「ににん」77号発送すみ

2020年1月2日

IMG_20200102_0002 「ににん77号」が予定通りに発行されました。私の段取りが早ければ、ホームページを管理している木佐梨乃さんが、目次、その他のUPもして貰えてしまうのだが、いまだデーターを送っていない。

今年は喪中なのだが、それでも、食べたり飲んだりはするので、娘一家が訪れていた間には、手をつけることが出来なかった。これから、木佐梨乃さんに送るものは送って、「ににん」の新年度のページを埋めてもらうことにする。

この号から、少し編集の助っ人を増やした。例えば俳句を集める人、「雁の玉章」を纏めてもらう人、順番におこなっている仲間の俳句鑑賞などを、担当してもらえる人が決まった。わずかなことのようだが、個々に順番ですよと声をかけたり、遅くなれば「まだですか」と遠慮がちに促さなければならないし、文字数が多かったり少なかったりでも、また修正して貰わなければならない。

けっこう、一企画ごとに、手のかかるものである。

晴天続きの12月

2019年12月26日

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今年は大型台風が、いくつもの河川を同時に破壊して通り過ぎた。そのために、いまだ家には戻れない人々も多い。だが、そんな惨事がなかったかのように、12月は好天が続いている。

我が家でも、この12月に入ってから突然、夫が遠くへ行ってしまった。もともと、大病のあとの余力で、療養生活を続けていたが、特別人の手を借りることもなく暮らしていたので、夫が病気である、という意識もあまり持ってはいなかった。

好天というのは有難いとしみじみ思ったのは、夫の葬儀のときである。鏡のように晴れ渡った空の元で粛々と葬儀は終わっているのが救いだった。

ににん77号編集中

2019年12月19日

DSC_1212  瑞巌寺に隣接する円通院の紅葉のライトアップは、最終の池に映った紅葉が圧巻だった。

以上までは、11月のはじめ、松島の俳句大会に選者として参加した後に書いておいたのだが、そのまま1ヶ月以上過ぎてしまった。今は、「ににん」最終校正も印刷所に入れ終わったところだ。

このあいだに、夫が亡くなり葬儀も済んた。人が死ぬと葬儀というのが、順序ではあるが、当事者にはすべてが真っ白になってしまった瞬間で、そのあたりまえのことが見えてこない。

しかし、病院では死の直後から葬儀屋さんの手配を促されるのである。死者の傍らでどうすればいいの、という感じだった。それでも無事に夫はおくりだした。世間の儀式から離れたときにやっと夫がいなくなったことを実感した。

ハロウィン

2019年10月31日

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数日前、舞岡というところに吟行に行った折に買い求めた南瓜。店の人が美味しく食べられると言ったので、ハロウインまでは、まず眺めて楽しもうと思った。

吟行でもなければ、訪れるチャンスもないところだが、駅から10分足らずのところに集会場もある。広大な田畑があって、四季折々の景が楽しめる。透明な流れのなかに目高ほどの魚が群れを成していた。

同じような魚だが身の透けているようなのと、烏のように真黒な魚が居て、それぞれは別の隊を組んでいた。明日、孫と言ってももう成人だが、遊びにくる。この南瓜をどうにか料理しようかと思っている。

武蔵嵐山

2019年10月27日

DSC_1182   26日の埼玉俳人協会の吟行会のために、前日25日から武蔵嵐山に宿泊した。本当はこの日も早くから現地へ出向いて散策をしたかったが、なにしろ台風のさなかの土砂降りの雨。会場へ出向くのがやっとだった。

この武蔵嵐山女性会館の隣は畠山重忠の館跡である。都幾川を一方の砦にした平城であるが、その遺構をなぞりながら、武蔵野の雑木林が広がっている。

翌日、吟行会の日は快晴で、婦人会館のホールの全面ガラスに映った立木が、まるで、ガラス越しの窓の外を撮っているみたいに鮮明だった。

この会館の良さは、武蔵野の雑木のど真ん中を使った建物で、宿泊棟のどの窓からも自然の樹木が見渡せることである。この景色が、ひと時危ぶまれたのは、国会で仕分けの矢面に立ったからだ。

とにかく、この風景が残されてよかった。

台風一過

2019年10月13日

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何十年ぶりとか言う大型台風ということで、金曜日から気忙しかった。午後のまだ明るいうちだったが水が品切れ。まー 1日くらいならいいかと思って帰ってきた。

テレビで台風に備えてガラス戸にテープを貼って、割れても飛び散らないようにしたりする様子が映っていた。一個所雨戸のない窓があるので、そうだ、そのヨウジョウテープとやらを買っておけばよかったなと思ったが、すでに店は閉まっている時間だった。

それからずーっと、テレビをつけるたびに、日本中のダムがあふれそうで、日本中の川が危険水域に達しているかのような騒ぎだった。携帯には絶え間なく避難勧告の緊急メールが入った。

ベットに入る頃が台風の襲来する時間と合ってしまい、雨戸に当たる雨が新聞紙をガサガサもんでいるような音に聞こえた。そのせいではないのかもしれないが、なんとなく寝付けなくて何回も起きて雨を確かめていた。昔もこんなふうに、眠れないで過ごした台風の夜があった。

台風は、4時ごろはもう北上したようで、静かだった。雨戸を半分開けて外を眺めると満点の星空だった。こんな日なら、外へ出れば銀河も探せるかもしれない。

曼殊沙華

2019年9月27日

DSC_1120    前回の書き込みが6月28日だった。ということは丸々3ヶ月が経っているのだ。書くことがないわけでもないのだが、間を置くといろいろ書くことが溜まってしまってどれを話題にしていいのか迷ってしまうのだ。

先日句友から、このごろ書いていないのでどうかしたのか思っていた、と言われたて、確かにそう思われてしまうかもしれないと思った。3ヶ月なんてあまりにも長すぎる怠慢だ。

今日は眼科に薬をもらいに行って帰りに,入るときには気が付かなかった曼殊沙華の花に出会った。帰ってきたら、我が家にも咲いていた。曼殊沙華は全国一斉に開花すると聞いたことがあるのだが、本当だろうか。

広島のににんを作ってくれてる印刷所のあたりも、曼殊沙華が咲いているのだろうか。76号が出来あがってきた。これから発送の準備をしなければ。

蛇笏賞

2019年6月28日

DSC_1007     6月28日の蛇笏賞授賞式、今年は大牧宏さん。だが、この受賞のお知らせはご本人がしっかり受けたようだったが、受賞を受け取りにきたのはご本人ではなかった。でも、よかった。大牧さんは最晩年になってから、さまざまな大きな賞を受けられた。本来はもっと早く受けてもよかったのではないだろうか。

わたしは一度もお目に掛ったことがないまま月日が過ぎてしまっていたが、昨年の詩歌文学館賞を頂いたときには、一番に電話で祝ってくださった。あれが最初で最後の大牧さんとの電話の交流だった。
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紫陽花が今年は濃く咲いた。
授賞式の翌日は所用で京都に行ったが、何処にもよらずにトンボ返り。ホテルの隣の小さな神社に、青々とした茅の輪が据えられていたのでお参りをしてきた。

バスの中から四条河原に張り出し川床が見えた。

ににん75号最終校正

2019年6月14日

 今日は本当の最終校正。この場に至るまでには、一つの原稿はまず、私が読んで次に担当の校正係が読み執筆者も再度の確認をしてもらってある。それを3日に改めて全員で校正した。

 そして出来上がった印刷所からのゲラ。それを今日は本当の最終校正となる。それなのに、ここでも結構ポストエイトは貼られていく。何度行っても問題は発見されるのを、しみじみ感じた。

 前回、その幾行程の中でもやり過ごされてきた見落としがあったので、たくさんの人が見ればいい、と言うものでもないのを実感。まーそれでも、今日も無事に終了して、勇んで蛍狩りに出かけた。

県立四季の森公園の螢は、凄い。園内のいたるところから螢が現れる。もう何度訪れたかわからないが、いつも螢の現れ方が違う。今日は何故か飛び方が重い。高くも飛ばない。遠くへも飛ばないで同じところで浮き沈みを繰り返していた。

なんじゃもんじゃの花

2019年5月5日

DSC_0937いま、明治記念館のあたりのなんじゃもんじゃの花が真っ盛り。正確にはヒトツバタゴと言うようだ。他に白い花は咲いていなかったので、そこここに在処を知らせるように咲いていた。

明治記念館周辺の木には「ヒトツバタゴ」と書かれた名札もついている。しかし、わたしは「なんじゃもんじゃ」で親しんでいる。なぜかこんなにこの木があるのに、絶滅危惧種になっている。

初めてこの花を見に行ったのは20年以上前だった。どこかの個人のお宅なのだが、そのときだけはお庭を開放してくれていた。一本のヒトツバタゴの樹が庭いっぱいに広がっていて、花を散らしていた。可憐な小さな花だった。二度目に見たのは東大の中の一樹だった。

広辞苑でなんじゃもんじゃをひくと神宮外苑の木が紹介されているので、ずいぶん前からそこにあるようだ。

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