いつの間にか

2018年9月22日

ブログの前回の最後の日付けが8月23日。この更新が丁度一か月ぶり、ということになる。

あわただしくて、書かなくてはいけないことも書かないうちに日々が過ぎている。一番最近の大きな出来事は日本一行詩協会の授賞式である。それでも4日も過ぎてのUPである。授賞式の様子はふらんす堂さんがしっかりブログで紹介しているのでそのリンクを張って済ませよう。ついでに詩歌文学館賞の授賞式も。

選者が角川春樹氏・福島泰樹氏・辻原登氏。辻原氏は「村の名前」で芥川賞を受賞した作家である。二十年前くらいだったかしら」と言ったら、辻原氏は三十年前ですよ、とおしゃった。そんなに昔のことだったのだ。

春樹氏はいま、角川源義の百句の鑑賞に取り組んでいるというお話をなさった。私は高校生の頃ラジオから流れる角川源義氏の声を聴いた話をした。「芭蕉は何故奥の細道の旅に出かけたか」というようなタイトルだった。

30分番組だったから、活字にしてもかなりな量があるはずだった。もしかしたら、源義の文章を探せばその内容は見つけられるのではないかと思う。角川春樹氏とはお目にかかるのも初めて、行く前も会場についてからも緊張の連続だった。

新たなXPと歌舞伎

2018年8月23日

やっと中古のXPのパソコンを見つけてもらった。以前の小型で、机の端に置いて、そこで開いて使えたのだが、これからは、使う度に本来使っているパソコンを片付けなくてはならない羽目になった。でもとにかく、これまでのハガキソフトが使えて一件落着である。そして、夏休み、と言っても我が家に夏休みでやってきた孫や曾孫とのお付き合いも終わった。

今年は小学4年生になる曾孫へのサービスで歌舞伎に出かけた。来る前にどこに行きたいのかを聞いたら「歌舞伎がみたいな」とポツリと言うのだった。たぶん、曾孫の祖母、すなわち私の娘が、東京から帰ってきては、歌舞伎の話をするのを聞いていたのだろう。

それで、演舞場の新作歌舞伎「なると」に一族総出で繰り出した。初めて見るのに怪談話ではどんなものかと思ったのである。全員が一緒の席には纏まらなかったので、初めて観る曾孫に花道のよく見える席を与えて、大きなお弁当を持たせた。

見終わって劇場を出ながら面白かったかを聞くと、ニコットしたとおもうと「メッチャ面白かった」と答えた。さらに「いままで見た中で一、二を争う面白さだった」と、その喜びようがさらに具体化された。

そのあと、続いたのが辛口批評で「でも思ったより中身が薄かったな」と宣うのだった。「だって、話の真ん中がすっぽり抜けていたもん」とつづいた。そうなんだと、「なると」の中身を知らない大人たちは頷くのみだった。

WindowsXP

2018年7月31日

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未だにXPを使っている人なんていないだろう。それもこのパソコンは2004年ものである。しかし、私の使用しているソフトのためにはこのXPが必要なのである。

使用していた「はがきスタジオ」が製造をやめてしまって、Windows10には対応しないのが分かったのは、現在のパソコンに買い替えたときである。それ以来、このソフトのために残したパソコンなのに、デスクトップに画鋲がささってしまったのである。

なぜ画鋲がという理由を言うと長くなるので、それは省いてまた「はがきスタジオ」のためにXPを買おうかな、と思案しているところである。しかし、みんなXPを買うのに賛成しない。なぜって、もう作っていないのだからホローも更新の保証もないというのだ。

何時まで古いソフトに拘らなくても、とみんな言うのだが、このソフトが何と言っても使い勝手がいいので気に入っているのだ。やたらと売っておいて製造中止にするなんてひどいと思う。

そういえば一昨年の冬にナショナル製品の温風ヒーターが壊れて、これも製造中止になっていて修理が出来ないとというのである。この温風ヒーターもお気に入りのものだった。ホットカーペットもストーブからの温風が流れて快適だった。

この形式はナショナル以外には、コロナと富士通のみだということで仕方がないので、また買い直したが、なんか理不尽に思えた。

恒例のゴーヤ棚2018年度公開

2018年7月26日

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 毎年公開しているゴーヤ棚、珍しくもないのだが今年最盛期のゴーヤ棚をパチリ。我が家の記念行事みたいなものである。多分、これまでのなかでいちばん大きいゴーヤが収穫されていると思う。いつものゴーヤの倍くらいある。

 そんなにたくさんの実はいらないのだが、ゴーヤ独特の艶やかな翡翠色を、どうするともなく打ち眺めている。勿論、夏の日よけとしての役目も立派に果たしてくれている。

この光景を石牟礼道子ならどんな表現で綴るのだろうか。最近何度も読み返してしまう本に、『苦界浄土』がある。

当世流のこのエスロン波板の壁といえども
山腹にたぐり揚げられた朽ち舟が苔むして、
おのずから竜骨を保護するおもむきを有しているこの江津野家の縷々たる年月に早くも溶けあい、
ゆらめくような波型の青い光を放ち、
その海底のもののような光線は、
人口の土間に置かれた古い大きな水甕や、
庭先にころがりこわれたままになっているボラ籠や、
そのようなボラ籠の庭先にかげりはじめている日ざしとまじわりあい、
まだ電灯をつけない家の中に
――この家のたったひとつの裸電球は、
いつも家族たちの食堂の上に垂れているのだった――
不思議な明るさをもたらしていた。  (講談社文庫『苦海浄土』 189ページ)

、敢て句読点ごとに改行してみたが、ほんとうは一節なのである。文庫の7、8行を費やしいる文章は、訪れた家の神棚の後ろの壁が塩化ビニールの波型板で補強されていることの印象を書き込んでいるのである。

 石牟礼道子がそれを書くと一編の詩になるのである。そして、大理石で補修したのではないかと思わせるような文章となった。まさに「だまし絵手法」なのである。

こがねむし

2018年7月14日

DSC_0501 「こがねむし」かな、と思って近寄ると網戸から離れてベランダに落てしまった。カメラに収めてみたが玉虫色は発揮されていない。しかし鮮やかな緑色だった。

「こがねむし」はもう飛べないのか、そのまま一日居座る気配を見せていた。しかし、夕方買い物から帰ってきたら、「こがねむし」の姿が無かった。夜行性なのだろうか。

ほんとうは、この虫を和紙に包んで箪笥に入れておくと衣装持ちになるのだと言われていて、どこかの神社では、お札の中にこの虫の翅が入っているらしい。わたしはお札を受ける気がしない。意外に思われるかもしれないが、どうも、虫を触るのは苦手なのである。

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水害

2018年7月10日

この⒈週間くらいは、水害の放映に釘付けになっていた。
広島、岡山の被害が凄まじい。わが雑誌「ににん」の印刷所は広島県三原市、この三原もたびたび被害地として登場していた。地理不案内なので、直接三原プリントの新潟さんに問い合わせをしてみた。

印刷所は水害から免れてたが、水道がまだ断水のままだとか。しかし、その水の手配もできたので、差し当たって不自由はしていたいとの、お返事をいただいた。

この印刷屋さんのご縁を繋いでくらたSさんのところも水害は免れた、ということだった。そして、娘さんは高台に家があるために、やはり水害は免れているが、下の街が水没しているので、孤立状態だという。それでもとにかく悲惨なことにはならないでよかった。

日本列島災害続き、という感じだ。そして今日は沖縄地方では荒れている。なんとか早く収まってもらいたいものである。

「ににん」71号印刷所から届く。

2018年7月1日

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スキャンが上手くできなかったが、満天の星がきれいな表紙である。

印刷屋さんが、今回は意外に早く仕上げてくれたなーと思ったが、7月からメール便が値上げになるのだ。

早く仕上げて貰ったので、急がずに発送準備ができて、昨日の集荷にきてもらった。

今回の兼題は「青森」、そう青森県の青森である。

蜂飼に青森はいま白き花   喜代子
青森のなほ北目指す梅雨の入り 伴子
青森や眠る間に咲く山法師   恵子

次号72号は「模様」である。どんな風に料理されるのか楽しみにしてほしい。

螢に出会う

2018年6月13日

DSC_0479  神奈川県にある県立四季の森公園は螢が園内のいたるところに湧く。その公園が横浜線の中山駅から10分ほどで行ける場所にある

久しぶりに「ににん」の仲間たちと蛍狩りに出かけた。中山駅に辿りり付いたのが3時過ぎだったので、駅近くで一服してからでもいいと思ったが、夏至にちかいこの時期は、なかなか暗くならない。

菖蒲園の盛りはとうに過ぎていたが、残り花がかえって楚々とした風情で広がっていた。螢見物の親子連れがたくさん訪れていたが、やはり蛍は暗くならないと現れない。

仕方がないので、おもいおもいの場所で闇を待った。蛍はやはり時間通りに現れた。ここの蛍狩はいろいろな人と訪れている。数えればきっと10回以上になるだろう。1年に2度も3度も訪れた時もある。

蛍の数はこれまでの蛍と比較すると、中くらいの数だったかもしれない。

「ににん」71号校了

2018年6月7日

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何回「校了」と書いただろうか。たぶん71号が出来たのだから71回叫んでいるのかもしれない。我ながらよくも続いたものである。

データーも紙焼き印刷所に入れた日の解放感のなんと快いことか。

だがだが、なんとこの日の朝刊の三面には恐ろしい事件があった。5歳の女の子が親の虐待によって死亡した事件である。

左の写真はその女の子が書き記した文章である。親が文字を教えていたらしいが、その教育がゆき過ぎているのだ。朝4時から起きて勉強をさせていたらしい。

子を育てた人ならわかると思うが、5歳の子供がこんなに文章を綴れるのは稀なことなのである。ママ母という言葉は昔からあったがママ父という言い方はかってなかった。それは父親は外に働きに出ていたからだろう。

この父親は仕事もしていなかったのかもしれない。社会に繋がっていない人間は怖い。人間の本来保有している状況判断も失うのである。なんだか切なくて、やり切れない憤りの湧く事件である。

授賞式2日目

2018年5月27日

写真授賞式翌朝のホテルのドアノブに新聞がぶら下がっていた。「岩手日報」と「岩手日日」で、 その一面に昨日の受賞風景が載っていた。右端が短歌の伊藤一彦氏、左端が若松英輔氏。

サー今日は遠野見学ツアー。朝食後ホテルの傍らを流れる北上川の土手を散策して、すで日焼けがはじまっていそうな快晴。

遠野は、昔まだ新幹線が無いころに鹿火屋の原裕先生と出かけたのが最初だった。いまのように発展していなくて民話館など無かったし、おしらさま堂もなかった。

ただ、民家の中に祀ってある二体のおしらさまを見せて貰って帰ってきた。曲り屋に宿泊したのだが、林檎の収穫期で廊下にはごろごろと林檎が転がっていた。林檎の食べ放題、と言う感じだった。

詩歌文学館賞贈呈式に馳せ参じた受賞者と選考委員と同伴者、それに一ツ橋綜合財団の係りの方、雑誌「すばる」の編集者の皆様、総勢何人くらいだった。とにかくみんな同じグリーン車に乗って、いちばん近い高野ムツオ先生がまず仙台で下車した。次が大宮で私が下車。あとは東京で最後の解散式の予定。お世話をしてくださった方々お疲れ様でした。

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