぐ伸びたメイン通りに芝居小屋があった。中はどんな感じなのか、歌舞伎座風の造りで、いろいろな催しが行われるみたいだ、途中で対談を行う正津さんに出会った。「えっ」とびっくりしているみたいだが、正津さんもとりあえず会の始まる前の時間を善光寺さんへお参りすることにしたのだろう。

どこの路地からも山が見えるというのは全国にあるが、信濃の山は間近かに、しかも聳えたっている感じかする。対談は谷川俊太郎さんと正津さんの『老いのレッスン - 悼む言葉』というタイトル。「なんといっても83歳の谷川さん」と正津さんが言うと「82歳だよ」と訂正するのだ。しかし、83歳とインプットして会場に入ってきてしまった正津さんはなんども「83歳の谷川さんが」という。すると、そのたびに谷川さんが「82歳だよ」と訂正しながら詩を朗読した。

会が終わったあと、この会のあることを教えてくれたkさんが、川のほうから帰りましょうか、というので、ついていくと水路のような小さな幅の流れが、ものすごい勢いで流れていた。たぶん落ちたら必ず流されてしまうだろう。それなのに、川の脇をゆくみちには欄もなく、ときどき道は一人しか通れないほど、狭くなる。

四日簡乗り放題の「大人の休日パス」は、月曜日は財布に眠らせておいて、火曜日、水曜日の二日間に遠野まで足をのばしてこうようと思っている。

梅雨入り

2014年6月10日 火曜日

梅雨入り宣言したとたんに洪水被害があちらこちらで発生している。
水害が心配というわけではないが、時折メールで季節のご挨拶をする人がいる。石鼎の麻布の旧居を探す時にお世話になった荒さんである。いつもはすぐに返信があるのに何日も音沙汰がなかった。そんなこともあるかも知れない、と思うような年齢でもある。

ところが今日になってメールが入ってきた。腸閉塞で救急車で入院したという。まだ検査検査の明け暮れで、現実の89歳は厳しいです、と書いてあったので、改めて荒さんの年齢を認識したが、淡々としているようで、回復もはやいのではないかと思っている。

このところ、ブログもあまり更新していないのだが、「旧・喜代子の折々」が最近になって復旧したのである。2006年から2010年だけではなく、それ以前の数年も移し替えておいたので、見られなくなるのは非常に残念だった。初はコメントがみられなり、そのうちブログも読めなくなっていたので、あきらめて削除しようかと思っていたところだった。やはりプロはすごい。

吉行淳之介文学館

2014年5月19日 月曜日

ねむの木学園にあるクレーの絵を見に出掛けた。
ねむの木学園、文学館、美術館は、同じ敷地内にあるのかと思ったら、それぞれがかなりな空間を持って独立していたので、建物から建物へ行くためには五分ほど歩かなければいけない。

バスの終点にある美術館は、その先には住む人がいないような山腹。.
バスを降りたところで、いきなりホトトギスの声をあびて、しばらく木立を眺めていた。学園の生徒の絵は、写生とも抽象とも違う、模様の連続のようなタッチの風景画で、色彩のきれいな絵だった。

本命のクレーの絵は吉行淳之介文学館にあった。美術館の童画のような佇まいとは違った純日本的な建物、宮城まり子との住居に使用していたのかと思ったが、そうではないらしい。一通り見たあと、まだ時間があったので、和室の方にも行っていいのかと訊いたら、休憩できますからどうぞ、と言われた。

びっくり、そこに入ったら宮城まり子さんが和服姿でソフアーに座っていらしたのだ。隣にいたのは編集者らしい。それにしてもお顔は輝くような張りのある表情で、他に見学者もいなかったので、私と友人で反対側のソフアーを陣取ってしばらくお話を伺っていた。

その間、何度も「淳ちゃんが・・」という言葉を聞いた。そのあと茶をどうぞと茶室に招かれ、どこへ行くんだろうと思ったら、文学館の続きに茶室があったのだ。お茶を立てる男性も、お菓子を運んでくる男性もねむの木学園の生徒のようだ。

あとで、きいたのだが吉行淳之介には小さい頃に出会っているとのこと。長じてから、芥川受賞作品「驟雨」も読んで、最後のシーンで青い葉が地上に散っていたのが印象に残っていると、画家らしい視線を口にした。そう、お茶を点ててくれた男性(ほんめつとむ)と、お運びをしてくれている男性(ほんめとしみつ)の絵,美術館にはたくさんあった。

枇杷を模った練り菓子も、お薄加減も美味しくて、思いがけない至福を頂いた感じだった。つい最近、週刊誌に美智子妃殿下と対面していた宮城まり子さんの写真を拝見したが、その写真には車椅子が傍らにあったので移動するのは介添えが必要なのだ。

随分ゆっくりさせて貰った。茶室からまり子さんの介添えを編集者と担って、休憩室に送ってからバス停に出た。待っているうちに先ほどのお茶を点ててくれた男性が、「おかあさんへ」という宮城まり子さんとの書簡集の本をわたしたちに持ってきてくれた。この施設が一生のよりどころなのだと思うが、めぐまれた人たちである。

ゴールデンウイーク

2014年5月2日 金曜日

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新しくなった歌舞伎座にはじめて出かけた。細かいところでは変わっているのかもしれないが、内外ともに以前のイメージのままだった。幕間に緞帳の紹介があったので席からカメラに収めておいた。

お願いしておいた座席が花道にも舞台にも近い座席だったこともt手伝ってか、これまでになくどの場面も面白く、中でも海老蔵の勧進帳に魅せられた。この出し物は偏に弁慶の独り舞台だ。ほとほと、歌舞伎は型を受け継ぐものだという実感をした一日だった。演じているどの瞬間も絵になる

義経と悟られて、関所を突破しようとする家来の面々(四天王)とそれを留める弁慶がひとつになって演じる場などは象徴的な演出で、ここでもまた改めて型を感じた。

秩父

2014年4月21日 月曜日

はなJPG  いような遠いような場所が秩父である。というのは、住んでいる地域と同じ埼玉県だからである。それでも、山里として希に見る純粋なもの。なにしろ、秩父線の駅を降り立って、歩けど歩けど駄菓子屋もないという場所が多い。

今日は白久串人形の上演を秩父まで観に行った。1時から始まるというので、先に芝桜で有名な羊山公園に足を運んだ。芝桜はまだこれからが盛りのようだが、明日からは入場料が必要なのだとか。

bunnraku1JPG、午後から白久地域で受け継がれている串人形劇の見物となった。串人形とは二本の串で人形を操るもので、四、五十センチの人形が細部まで行き届いた動きをして、衣装も小さくても早変わり、肩脱ぎと大きな人形と変わらない所作をこなす。演目は、「壺阪観音霊験記」「弁慶上使之段」など。途中で舞台の後ろの秩父線をSLが走り、白い煙が雲のように棚引いた。

そんなに見物客がくるわけでもなく、公民館のようなところの庭にビニールシートを敷いて、座布団をしいて、演目の間にはお茶のサービスまでしてくれた。鉄道も敷かれていない昔からの年に一度の娯楽だったのだろう。ところで、この演じる人も謡う人もいなくなって、東京から太夫さんを呼んできているという。

別ルートで合流した男性が山菜をたくさん仕入れてきてくれて、演目の間に分け合ってお土産もできた。この白久駅から20分くらいのところに30番札所がある。ご開帳の年でもあるので出かけてみた。日曜だというのに私たちの他には人影を見ない。駅には熊が出るので気をつけてという看板が立てかけてある。気をつけてといってもどうすればいいのか。

お参りをすませての帰り道、靴の踵にコツンとぶつかるものがあって振り返るとガマガエルだ。小さくてもガマガエルはちょっと気持ちが悪い。キャーとばかりに足を速めると追いかけて来るではないか。池には、そんなヒキガエルがうじゃうじゃ居た。

 

「ににん」発送完了しました

2014年4月15日 火曜日

OLYMPUS DIGITAL CAMERA日曜日の夕方、ようやく発送手続きのすべてが完了。約半月遅れの「ににん」お手元にそろそろ届くと思います。よろしくお願いいたします。

いろいろなことが重なってしまって、毎年恒例の会のお花見旅行も間際にキャンセルしてしまい、幹事さんにはご迷惑を掛けてしまった。いつも、この会のお花見は、特別有名でもない、ひっそりとした花所で、浮世離れを感じさせてくれていたので残念だった。

そんな気持ちが届いたのか、突然野川の枝垂れ桜は今が見ごろです、というお誘いをうけて先週の土曜日に行ってきた。ときおり花びらが舞うくらいで、本当の満開どきの桜だった。たぶん今日あたりからは、桜吹雪の見事さを味わうことが出来るのではないかと思う。

いまは、この写真がデスクトップに貼り付けて毎日お花見気分でいる。

ににんの発刊遅れ

2014年4月6日 日曜日

__ 「ににん」54号はまだ発送が済んでいない。ぼつぼつどうしたの、というメールや電話が入ってきた。10数年のあいだ、一度も遅刊をしたことがなかったのだが、今回は大幅な遅れが出た。というのは事情があって表紙の摺り直しをしているからである。届いたらわかるのだが、引用の著者名を書かない文章があって、その対応に日にちが掛かってしまった。これまでの年月で、今回ほど困惑したことがない。見つけることが容易にできるはずの物を見過ごしてしまった迂闊さにも恥じている。

だからというわけではないが、こんなにたくさんの桜貝を貰った。あるところにはあるものなのだ。どうしておくのが一番いいのか思案していたら、水を入れたガラス瓶にいれておくのがいいという。それで今、桜貝のきれいに見える硝子瓶を探している。「ににん」の印刷所への対応は終わったので、一週間ほどの間に雑誌が出来上がるのでないかと思っている。

印刷所に入れる

2014年3月5日 水曜日

ににん原稿の紙焼きも済ませて、頁確認をしてデーターはメールで送った。メールは一瞬で広島まで着くが、紙焼きは郵送で明日の到着だろう。今頃私のレターパックもどこかの車の中に積み込まれて、東海道を移動しているのかもしれない。あとは再校正のゲラの来るのを待つばかり。明日は孫、と言っても成人してる孫が久しぶりに我が家にやってくる。

夕方、今週はもう特に予定はないはずだとカレンダーを確認していたらカレンダーがまだ二月だった。気が付かなかったのは曜日と日付けが二月と三月は全く同じだったからだ。それで慌てて三月のカレンダーにすると、なんとなんと昨日は俳人協会の総会だった。昼間はカルチャー教室があるので夜だけの出席の予定だった。全く意識の中から抜けていた。過去には戻れない!!!

ににん54号初校

2014年3月4日 火曜日

 二月は春の大雪でお祭り騒ぎだったが、同時にににん編集期間が重なってことに忙しかった。

「ににん」の印刷所からの校正は,一回しか行わない。要するに、私のパソコン内のデーターで何回も本人校正も本人以外の校正も、あるのでほとんど完全原稿になる。そのうえ、印刷屋さんも極めて正確にデーター通りに、否、それ以上に丁寧に確認してくれる。ともすると、こちらで間違って記入した目次の頁やタイトルをしっかり訂正しくれるのでほんとうに助かっている。そのににんも初校が終了した。

頼まれた原稿も納入して、あとは自著「石鼎の憧憬」の初校が済めば一息つくのかなーと思っていたが、同人二人が同時に句集を出す。その選句が進行中である。そんな中、携帯に「南イタリアに三月末に行かない?」というメールが入った。三月末には、すでにお花見の一泊旅行が決まっている。

そのお花見をキャンセルしても、「ににん」の出来上がってくる頃に長旅というのも無理だー。

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