2017年受贈著

2017年11月30日

2017年受贈書籍

筑紫磐井・『季語は生きてゐる
ーー季題、季語の研究と戦略ーー』2017年  実業広報社
小川軽舟・『俳句と暮らす』          2016年     中公新書
島田牙城・『俳句の背骨』           2017年     邑書林
大崎紀夫・『nの方舟』ーー大人の童話     2017年     ウエップ
小島良子・『続・自習室』--現代の俳句を詠む 2017年       文学の森
小川軽舟著『俳句と暮らす』               2017年      中公新書
井上弘美著 『季語になった「京都千年の歳時」』2017年      角川書店
秋尾敏  ・『俳句の底力』          2017年      東京四季出版
鍵和田柚子・私の愛誦句鑑賞『中村草田男』   2017年      春秋社
齋藤眞爾・続『寂聴伝』拈華微笑        2017年      白水社
浅沼 璞・新書で入門『西鶴という鬼才』    2008年      新潮新書
須藤常央・『虚子探訪』             2017年     神奈川新聞社
栗林 浩・『昭和・平成を詠んで』       2017年      書肆アルス
かねさきまさの・『おもいでのとびら』     2017年     馬場隆吉デザイン
大久保白村エッセイ集・『俳句のある日々――』 2017年     北冥社
「京大俳句」を読む会 会報第4号       2017年(執筆者 堀本吟・西田もとつぐ・梶谷忠太・樽見博他)

いよいよ師走

2017年11月29日

穀象なんでこんなに忙しいのか、とおもうほど忙しい。そんな中ようやく句集が誕生。よりによってこんな気持ちの悪い虫の名前を句集名にしたのと思う方がいっぱいいると思ったが、わたしは、この立派な名前が気に入っている。

『穀象』という字面からも昔話りにでてきそうな名前ではないだろうか。体調三ミリほどしかない虫に誰が穀象なんて名づけたのだろう。ふらんす堂さんも苦心して、見たこともない虫を画像化してくださった。これが出来たので、心置きなく俳人協会の自註シリーズにとりかかれる。

    穀象に或る日母船のやうな影

天山へ首振りながら馬肥ゆる   岩淵喜代子

2017年10月30日

「春耕」11月号 鑑賞「現代の俳句」  筆者・蟇目良雨

中国の西域に天山山脈が横たわっている。万年雪が地下に染みとおりカレーズとなり一帯の砂漠地帯に農業を齎している。秋の取り入れの喉に首を振りながら荷車を引いている馬なのであろうか、天山へ挨拶を交わしているように見えると想像できる。(ににん2017年秋号より)

あまりにも波打際を遍路行く    大牧広

2017年10月22日

作者は『砂の器」からの発想だと自解しているが、遍路の境涯が象徴されている。海辺をゆく厳しさ、寂しさ、危うさがひたすら海に添って歩いていく遍路を浮き彫りにしている。

他に
こんなにもさびしいと知る立泳ぎ
老人に前歩かれし日の盛り
吾のなき書斎思へば春夕焼け

「大牧広ーーシリーズ自句自Ⅱベスト100」より

避暑の宿椅子の形に身を添はせ   岩淵喜代子

2017年10月21日

「ランブル」10月号・現代俳句鑑賞 筆者今野好江

『俳句四季』八月号 「かくれ里」より
夏に都会の暑さを避けて海山に涼を求める〈避暑〉。このたびは貴人の住みそうな山里の館であろうか。宿の椅子は籐製のものかも知れない。

籐椅子あリタベはひとを想ふべし  安住  敦
籐椅子に沈みてうすき母の膝    古賀まり子

宿の椅子は磨かれてはいるものの自然の窪みはいかにもと諾う代物である。〈椅子の形に身を添はせ〉という起居の静けさに惹かれた一句である。同時掲載に(空蝉として遺るなら透けるなら)。

 

「太陽」10月号 「秀句の窓」 筆者・吉原文音

リラックスした体が椅子と同化している。心地よさや安堵感が滲んでいる。

青梅のなか暗闇と思ひけり   岩淵喜代子

2017年10月20日

「天為」10月号 現代俳句鑑賞  筆者米田清文

「俳句四季」8月号 かくれ里
梅雨に入る頃になると、梅の若葉がこんもり茂りその陰で実が丸々と太り、遠くからはわかりにくいが木の下に行くと葉がくれに累々と青い実が生っています。葉の色も梅の実も青く、一見すると区別がつかないときもあります。
掲句は青梅のなる茂った葉の中を「暗闇」といい、若葉の中の青梅の実の瑞々しさとその生命力を引き立ています。

萱かしら

2017年9月27日

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まさに水澄むの季節で、川の水がよく澄んでいる。鮎くらいの魚が群れて、時々水底の砂利に貼り付く。多分水苔を食べるのだろう。同じ川に端で小さな魚の群が、大きな魚とは決して交わろうとはせずに泳いでいる。

この川の土手に、この水澄むころになると、写真のような萱の類かなと思う丈高い草が茂って旅心を湧かせる。よく見かけそうな草なのだが、名前が判らない。そのうち、図書館で探してみようかと、思う。

今日から「ににん」の発送準備。

象花子欅は落葉つくしけり   下鉢清子

2017年9月13日

954(昭和29)年から井の頭自然文化園で飼育されていた象の花子は、昨年の5月に老衰で亡くなった。象はその大きさを愛され、その姿が愛され、花子と言う親しみやすい名前で愛されていた。(欅は落葉尽くしけり)にはそのすべて託されている。
「下鉢清子句集『貝母亭五百句』 2017年 ウエップ」より

苦瓜

2017年9月12日

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そろそろ終わりではないかな、と思っているのだが、翌朝になるとまた幾本かの苦瓜を見つけてしまう。夏の間は涼しい緑のカーテンなのだが、このごろはちょっと鬱陶しい感じになったので、そろそろかたずけてくれないかなーと思っている。

だれか呼ぶ薄墨色の霧の中   佐山苑子

2017年9月12日

ここには霧しか実体はない。いや霧という描きにくいものを怜悧に描き出した。薄墨色はまるで霧の陰影のようでもある。その奥から誰か呼んでいるのである。その声を聞いている作者と二人しかいないような世界が、シュールに描かれて美しい。

「佐山苑子句集『余音』 2017年  文学の森」より

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