日常はいちいち理由を掲げないままの行動の積み重で成り立っているのかもしれない。冬の怒涛を見たいと思ったというのでもなく、冬の怒涛の切り岸に引き寄せられたというのとも違う。来てみれば、それで目的が達成したというのでもなく、またもとの道を引き返していく。
雑誌「蘭」を読んでいたことがあった。その中でも和田氏の叙情性は青春性を重ねて、不思議な密度があった。その叙情性が健在な今回の句集「『椿、椿』2016年 ふらんす堂」には懐かしさを感じた。
他に(すれ違ふ少女に蛇の匂ひせり)(五月雨の一夜に錆の湧きにけり)(玄海に椿一輪咲いてをり)(しんしんと空の奥より若葉冷え)(足で足洗ひて秋の澄みゐたり)
など。