さくらさくら

2022年5月8日

さくら
雨で終わりになってしまったかなと思ったが、晴天の下で勢いを得ていた。

ここまで書いたのが一か月前。それから一度もブログを開かなかったのだ。一年前の骨折で、腰痛が持病として残ってしまった。そのため椅子に長く座っているのことが出来ない。必要な原稿のためにパソコンに向かうのが精いっぱいになった。

今はもう五月、先日はなんじゃもんじゃの花を見に行った。あまり見掛けない花だが、信濃町駅から明治記念館、そして絵画館方面に白い花を辿るとみんななんじゃもんじゃの花である。正式には「ひとつばたご」と言うのだが、正式名は言いにくい。

わたしたちがしきりに白い花を仰いでいると、見知らぬ男性が「なんという花ですか」と問いかけてきたのでおもわず「なんじゃもんじゃの花です」と答えてしまった。今年はいちばん盛りを見たように思うのに、携帯に一枚も収めていなかった。

人形芝居

2022年3月30日

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下北沢は不思議な街である。道が続いているような、途切れているような見通せない街で、小さな飲食店がぎっしり続いている。それでも懐かしい匂いがする。このまえ来たのはいつだっただろうか。

仲間のお誘いがなければ縁がなかったかもしれない。人形劇なんて、とおもいながらだったが、そんな気持ちを払拭してくれた。メイドの身のこなし、靴のコツコツとする音まで忘れられないいきいきとしたものだった。

カフカの変身は、思ったほど物語を覚えていなかったが、見ているうちに思い出してきた。改めて小説『変身』を凄いと思った。人形芝居と言っても操り人形である。黒子が一人で糸を操作するのだが、私の席は、丁度人形の世界と同じ位置だったので、見上げなければ黒子は目に入らなかった。

追悼 清水哲男さん

2022年3月13日

 清水 哲男氏(しみず・てつお=詩人)7日午後5時25分、腎不全のため東京都新宿区の病院で死去、84歳。
 75年に「水甕(みずがめ)座の水」でH氏賞
 94年に「夕陽(ゆうひ)に赤い帆」で萩原朔太郎賞と晩翠賞。
 96年から16年までホームページ「増殖する俳句歳時記」を運営するなど、俳句の評論でも活躍。
                    ・ー・-・-・ー・-・-・
 お目に掛かったのはいつだっただろうか。清水哲男さんの消息を伺ったのは、詩歌文学館賞の授賞式のために、北上の文学館迄出向いた時だった。そのとき、車椅子で句会に出向いているのを知った。3年くらい、いやもっと前だったかもしれない。
 初期の「ににん」に毎回寄稿して頂いたが、「ににん」15号(2004年)には「おーい、老い」という一文を書いている。武者小路実篤の詩や谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』などの老いに触れた文章をとり上げて。最後に清水さんは、

 この国で老人の文学に相応しい文芸ジャンルがあるとすれば、それはやはり俳句だろう。どういうわけか(本当に何故なのか)、俳句に関心を抱く人には老人が多いし、長生きの俳人も実際に多い。だから、俳句ははきっと面白い老いゆえの乱れや発見がたくさんありそうである。そう思って、このごろはその視点から読んだりしている。
次回気が変わらなかったら、俳句と老いについて書いてみたい。

このあたりから老いについて考えていたようだ。最後の行によれは16号も老いについての文章がある筈なのであるが、気が変わったらしい。

心より、お悔やみ申し上げます。

俳句月評 佐久間敏高

2022年2月5日

「ににん」夏号(通巻八三号)
 平成十二年秋、埼玉県朝霞市で岩淵喜代子が創刊。「『同人誌の気概』ということを形にしてゆきたい」をモットーとする季刊誌である。代表岩淵喜代子、編集長は川村研治である。

 本号は同人誌谷原恵理子句集『冬の舟』を特集とし、山野邉茂、林誠司の両氏が当該句集を多角的見地から論評している。また、同人の作品群は、「ににん集」「さざん集」にあいうえお順に収録されている。
 本誌は一般の俳誌と異なり、選評が少なく、高橋寛治の「定型詩の不思議」、西村麒麟の「僕の愛する俳人」、正津勉の「詩歌紀行」の連載など評論やエッセーが圧倒的に多いのが特徴である。また、「ににん集」は、全句が「危険」をテーマとしているのが興味深い。

「ににん集」より
  鏡のやうな冬の泉は危険です    岩淵喜代子
  目にみえぬ危険の匂ひ春の闇     川村研治
  その角は危険な香り冷奴       木佐梨乃
  石鹸玉うすく危険な世を映す     木津直人
  危険なる春爛漫の地球かな      栗原良子
  危険には匂ひありしか沈丁花     小塩正子
  危険とは恐れることよ草いきれ    高橋寛治
  蛍火の危険な闇を手探りで      武井伸子
  危険な男に白き単衣を着せてみる  谷原恵理子
  香水の瓶は鶴首危険な夜      近本セツ子
「さざん集」より
  ロシアンひまわりお辞儀ばかりの母 田中美佐子
  引き鶴の如く旅立つ吾が厳父     千葉 隆
  抱かれて藤房に手を触れし子よ   同前悠久子
  箸莪の花空家となりし写真館     中島外男
  髪留めに溢るる髪や夏近し     服部さやか
  青葡萄寺院の白きロマネスク    浜田はるみ
  急かされて吉野葛買ふ花の雨     牧野洋子
  終点は線路の先の夏の湖      三島やよい
  バス停まる能登半島の青岬      宮本郁江
  連弾の街角ピアノ蔦若葉      村瀬八千代

「ににん」のホームページには、「俳句の俳とは、非日常です。日常の中でもう一つの日常をつくることです」とある。本誌は、「俳誌」というより「文学同人誌」的色合いの濃いのが大きな特徴であり、季刊誌「ににん」がその独自性を保持しつつ、更なる発展を遂げるよう期待し見守ってまいりたい。

謹賀新年

2022年1月27日

IMG_2295 新年になって、一度くらいは書き込んであると思っていたのだが、今日が2022年の書初めだった。今年は仙台で雪の正月を迎え、自宅で雪の七種を迎えた。

相変わらすパソコンに向かい黒目川の散歩というパターンを繰り返しているが、なかなかパンデミックは終わらない。丁度100年前ごろにも世界中がパンデミックに襲われた。そのときも約三年の月日を要して収まった。

 その時期とは、大正7年で石鼎がコウ子と結婚した年である。そうして、スペイン風が収まったのは大正9年で「鹿火屋」創刊の直前までだ。それなのにスペイン風邪の話題は皆無と言ってもいいくらい話題になっていない。

唯一関係のある記事は石鼎の姪が青森で教員をしているが、インフルエンザにかかった。その後肺炎になり、石鼎に助けを求めたのである。同じような状況が宮澤賢治にも起こった。そのスペイン風邪に、大学に通っていた妹がかかり賢治が看護のために東京に出向いている。どちらも感染していない。見習うべきかもしれない。

年の暮れ

2021年12月11日

前回の投稿の日付は10月13日。書こう書こうと思いながら、パソコンを開ければ必要な仕事をしてしまって、結局ブログ迄いかれないのである。ずーっと気になっていたのが、玄関の入口の隅にある蜘蛛の巣。

箒でちょちょいと払えば済むことをやり過ごしているうちに蜘蛛の巣の下に何やら不気味なものが溜っていくのである。それが羅生門の下の鬼の食べ残しのような、敗れた武将の鎧の残骸みたいにも見えて確かに蜘蛛の巣には生き物が棲んでいるのだ。
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無下に掃き捨ててしまうのも躊躇って、巣にかかっている落葉だけ取り除いて出かけた。ところが、帰宅してみると新たな落葉が一枚蜘蛛の中心に据えられていた。「なんなの、木の葉を運んできたわけと屈みこんでみても物音ひとつしない。

帰宅した日の夕方、改めて蜘蛛の巣に屈みこんでみると、どこからは運んできた木の葉が丸まって、何やら葉裏にいる気配だ。どこかに親蜘蛛がゐて、木の葉に卵を産み付けているとしか考えられない。

生まれる蜘蛛は直径1センチもない大きさ。下に溜まる鎧の残骸みたいなものは、蜘蛛の脱ぎ捨てた殻?

散歩コース

2021年10月13日

IMG_1937散歩コースの黒目川の土手伝いに地産野菜の売り場がある。およそ、二キロくらいの距離。

今日は唐辛子の葉が売っていた。葉とは言っても結構唐辛子も混じっているので、取り除いた。こんなに入っていては辛すぎて食べられない。唐辛子は干しておけば、それなりに使うこともありそう。

このところコピー紙の仕損じがやたらと出る。このごろは、文章の確認を印刷して手元で確認するからである。先月は長文の作品が二つもあって、何回もコピーし直したせいか、みるみる仕損じの紙が溜ってしまった。

500枚のコピー紙があっという間に無くなってしまう。要するに、PCの画面より紙での確認のほうが目が疲れないからである。それで、いままでは屑籠にポイポイ捨てていた紙を保存して、資源ごみにすることにした。まー、読まれて支障のない内容でもあるから。

断裁機もそろそろ買わなくてはいけないかも。

曼殊沙華

2021年9月13日

IMG_1830散歩道の黒目川沿いに一輪開いていた。蕾は所々に見かけたのでお彼岸頃には必ず咲きそろいそうだ。毎日夕方日課の散歩道の冷風がこのごろは殊に気持ちがいい。

曼殊沙華に出会って、やっと夏が終わったな、という実感を持った。ににんの再校も終わって印刷所に入った報告も来た。一区切りと思っていたら岩淵さんの原稿がいちばん間違が多いとお小言。

「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と親鸞さんも云っているではありませんか。ミスがない人は校正者も要らないんです。よろしくお願いしまーす。

コロナがなかなか終わらない。草津行も変更しなおしたがまたまた延長になった。それで熱海になったのだが、熱海はいいらしい。どこでもいいから、旅がしたい。できたら飛行機でいく遠いところがいい。

星合の夜

2021年8月14日

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今年は星合の夜は12日なのだそうであるが、夜に点けっぱなしになっていたテレビから天空の星を辿っている画面が流れていた。星合の夜にあわせたんだなーと思っていたが、それ以後、何だか天候は荒れ狂ってきているのではないかと思う。

百均にいったときに、七夕飾りのための品々が纏められているコーナーが目についた。その中の梶鞠モドキに立ち止まった。梶鞠を店員さんはよくわかったなー、と感心しながら、鞠につられて折り紙とともに買ってきた。目の前の藪から伐ってきた笹竹に吊ってみた。写真に収めると結構風雅ではないか。

エアコンも要らない気持ちのいい秋風が吹いたと思っていたが、なかなか雨は止まない。珍しい事をすると雪が降るらしいが、私が珍しい事をすると大雨になるようだ。

コロナ禍籠りの間に

2021年8月3日

新型コロナは始まって以来の感染者数である。いささか気の重さも加速してきた。ニ、三日前に東京は4千を超える感染者が出た。埼玉県は今日千人を越えた。どういう手立てをすればよいのか、専門家にもわからないのではないだろうか。

わたしは相変わらず、書くことは石鼎に繋がる事である。『頂上の石鼎』を書いていた時に、次々に出会うユニークな「鹿火屋」人たち、その人々に興味を覚えた。鹿火屋が創刊されたのは大正十年である。大正ロマンという時代の終わりかけていたころである。

その終りかけのころ、即ち石鼎が龍土町に住んでいたころに尋ねてきた人々を書くだけでもわくわくする。鹿火屋を創刊して間もない号に、思いがけない人物が寄稿していた。歌人の柳原白蓮である。どこで知り合ったの?と石鼎さんに聞いてみたい。

寄稿が掲載されたのは大正十年十月、その翌月の朝日新聞に柳原白蓮の離縁状が載った。勿論離縁させられるのは九州の炭坑王伊藤伝衛門だった。

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