一滴の醤油が山なのか、山が一滴の雫なのかという錯覚を起こさせる虚実皮膜が魅力的である。作者は俳人で画家の糸大八氏の夫人。(箸立に長き黒穂のねこじやらし)(文机に昨日の通草ありにけり)など、画家の視線を感じる。
荒井みづえ句集『絵皿』 2015年 書肆麒麟
岩淵喜代子記
一滴の醤油が山なのか、山が一滴の雫なのかという錯覚を起こさせる虚実皮膜が魅力的である。作者は俳人で画家の糸大八氏の夫人。(箸立に長き黒穂のねこじやらし)(文机に昨日の通草ありにけり)など、画家の視線を感じる。
荒井みづえ句集『絵皿』 2015年 書肆麒麟
岩淵喜代子記
全体に、シニカルな心情が具象化を促し、情緒的な季語に溺れないで対象を捉えている。たとえば、掲出の(虫の音)がそうである。鳴き尽している虫の音を(枕にすみつく)とすることで表し、その枕を(裏返す)によってふたたび虫の音を際立たせている。他に(はひはひができたるころの敗戦日)(靴下をねぢ込むポケット春渚)(帰省子に持たすタオルの洗ひたて)など。
藤野律子第二句集『風の章』 2015年 ふらんす堂
岩淵喜代子記
『萌』2015年7月号 名句探訪 筆者 岡葉子
薬師寺の西塔東塔であろう。東塔は創建当時より現存するもので一三〇〇年の歴史をもつ。西塔は昭和五六年の再建であり、そのあぎやかな色彩におどろかされる。しかし、この色が奈良の都の本来のありさまであったろう。とはいえ、やはり長い時をへた東塔に愛着をおぼえる。「あたたかし」の季語が多くをかたっている。『俳句四季』4月号「花辛夷」より
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