ににん77号編集中

2019年12月19日

DSC_1212  瑞巌寺に隣接する円通院の紅葉のライトアップは、最終の池に映った紅葉が圧巻だった。

以上までは、11月のはじめ、松島の俳句大会に選者として参加した後に書いておいたのだが、そのまま1ヶ月以上過ぎてしまった。今は、「ににん」最終校正も印刷所に入れ終わったところだ。

このあいだに、夫が亡くなり葬儀も済んた。人が死ぬと葬儀というのが、順序ではあるが、当事者にはすべてが真っ白になってしまった瞬間で、そのあたりまえのことが見えてこない。

しかし、病院では死の直後から葬儀屋さんの手配を促されるのである。死者の傍らでどうすればいいの、という感じだった。それでも無事に夫はおくりだした。世間の儀式から離れたときにやっと夫がいなくなったことを実感した。

ハロウィン

2019年10月31日

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数日前、舞岡というところに吟行に行った折に買い求めた南瓜。店の人が美味しく食べられると言ったので、ハロウインまでは、まず眺めて楽しもうと思った。

吟行でもなければ、訪れるチャンスもないところだが、駅から10分足らずのところに集会場もある。広大な田畑があって、四季折々の景が楽しめる。透明な流れのなかに目高ほどの魚が群れを成していた。

同じような魚だが身の透けているようなのと、烏のように真黒な魚が居て、それぞれは別の隊を組んでいた。明日、孫と言ってももう成人だが、遊びにくる。この南瓜をどうにか料理しようかと思っている。

武蔵嵐山

2019年10月27日

DSC_1182   26日の埼玉俳人協会の吟行会のために、前日25日から武蔵嵐山に宿泊した。本当はこの日も早くから現地へ出向いて散策をしたかったが、なにしろ台風のさなかの土砂降りの雨。会場へ出向くのがやっとだった。

この武蔵嵐山女性会館の隣は畠山重忠の館跡である。都幾川を一方の砦にした平城であるが、その遺構をなぞりながら、武蔵野の雑木林が広がっている。

翌日、吟行会の日は快晴で、婦人会館のホールの全面ガラスに映った立木が、まるで、ガラス越しの窓の外を撮っているみたいに鮮明だった。

この会館の良さは、武蔵野の雑木のど真ん中を使った建物で、宿泊棟のどの窓からも自然の樹木が見渡せることである。この景色が、ひと時危ぶまれたのは、国会で仕分けの矢面に立ったからだ。

とにかく、この風景が残されてよかった。

台風一過

2019年10月13日

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何十年ぶりとか言う大型台風ということで、金曜日から気忙しかった。午後のまだ明るいうちだったが水が品切れ。まー 1日くらいならいいかと思って帰ってきた。

テレビで台風に備えてガラス戸にテープを貼って、割れても飛び散らないようにしたりする様子が映っていた。一個所雨戸のない窓があるので、そうだ、そのヨウジョウテープとやらを買っておけばよかったなと思ったが、すでに店は閉まっている時間だった。

それからずーっと、テレビをつけるたびに、日本中のダムがあふれそうで、日本中の川が危険水域に達しているかのような騒ぎだった。携帯には絶え間なく避難勧告の緊急メールが入った。

ベットに入る頃が台風の襲来する時間と合ってしまい、雨戸に当たる雨が新聞紙をガサガサもんでいるような音に聞こえた。そのせいではないのかもしれないが、なんとなく寝付けなくて何回も起きて雨を確かめていた。昔もこんなふうに、眠れないで過ごした台風の夜があった。

台風は、4時ごろはもう北上したようで、静かだった。雨戸を半分開けて外を眺めると満点の星空だった。こんな日なら、外へ出れば銀河も探せるかもしれない。

曼殊沙華

2019年9月27日

DSC_1120    前回の書き込みが6月28日だった。ということは丸々3ヶ月が経っているのだ。書くことがないわけでもないのだが、間を置くといろいろ書くことが溜まってしまってどれを話題にしていいのか迷ってしまうのだ。

先日句友から、このごろ書いていないのでどうかしたのか思っていた、と言われたて、確かにそう思われてしまうかもしれないと思った。3ヶ月なんてあまりにも長すぎる怠慢だ。

今日は眼科に薬をもらいに行って帰りに,入るときには気が付かなかった曼殊沙華の花に出会った。帰ってきたら、我が家にも咲いていた。曼殊沙華は全国一斉に開花すると聞いたことがあるのだが、本当だろうか。

広島のににんを作ってくれてる印刷所のあたりも、曼殊沙華が咲いているのだろうか。76号が出来あがってきた。これから発送の準備をしなければ。

蛇笏賞

2019年6月28日

DSC_1007     6月28日の蛇笏賞授賞式、今年は大牧宏さん。だが、この受賞のお知らせはご本人がしっかり受けたようだったが、受賞を受け取りにきたのはご本人ではなかった。でも、よかった。大牧さんは最晩年になってから、さまざまな大きな賞を受けられた。本来はもっと早く受けてもよかったのではないだろうか。

わたしは一度もお目に掛ったことがないまま月日が過ぎてしまっていたが、昨年の詩歌文学館賞を頂いたときには、一番に電話で祝ってくださった。あれが最初で最後の大牧さんとの電話の交流だった。
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紫陽花が今年は濃く咲いた。
授賞式の翌日は所用で京都に行ったが、何処にもよらずにトンボ返り。ホテルの隣の小さな神社に、青々とした茅の輪が据えられていたのでお参りをしてきた。

バスの中から四条河原に張り出し川床が見えた。

ににん75号最終校正

2019年6月14日

 今日は本当の最終校正。この場に至るまでには、一つの原稿はまず、私が読んで次に担当の校正係が読み執筆者も再度の確認をしてもらってある。それを3日に改めて全員で校正した。

 そして出来上がった印刷所からのゲラ。それを今日は本当の最終校正となる。それなのに、ここでも結構ポストエイトは貼られていく。何度行っても問題は発見されるのを、しみじみ感じた。

 前回、その幾行程の中でもやり過ごされてきた見落としがあったので、たくさんの人が見ればいい、と言うものでもないのを実感。まーそれでも、今日も無事に終了して、勇んで蛍狩りに出かけた。

県立四季の森公園の螢は、凄い。園内のいたるところから螢が現れる。もう何度訪れたかわからないが、いつも螢の現れ方が違う。今日は何故か飛び方が重い。高くも飛ばない。遠くへも飛ばないで同じところで浮き沈みを繰り返していた。

なんじゃもんじゃの花

2019年5月5日

DSC_0937いま、明治記念館のあたりのなんじゃもんじゃの花が真っ盛り。正確にはヒトツバタゴと言うようだ。他に白い花は咲いていなかったので、そこここに在処を知らせるように咲いていた。

明治記念館周辺の木には「ヒトツバタゴ」と書かれた名札もついている。しかし、わたしは「なんじゃもんじゃ」で親しんでいる。なぜかこんなにこの木があるのに、絶滅危惧種になっている。

初めてこの花を見に行ったのは20年以上前だった。どこかの個人のお宅なのだが、そのときだけはお庭を開放してくれていた。一本のヒトツバタゴの樹が庭いっぱいに広がっていて、花を散らしていた。可憐な小さな花だった。二度目に見たのは東大の中の一樹だった。

広辞苑でなんじゃもんじゃをひくと神宮外苑の木が紹介されているので、ずいぶん前からそこにあるようだ。

令和元年

2019年5月1日

9時30分に大國魂神社の境内で待ち合わせた。いつもより早い集合なのだが、この神社ではくらやみ祭が始まっている。昨日は品川の海で禊が行われて、二日目の今日はこれからはじまるくらやみ祭の晴天を願う祈祷が9時30分から始まる。

折角だからその祈祷に間に合うように集まろうということになった。神社には、予想通りにご朱印帖を持った人たちの行列がこんなに早い時間から続いていた。昨日は平成最後の日としてのご朱印を受けるために連なって、また今日も令和の初日として並んでいる人が多いのだろう。

参拝も列を作っていたが、こちらはそんに並んでいるわけでもなかったので、列についた。おかげでいつもはひっそりしている神社がにぎやかだ。明日からは暗闇祭の本番でもっとにぎわうことだろう。まだ見たことがない。

境内を抜けたところでお茶をしていたら、フローアーに国旗を手にした人たちが続々集まってきた。誰かお偉いひとが来るのかもしれない、と思っていたら、みんな大型のテレビを見詰めていた。

11時9分から新天皇のご挨拶があるらしい。そこにいる人たちはそれを待っているのである。国旗を配ったのは大國魂神社の神官たちだった。いよいよ令和の時代だ。

平成最後の日

2019年4月30日

朝から雨である。明日も雨の予報だが、明日5月1日は大國御魂神社の暗闇祭の初日である。9時30分から神事がはじまるが、これは暗闇祭の好天を祈るためにあるようだ。折しも平成と令和の境目に始まる暗闇祭というものだが、どんなものなのかまだ把握していない。

明日から令和、折角の祭の神事の祈りが通じて好天になって貰いたいものである。このところ、婚姻届けの駆け込みがあり、寺社はご朱印帖への最後の記入やらで長蛇の列の出来ているところもあるようだ。そんなことを考えもしないでのほほんと移り変わる元号を眺めていた。

処で、わが孫娘は結婚したばかりだが、平成にするのだろうか、令和に入籍するのだろうか。どっちもそれぞれ理由があるのだろう。ところで、私も残り少ない人生となった。

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