2016年3月 のアーカイブ

雨あとの今朝は大きな梅日和    関口恭代

2016年3月12日 土曜日

一句はひとえに(今朝は大きな梅日和)にある。逆にどこかに小さな梅日和もあるのかと、思いを寄せてしまうのだが、(大きな)が梅日和の明るさや日差しや花の白さに輪郭を作っている。

「関口恭代九句集『冬帽子』2016年(株)ウエップ」。他に(高層の窓は灯の海大石忌)(ステテコの人黒飴のにおひせり)(むかご蔓あの日のやうに引き寄せる)(野菊晴れ八十路の坂は日々発見)

啓蟄の空ずぶぬれになりにけり   川村五子

2016年3月12日 土曜日

啓蟄と言う季語は意味としては理解するのだが、映像的に思い浮かべようとするると漠々とした気分のみが浮かび上がる。広辞苑の解説の最後に驚蟄という言葉があった。このほうが具体的にイメージできそうな気がする。

(空ずぶぬれ)ということばに託した啓蟄の日の空気がここには言い留められている。雨は空から降ってくるものなのだが、なぜか雨が空まで濡らしたという措辞に置き換わって伝わってくる。

「句集『逞しき空』2015年 角川書店」には(敗荷や空の一片はがれ落つ)(盃の月の光を飲みほせり)(蝌蚪の紐ぐらりと関東平野かな)(十月桜行きどころなく佇ちつくす)(鳥の恋空逞しくなりにけり)など、空の句が多い。

購読者

2016年3月10日 木曜日

昔、魚座という雑誌を今井杏太郎さんが創刊した。今井さんのあの力まない作風が好きだった。そんなことで、購読していたことがある。二、三年経ったころ、編集部からの印刷した書面で、「魚座」は講読制度を中止することにしました、というご案内を戴いた。

そのとき、もしかしたら今井さんの心遣いなのではなかったかと思った。購読し始めてはみたものの辞めるということを言いだせずにだらだらと購読を続けているのは気の毒と・・・。今井杏太郎さんはそんな思いやりを持つお人柄、いや潔さのある方だった。

「ににん」を立ち上げた時から5年ほどは、購読者の数が、同人の3倍以上いた。そのおかげで、毎年の同人誌の赤字補填が出来ていた。着席正餐の5周年祝賀会も、ににんの内部での寄付集めなどしなかった。

今井杏太郎さんのことがにわかに思い出された。それは初期の購読者の方々は、それまで在籍していた結社の先輩やら句会仲間だった方々で、「ににん」創刊の応援という意味が強かった。それで、そんなにいつまで甘えていていいのかな、と思い始めたのだ。

そんな折、中でもことに高齢のIさんが購読中止を申し出てきた。何も書いてはいないが、身辺を整理しているのではないかと想像した。そのIさんの周辺で購読していてくださる方々も、私よりも高齢の方々で、私のほうで区切りをつけた方がいいように思った。それで、購読を続けたい方々には贈呈しますので申し出てくづださいという案内を配布した。

それからまた7年ほど経った15周年を機に、古巣の方々にはすべて、以前と同じような案内を出した。石鼎についても書き切ったこの時期でなければ、言いそびれてしまいそうだとも思ったからである。いろいろな方に支えられて、「ににん」が続いてきているのである。

「ににん」62号入稿

2016年3月9日 水曜日

立春から一か月はすぎたけれど、窓から見える木立は冬のままだ。いや、多分近付けば春の兆しが見えるかもしれない。今日は曇り空で木立が黒黒と聳えるのが余計に一日をうす暗くしている。

61号が記念号で、特別に時間が掛かったので、そんなに負担を感じないで時が過ぎていくのかもしれないとも思ったが、やはり「ににん」編集の終わるまでは時間がギクシャクと過ぎてきた。

いつも通りに、事前に校正する人たちに原稿を分割して配っておく。それを各自が持ち寄ってから校正が始まるのである。他結社はどんな方法でやるのかわからないのだが、この分割するということは、それぞれが部分的に丁寧に読んで貰えることになる。

最近は俳句関係はすべて編集長一人に分担して貰っているので、わたしのほうは文章のみになって大分楽になった筈なのである。

第一校正はににんの句会を早めに切り上げて、句会と同じ机に持ち寄った句稿を並べる。そうして自分が担当したのではない原稿を校正する。そうやって各人の朱の入れた句稿を、私が家に帰ってパソコンに向かって一人作業となる。

ページの割り付け表を頼りに、空き頁があれば埋め草を考えて、すべてをプリントアウトして頁を振る。要するに、初校の段階までは私のパソコンの中での作業となる。

それから紙焼きは郵送で、データーはメールで印刷所に送って完了となる。やっと手を離れた。

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