‘喜代子の折々’ カテゴリーのアーカイブ

田芹

2019年3月26日 火曜日

谷中銀座をぶらぶらしていたら、田芹が売っていた。
昔は春になると近所の田んぼで芹を摘んでいたが、今は田んぼが無くなってしまった。売っていたのは、その摘んだことのある田芹だった。

春の山菜は独特な味がする。なんの味かと言われても山菜の味としか言えない。その苦みも独特である。このところ、毎年春になるとタラの芽がいち早く店頭に並ぶ。さらに、そのタラの芽を天ぷらにしたものが売り出された。

以前は蕗の薹の独特な苦みに比べると、タラの芽は特別な味もしないような気がして、なんでみんなそのタラの芽を珍重するのだろうと思っていた。ところが、スーパーのタラの芽の天ぷらがなんとも不思議な複雑な味で、目にするたびに買ってきていた。

タラの芽が、いちばん上品な山菜のような気がしてきた。今頃になってそれに気が付いたのもおかしな話である。

知人が庭に繁縷がたくさんはびこっているので、食べてみようと思う。と言っていたので、どうなったかな、と思っていたら、結局繁縷という確信が持てないのでやめてしまったという話をしていた。

繁縷は七草粥の材料として新年の店頭に並んでいる。毎年買ってきて、一応種類を確かめてみるのだが、たしかに繁縷も混ざっていた。しかし、一本位しかない材料では味は解らない。

想像の中では、ほとんど味らしい味もしないのではないかと思った。その話を聞きながら街中を歩いていると、歩道の端に紛れもない繁縷がはびこっていて、花をつけていた。

三月も終わり

2019年3月20日 水曜日

お菓子お茶室三月も終わりに近い。少し遅めのひな祭りのお食事会、正式には茶粥懐石を頂いた。

厄介だったのは、老若を問わず最近正座が出来なくなった人が多いので、茶室に椅子が用意されていた。その椅子がスツールなので背もたれがない。

長時間座るには、かえって辛かった。私は二時間くらいの正座は平気である。むしろ椅子より疲れない。

まー、しかし、膝を曲げられない人にはいいのかもしれない。阿佐ヶ谷の鄙びたお家はお茶席のためにだけあるお宅のようで、庭のさり気ない整え方もよかった。

今回は人数が多くて、15,6人ぐらい居ただろうか。本当は小さな部屋で同じ分野の話の出来る人が、肩を張らずに本音を言い合えるような仲間がいい。

4,5畳の茶室と言うのは、まことにそうした会話をするのに相応しい広さなのだ。

そういう意味では、連句などにはうってつけの空間が出来上がる。「さしつさされつ」などという段取りもしない。ときどきお酒が回ってくるから、飲みたい人は自分で注げばいいのである。座の静かさも保たれる。

夜空は朧月になっていたが、満月ではなかった。

多摩の横山

2019年3月17日 日曜日

musasino一年に何度か訪れる府中「郷土の森」、まだ枯れ枯れの風景だが木肌に当たっている日差しが3月だ。根元まで日を浴びた裸木がきれいだった。この一枚も葉のない木立が好きだ。

裸木にまんべんなく当たっている日射しは、その足元の根にまで及んでいる。そこだけ切りとれば寒林と呼んでも通用するこの光景が、なぜか清々しくて惹かれる。園内は梅が咲き終わって山茱萸の花が盛り。

郷土の森の脇には多摩川が流れていて、その川向こうには多摩の横山が連なっている。自然の野原をそのまま区切ったような園内は、その横山まで一体感があって、思いつくと足を延ばしている散策路の一つである。

74号印刷所へ

2019年3月7日 木曜日

「にんん」74号を予定通りに印刷所に送った。ワードで作成した原稿をページ順に揃えて、データーはUSBメモリーに入れて、郵便局に持っていく。毎回、この手順は変わらないが、橋の袂にある小さな郵便局に行くときの足取りは特別軽い。

いつもは、メールでデーターを送って、紙焼き原稿を郵送するという手順をとっていたが、写真が重くて送れない原稿が出てきたりするので、最近はデーターも一緒に郵送するのだ。そうして今日は晴れ晴れと鎌倉散策などしようと思っていたが、雨に加えて春雷も鳴るとかの予報があって中止にした。

あと5回発行すると「ににん」は80号になり、20周年を迎える。この持続力は我ながら凄いなーと思う。ここまでくると、いろいろと歴史も積み重ねてきた。20年の歳月の重さがようやく実感できるようになった。

お水取りの紙の椿

2019年3月3日 日曜日

DSC_0781落ち椿
お菓子のお皿を手にして、何の花かしら、と思った。すかさず隣人が「お水取りの椿ね」と言った。私は「そうなの」と言いながら、お水取りの何処で椿の花なんか飾るのだろうか、と思った。

「私も見たことがないんだけれど、お水取りでは造花の椿を飾るのよ」と隣席の女性がまた言った。そのとき微かな記憶が浮上してきた。何年か前に行ったお水取りの二月堂で「造花の椿なのね」と呟いた記憶が蘇った。

何の花かもわからずに食べ始めた私と違って、椿と見定め、しかもその椿がお水取りに飾られる造花の椿を模したものとまで見極める女性に感心してしまった。

そうしたら席主がその二月堂で飾る紙の椿を見せてくれた。手前が使用した椿で、後ろのが未使用の椿の造花だという。本物の椿を飾らないのは、お水取りの間に花が落ちるのを忌み嫌うからのようである。

今頃は多分この紙の椿を大勢で作りためているのではないだろうか。なにしろ大きな枝ぶりの椿だったと記憶している。

小説工房

2019年2月27日 水曜日

小説は私には向かない、と思っていた。なぜかと言うと、説明しなければならないことがたくさんあるような気がして面倒くさいな、と思っていた。それなのに、なんとなく「小説」の講座を申し込んでしまった。

二日間で八コマの授業を終わると最後に小説が出来上がるという仕組みのようだ。この方法が面白かった。いつもは結構居眠りなんてしてしまうこともあるのだが、今回一度も居眠りが出なかったのは、つぎつぎ課題を書かなければならなかったからだ。

今回はパソコンを持ち込んでおいてよかった。講座では、初めのほうで小説を書くために主人公のイメージを作らせた。私は五〇歳の女性・フリーライター・ロングヘアー・などを書きこんでおいた。そこからつぎつぎ質問が出されて適当に書いていくのだが、講師の課題は決してその最初に決めたイメージのための質問でもなかった。

例えば、★夏目漱石「こころ」のKに来世で出会ったら「わたし」はどんなことばをしゃべるか。★イケメンの顔を見せて、どんなことをつぶやくか、★こんなことに出会ったら嫌だなーと思うようなこと、などなど10項目以上の課題についての小文が蓄積された。

初期に作らされた「五〇歳の女性・フリーライター・ロングヘアー・醒めた視線」などの主人公をイメージしながら「水曜日の晩ごはん」の場面を書くようにと言われたのは二日目の昼頃。そしていよいよ最後の時間に小説にまとめよ、という順序になった。

ここでパソコンが威力を発揮した。これまでの小文をつなげたり前後させたりするのは手書きでは手間取る。掌編小説があっという間に出来上がった。できるものなんだなー、としみじみ思った。

暇そうにしていたためか、先生が近づいてきて作品に目を通しているうちに、「かっこいい」と言った。私の作品の中の「孤独になんてもう居直ってしまっている」という箇所にいたく感心したみたいだった。二度ほど呟いた。

私のような年齢のものには当たり前のことが、若い人には新鮮に映るのかもしれないと思った。なんだか、小説が書けそうに思った。

机上の友達

2019年2月8日 金曜日

文房具一日の殆どはパソコンの前に座っている。写真はそんなわたしの遊び相手と必要グッズ。パソコンが立ち上がるまでの間を埋めるのが布製の蛙、もう15年ほどこの机上に住んでいる。ほんとうはこの子供もいたのだが、見当たらなくなってしまった。成長してとんでもない大きさになって戻ってくるかのしれない。

昨日久しぶりに出かけた走水、そうしてそのさきの観音崎のホテルで昼食をとりながら得た情報や句稿の端切れを挟んでおくのは、小鳥型の洗濯ばさみ、とても重宝している。

この洗濯バサミの数が増えると、机上をすっきりさせたいがために必死になって原稿書きを終わらせ、整理を終わらせ、読まなければならないものを読む。

賑やかな模様のクマさんはどこで手に入れたものだったか。和柄模様のクマさん、今日手にしてみたら手足が動いてお座りができるのだ。それならパソコンの端にでも座らせてあげられたのに、と思わぬ発見した。

それにしても、今日は曇り空で、昨日とは打って変わった空模様である。明日は雪の予報も出ているので、もし雪が降ったら先日失望した平林寺の内側ではなく、その裏にでも行ってみようと思う。いつだったか、裏側から距離をおいて眺めた冬の雑木林がきれいだった。

暖炉

2019年1月19日 土曜日

 今日は「俳句界」のグラビアに載せる写真の撮影で穴八幡へ。カメラマンは普段はファッション雑誌用のモデルたちが専門だという。

そっそんなー、緊張しちゃうじゃないのと思ったが、もじもじしている間もなく、編集者が「わーステキー」と私のマフラーを誉めてくれて、すでに撮影準備態勢に入った。

境内は、もう賑わいが終わっているだろうと思ったが、まだ出店で賑わっていた。「ににん」で揃って初詣にいく神社である。カメラマンは30歳だという若手、しかし写すときにはプロである。

たえずいいですね、いいですよ、少し笑いましょうかなど、レンズを覗きながら声をかける。まー赤ちゃんあやされているようなもの。次に早稲田大学の構内でパチリパチリ。
自由学園

「これからどちらえへ」と言われて、「自由学園で暖炉が焚かれるので、そこで何となくおしゃべりする約束をしてあるの」と言ったら「何となくなんていいですね」と言われながら撮影は終わった。

入場券の受付の前にたむろしていた中から名前を呼ばれた。6、7人のお仲間で来ているようだった。私たちの仲間は4人なのだが、既に一人は中にいるという連絡がきていた。フランク・ロイド・ライトの設計の建設によるもので、大正10年ごろの建築である。

オール電化にしてしまったので、我が家はガスの炎もない。暖炉の薪が作り出す炎の揺らめきは、何故か居心地のいい空間を作ってくれてワイン一杯で三時間も居座ってしまった。

賀正

2019年1月8日 火曜日

DSC_0670暮れから今日までずーっと快晴だった。新年と言っても既に8日である。昨日7日がににんの新年初の句会。会場に集まってから恒例の初詣に出かける。一陽来復のお札を配ることで全国的に知られている穴八幡が近いからである。

ここは冬至のときは、全国からお札を求めてやってくるので、買うのに相当な時間が費やす。しかし、今日は参道は賑やかに出店が出ているが、お札を買う行列はない。ぼんやり思い思いのところで、句帳に書き留めて帰ってきた。

一月の内に、穴八幡にはもう一度来なければならない。雑誌のグラビアのための撮影がある。どこがいいですか、と聞かれたが思いつかないので「ににん」の毎年の初詣の神社にすることにした。

年末年始

2019年1月5日 土曜日

今年の年末はよくぞ切り抜けたと思うほど、様々なことが重なった。それでも、予定した温泉に行く話は実行出来て、秩父山中の温泉で仙台からでてきた娘の家族と年末を過ごした。

このホテルは深夜に山頂まで車で星を見に連れて行ってくれる。眼下には秩父市内がすっぽり山に囲まれた形で現れ、天上は満天の星だった。天の川を探してみたが、それらしい星雲は見られなかった。桜の頃の吉野山山中で銀河を見ることができたが、標高の差もあるかもしれない。

おかげで、「ににん」の発送は年が明けてからになったが、二日の日でも集荷にきてくれた。ようやく73号に漕ぎつけた。あと7冊発行すると「ににん」も二十周年になる。

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