「松の花」2015年6月号 筆者・平田雄公子
「見えてき」たのは、「七七年目」=齢喜寿の目出度い「椿」の花。誰しも椿は幼児から身近に在り、親しい花であろうが、節目にも又格別なのだ。そして紅椿であれば、血脈にも師脈にも通じ尚更であろう。「俳句4月号」発表句より)
「松の花」2015年6月号 筆者・平田雄公子
「見えてき」たのは、「七七年目」=齢喜寿の目出度い「椿」の花。誰しも椿は幼児から身近に在り、親しい花であろうが、節目にも又格別なのだ。そして紅椿であれば、血脈にも師脈にも通じ尚更であろう。「俳句4月号」発表句より)
「麻」2015年5月号より・「俳句月評」 筆者・川島一紀
俳句」四月号「永き日」より 梅が咲き始めるころ、待ちきれないで早咲きの梅を、あてどもなく山野を探し歩く。寒い中をしばらく歩いていると、刃物屋があった。珍しさもあって、その店へ入った。そこには、刃先が鋭く光る刃物が何本も置かれていた。刃物の青白く冷たい光に一層、寒さが募ってきた。探梅行の寒さと刃物屋の刃物の冷たさが照応。俳句」四月号「永き日」より
「雲」2015年6月号より・「俳句の窓」 筆者・大塚太夫
不思議な句である。改めて「探梅」と「刃物屋」の距離感、質感を考えてみた。そうすると「探梅」の持つ、楽しさの中にある一種の危うさが「刃物屋」にいる時間と極めえて近い、とわかった。なるほどなぁ。
滝の真っ直ぐ落ちる様は、これまでにも幾たびとなく詠まれてはいる。だが、自然諷詠の捉え方が知的センスなるな表現力によって選ばれていて新鮮である。それは、以下のような句にもいえる。(身ほとりに風を集めて薄ころも)(ひとひらも蝶とはならず飛花落花)(青簾しばらく風の寄りつかず) 「西宮舞句集『天風』2015年 角川学芸出版」より 岩淵喜代子記
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