出かける前から楊梅の実が気になった。たしか暑い時期にその実は成っているはずなのである。今日は桶川のさいたま文学館で、今年度の文芸賞の選考委員の第1回目の会議がある。その文学館の最寄り駅の桶川駅近くに楊梅の木がある。
文学館へは、何故か一時間くらい、と思ってしまうのは同じ埼玉県内という気安さからだ。ところが、実際には家から文学館の会場までは、一時間をはるかに超える時間がかかる。家を出るときには、向こうへ着いてから、文学館脇にある茶房でお茶してから、文芸賞選考委員の会議場に臨むつもりでいたのだが、その余裕はなさそうだった。
慌てればお茶ぐらいは飲めそうだったが、やはり気が急くので、会場に直行した。まだ予定の時間には15分くらいあった。でもでも、なんともうほとんどの顔ぶれが揃っていた。みんな律儀な先生方だなーと感心してしまった。やはり、選考委員という役目をおろそかにはできないという気持ちの表れが、時間内に会議の席に着くということなのだろう。
出かける前から楊梅のことばかり気にしているのは、不届きものかもしれない。帰りは連れもなかったので、気兼ねなく楊梅の木に立ち寄れた。いつだったか、島根県の古事記の黄泉平坂の場所とされている所を訪れたとき、その前に楊梅の木が植えられていた。黄泉の国から逃げ帰るイザナギが鬼たちに投げた桃ってこれのことなの、と意外に思ったりもした。
それでも楊梅の実の色は、確かに黄泉の国にふさわしい色かもしれないが、こんなに小さくてはいくら投げても効果がないような気もした。まー、それはおとぎ話みたいなもの。神さまが手にとればたちまち巨大な実になるのだろう。誰に気兼ねもなく立ち寄った楊梅の木だったが、実が一つもついていない。落ち尽したというより全く実の気配もない。これから実が出来始めるにしても、その気配ぐらいはあってもいいのだが。