(2014年北溟社編『新現代俳句最前線』より) 綿虫って生きていることを忘れた生物ではないかと思う。あるときふわりと人の目線に捉えられても慌てない。まして、逃げようなどとも思わないらしい。綿虫のふわふわとした漂いに合わせて掌を差し伸べていれば、そこへすんなり降りてきてしまうのだ。
初冬の小春日和と呼ばれる穏やかな日を選んで、どこからともなく湧いてくる姿は、まさに(綿虫のただよふ姿しか知らず 稲畑 汀子)に尽きるのである。
掲出句は、その綿虫の静かさを(あたりがしんとしてをりぬ)の把握によって言い留めている。さりげない措辞だが鋭い凝視である。その提示で、ふたたび静かに漂う綿虫がクローズアップされていく。(岩淵喜代子)