‘他誌からの転載’ カテゴリーのアーカイブ

『天為』2012年8月号 主宰有馬朗人

2012年8月17日 金曜日

白雁句集評
『天為』2012年8月号 主宰・有馬朗人

新刊見聞録    筆者 矢野玲奈

岩淵喜代子句集『白雁』評 
「ににん」代表の第五句集。あとがきに「句集作りは、今の自分を抜け出すための手段のような気もしてきました。」とある。 

万の鳥帰り一羽の白鳥も
句集の題になった句。万の鳥から一羽をクローズアップする。作者も白雁のように目立つ一羽。抜け出そうとしている一羽。
幻をかたちにすれば白魚に

幻は形にできないもの。一方、白魚は小さくとも幻ではない。それでは、白魚を他の季語に言い換えてみることができるだろうか。他の季語では、重量感や質感が意識されてしまって幻から遠くなってしまうような気がする。
花ミモザ地上の船は錆こぼす
登山靴命二つのごと置かれ
船や登山靴の存在を大きく堂々と描く。構図がしっかりとしているのは、ユニークな題材でも同様。

十二使徒のあとに加はれ葱坊主
月光の届かぬ部屋に寝まるなり

葱坊主が一列に並んでいる様子を直接描いていないのに、読み手に映像を結ばせる。
狼の闇の見えくる書庫の冷え
今生の螢は声を持たざりし
尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯

一方、心象的な作品は、季語の持つ抒情性を活用し、読み手に想像させる余地を与える。人気の無い静かな書庫と狼の闇が繋がっているという感覚。螢は声を失い、人間は尾を失う。漂う喪失感から代わりに得たものを探したくなる。
いわし雲われら地球に飼はれたる

存在するものとしないものを読む作者。その判断基準は地球。次に抜け出すのは地球かもしれない。

『八千草』2012年 創刊15周年記念号 主宰・山元志津香

2012年8月17日 金曜日

俳書紹介   筆者 山元志津香

 『白雁』 岩淵喜代子句集

「ににん」代表。句集評論多数。俳句らしい俳句に倦みはじめた作者の変貌と云おうか? 深化が歴然とし、しかし唸らせる珠玉の数々。自分を変える「憧れ」の旅を着々と上昇中、筆者も憧れの作家である。

今生の螢は声を持たざりし
桔梗の花に折目や湖昏るる
冬枯や小鳥の首のよく動き
万の鳥帰り一羽の白雁も
下萌えや雀の奪ふ象の餌

『円錐』第54号 代表・澤好摩

2012年8月14日 火曜日

岩淵喜代子句集『白雁』

     ―― クビキとせつなさ               筆者 山田耕司

  箱庭と空を同じくしてゐたり
 作者が生きる日常と、箱庭と、それらにとって空は共有されている、という発見。この句の意をここで汲み取り終えたとするならば、それはあくまで一句の示す「情報」に接しただけの段階である。読むにあたり、人間の身体が五官を通じて得る感性のもろもろを投入して句のフトコロに入り込んでこそ、「情報」は「作品」の顔つきになってくる。「空を同じくし」ているという感慨は、箱庭を見ながらではなく、空を見ながら得ていると読者は受け取ることだろう。読者の現実の身体はさておき、読解のために作品のフトコロに投入した身体は、箱庭も空もいっぺんに見ることが出来ないので、まずは空を見上げるしかないな、と判断するからである。同時に、作者から与えられた情報によつて、読解のための身体は、自らを箱庭の上に立たせて空を見上げる。「空を同じくしてゐたり」という表現から〈実感〉を得ようとすると、箱庭の外にいる作者の視点を追体験すると同時に、同じ空を箱庭から見上げることになってしまうのである。かくして、われらが身体は、伸縮し、かつ、複数の地点に平行して存在することを体験させられる。こうした体験が日常の感性に還元される時に、ふだんは意識することのない「私」の感性の〈辺境〉や〈可能性〉が、ふいに手応えを以て読者に立ちあらわれることになるのだろう。

 俳句が、もともとそういうふうに作られるものであり、かつ、読まれるものである、と限定することはできない。俳句には、意味から解放された言葉が定型という器に憑依するようにつくられる場合もあれば、む
しろ、等身大の入間の記録以外は俳句と認めないという場合もあって、ひとくくりにはできないのである。ともあれ、岩淵喜代子は、書き記されている情報を超えたところに読者を誘う方法を、俳句形式において自ら見届けようとしているようである。

  花ミモザ地上の船は錆こぼす
 花ミモザの形状や目でなぞるところの触感と、もはや機能や意味さえも失いつつある船の身より剥落する錆の存在感は、(季語十類推される物質)という方程式に落ち着くこと無く、読解における身体感覚を揺さぶることになるだろう。

  寒禽や匙はカップの向かう側
 カップの「向かう側」と「こちら側」との過剰な意味から解放されている〈距離〉、そして姿がカップによって見えなくなってはいるけれども、五感で類推しうる匙の〈質感〉。こうした感覚を受信する身体において、「寒禽」をとらえてみよ、と作者は問いかけてくる。寒禽目‥カンキンという音が、句における匙やカップのありようへの体感を下支えすべく意図されていたとしても、作者の配慮においていぶかしむところではない。
 現実の作者の身体が感じたことを報告するのではなく、読者の身体感覚を揺さぶることをこそ契機とする作品つくり。そうした営みがなぜ行われるのかは、これも一元的には述べることが出来ない。しかし、もたらされる句には、本来は有限な存在である身体が、時空を超えて、あるいは伸縮しながら、なお身体でありつづけることのせつなさのようなものがおしなぺて漂う。句集『自雁』には、いささか理が語られすぎることで重たくなっている句も散見出来るが、これらも、こうしたせつなさへの志向があればこそのことであり、句において〈情報〉としての側面が雄弁に勝ったものと思えばよさそうである。

 晩年は今かもしれず牛蛙
 残生や見える限りの雁の空
 今生の螢は声を持たざりし

 俳句の俳とは、非日常です。日常の中で、もうひとつの日常を作ることです。俳句を諧謔とか滑稽など狭く解釈しないで、写実だとか切れ字だとか細かいことに終わらないで、もっと俳句の醸し出す香りを楽しんでみませんか。(俳句雑誌「ににん」より)  「ににん」は岩淵喜代子が中心となったウェブ上の俳句雑誌。一読「何でもあり」のように見えるが、実は、存在における有限というクビキを客体化した上での宣言なのだろう。『白雁』を読むに、その意深まるばかり。
 小豆粥穢土も浄土もなかりけり

『天衣』2012年8月号 主宰・岬雪夫

2012年8月8日 水曜日

現代俳句鑑賞    筆者 中川康多

蝌蚪の国日の出日の入り響きけり  岩淵喜代子
      「俳壇」6月号

作品は「葦舟」の中の一句。蝌蚪には蝌蚪の国があって、その中にもそれぞれ日の出、日の入りがある。その度にさまざまの音を発し響いているのである。作者のユニークな見方に、大いに勉強させあっれる。

『帆』2012年8月号 主宰・浅井民子

2012年8月4日 土曜日

句集鑑賞   筆者石井洽子

岩淵喜代子著『白雁』

万の鳥帰り一羽の白雁も

この句を句集名とされる「ににん」代表の著者の308句を収める第五句集である。

幻をかたちにすれば白魚に
月光の届かぬ部屋に寝まるなり

「句作りは等身大の自分を後追いせずに自分を抜け出すための手段」であり「切に自分を変える旅がしたい」と。

花ミモザ地上の船は錆こぼす

空の海にミモザの大枝が船となりゆらゆらと撓っている。たしかにその黄色は錆色を含んでいる。

十二使徒のあとに加はれ葱坊主

伸びた葱坊主と十二使徒。この視線にある愛しみとやさしさ。

一生の幸とは花びら積もるやう

積もった花びらの隙間の柔らかな空気。あくまでも透明な軽さ。本当にそんな一生でありたい。「憧れ」を追う旅がしたいという著者の今を一冊にしたこの本は読者の胸底に落ちいつまでも共鳴する。そして風の道を歩むことの豊かさを改めて思う。

『美濃』2012年8月号 主宰・渡辺純枝

2012年8月3日 金曜日

現代俳句月評        筆者 高御堂季男

 俳壇6月号「蘆舟」より
蜜豆や出雲八重垣妻籠めに      岩淵喜代子
             
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」と、神代の昔、須佐之男命は愛しい人に詠った。「貴女を籠らせるために私は美しい八重垣を作りますよ」という意味である。掲句は「八雲立つ」が「蜜豆」に置きかえられている。それは「私には蜜豆があれば幸せですよ」という諧謔味のある意にもとれる。しかし、さらに深く読むと、ここには作者の奥深い思いが込められているように思える。それは、美しく涼しげな「蜜豆」に寄せた昔日のあれこれである。

『遊牧』2012年8月号  主宰・塩野谷 仁

2012年8月3日 金曜日

遠交近交     筆者 塩野谷 仁

万の鳥帰り一羽の白雁も    岩淵喜代子

『白雁』(角川平成俳句叢書38)は氏の第五句集。308句を収める。句集名は掲句から採ったとあとがきにある。「一羽の白雁」のあざやかな残影が心に沁みる。このこと、清水哲男氏が帯文でこう語っていた。「万の人間の一人として万の鳥の一羽を詠む。等身大の人生から、ユーモアの歩幅とペーソスの歩速で抜け出してはまた、岩淵喜代子は地上の船に還ってくる。」
作者の句作の全容を語ることばでもある。

化けるなら泰山木の花の中
螢から螢こぼるるときもあり
折鶴に息を吹き込む夏休
鬼の子や昼とは夜を待つ時間
まるごとがいのちなのかも海鼠とは

作者の「あとがき」が心を打つ。「書くことは(生きざま)を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。句集作りは今の自分を抜け出すための手段」だと記していた。留めて置きたい言葉でもある。そんな作者の、句集の後半から共鳴作のいくつか。

幻をかたちにすれば白魚に
雲雀には穴のやうなる潦
青空の雲雀は海へゆきたがらず

『松の花』2012年8月号 主宰・松尾隆信

2012年8月2日 木曜日

現代俳句管見(162)     筆者平田雄公子
総合誌「俳壇」巻頭の10句欄から

蘆牙や声かけるとて振りむけり    岩淵喜代子

「蘆牙」=春先の水辺に、誇らかに新芽を伸ばす蘆。そして、その発見をすかさず後続の人に、「声」をかけるため「振りむ」く人。詩情纏綿にして、春らしく弾んだ、二段切れを意に介さない、句。

子規新報 第2巻 第36号

2012年8月1日 水曜日

読書日記   小西昭夫

某月某日  岩淵喜代子句集『白雁』を読む
「句集作りは、今の自分を抜け出すための手段のような気がしてきました」と書く岩淵さんの第五句集。この句集の上質なユーモアに感心した。

七曜のまたはじめから冷素麺
大足の人も虫干ししてゐたり
十二使徒のあとに加はれ葱坊主
恋猫のために踏切上りたる

句集『白雁』 

2012年7月29日 日曜日

毎日新聞 俳句月評
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