句意を説明する必要もないほど、明快な世界が提示されている。誰もが一度くらいは、こんな経験をしているので、ことに懐かしい風景である。
そのなかでも、ころころとこぼれ易い零余子の幾粒かを封筒に入れる時の感触や音やらが懐かしく蘇る。
「森山いほこ第一句集『サラダバー』 2016年 朔出版」より。、
冬薔薇の束を抱きて九階へ
サラダバー横歩きして銀漢へ
秋茄子の皮を剥がせば渚色
春昼のバス待つやうに鱧を待つ
句意を説明する必要もないほど、明快な世界が提示されている。誰もが一度くらいは、こんな経験をしているので、ことに懐かしい風景である。
そのなかでも、ころころとこぼれ易い零余子の幾粒かを封筒に入れる時の感触や音やらが懐かしく蘇る。
「森山いほこ第一句集『サラダバー』 2016年 朔出版」より。、
冬薔薇の束を抱きて九階へ
サラダバー横歩きして銀漢へ
秋茄子の皮を剥がせば渚色
春昼のバス待つやうに鱧を待つ
虫売りから祖国へ続くところで、この祖国の存在、在り様が見えてくる。祖国は作者の故郷と同義なのではないかと思う。
目の前で売られている虫も同時に祖国を失ったかのように思えて、その声が哀れになる。極めて卑近な風景を詠んでいる句集のなかで、突然目の前に大海、あるいは高原といった視界のひろがりを感じる一句だった。
ほかに、「優曇華や朝昼晩と飯を食ひ」「雑炊に醤油垂らすや午前二時」など。「瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』2016年 邑書林」より。
HTML convert time: 0.236 sec. Powered by WordPress ME