跋 高橋睦郎
『妣の国』は『列柱』『縄文』につづく第三句集。そのタイトルからも重い句集という印象を抱いていたが、それともちょっと違う象徴詩的である。たぶんそれは、ピンポイント的な描写方法にあるのだろう。
五月雨や老人の列前進す
炎天に歯車が犇いてゐる
ゆうがほはいつもまちくたびれてゐる
秋澄むや老人象をみつめをり
桃のあるのは人生のちよつと外
冬芝に金の日射せば子が消ゆる
跋 高橋睦郎
『妣の国』は『列柱』『縄文』につづく第三句集。そのタイトルからも重い句集という印象を抱いていたが、それともちょっと違う象徴詩的である。たぶんそれは、ピンポイント的な描写方法にあるのだろう。
五月雨や老人の列前進す
炎天に歯車が犇いてゐる
ゆうがほはいつもまちくたびれてゐる
秋澄むや老人象をみつめをり
桃のあるのは人生のちよつと外
冬芝に金の日射せば子が消ゆる
こういう本が出るたびに虚子という先人の大きさを知ることになる。この一書は相子智恵・生駒大祐・上田信次・神野紗希・関悦史・高柳克弘の各氏が分担しながら、虚子の俳句の365日を鑑賞している。ですます調に統一したことで、つぎからつぎへと読み移っていくときの躓きもない。
虚子の俳句の多さは群を抜いている。そうしていつの間にかかなりな数が蓄積されている筈だったが、「こんな句もあった」と認識する面白さもあって宝探しのようである。
美しき蜘蛛居る薔薇を剪りにけり
バスの棚の夏帽のよく落ちること
競べ馬一騎遊びてはじまらず
田中裕明に学んで、現在「静かな場所」同人・「秋草」主宰
田中裕明の生前の鑑賞を栞に帯に掲げている。その師系を知ると、なお田中裕明の匂いを濃く感じるやわらかな、詠みぶりである。
葱坊主あたりがらんとしてゐたり
葛の花ときに赤子の匂ひする
ヨットの帆ゆれて武者人形飾る
もの言はぬことが仲よし豆の花
夕立の人それぞれに鞄持ち
葱坊主のあたりががらんとしていること、葛の花に赤子の匂いがあること、ヨットの帆がゆれて武者人形を飾ったとなど、いずれもが、作者の独断的な感覚でしかないのに即座に共感させられてしまう。それが、どこからくるのか。一篇が最後まで魅力的である。
跋文 正木ゆう子
24年間の作品群からの346句の作品集。「寒雷」「雲母」誌上で水上氏のお名前は目にしていたのは、殊にその風格ある俳号のせいもある。手堅い俳道を積み重ねてきている作品群である。
山しづかなり空蝉の貌の泥
夕日から父があけびを提げてくる
船酔ひのごと紫陽花の家を辞す
ぱつちりと白梟に日向あり
人のゐるところに鳴つて春の水
木瓜咲きぬひとり暮らしの弟に
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