謹賀新年

2022年1月27日

IMG_2295 新年になって、一度くらいは書き込んであると思っていたのだが、今日が2022年の書初めだった。今年は仙台で雪の正月を迎え、自宅で雪の七種を迎えた。

相変わらすパソコンに向かい黒目川の散歩というパターンを繰り返しているが、なかなかパンデミックは終わらない。丁度100年前ごろにも世界中がパンデミックに襲われた。そのときも約三年の月日を要して収まった。

 その時期とは、大正7年で石鼎がコウ子と結婚した年である。そうして、スペイン風が収まったのは大正9年で「鹿火屋」創刊の直前までだ。それなのにスペイン風邪の話題は皆無と言ってもいいくらい話題になっていない。

唯一関係のある記事は石鼎の姪が青森で教員をしているが、インフルエンザにかかった。その後肺炎になり、石鼎に助けを求めたのである。同じような状況が宮澤賢治にも起こった。そのスペイン風邪に、大学に通っていた妹がかかり賢治が看護のために東京に出向いている。どちらも感染していない。見習うべきかもしれない。

年の暮れ

2021年12月11日

前回の投稿の日付は10月13日。書こう書こうと思いながら、パソコンを開ければ必要な仕事をしてしまって、結局ブログ迄いかれないのである。ずーっと気になっていたのが、玄関の入口の隅にある蜘蛛の巣。

箒でちょちょいと払えば済むことをやり過ごしているうちに蜘蛛の巣の下に何やら不気味なものが溜っていくのである。それが羅生門の下の鬼の食べ残しのような、敗れた武将の鎧の残骸みたいにも見えて確かに蜘蛛の巣には生き物が棲んでいるのだ。
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無下に掃き捨ててしまうのも躊躇って、巣にかかっている落葉だけ取り除いて出かけた。ところが、帰宅してみると新たな落葉が一枚蜘蛛の中心に据えられていた。「なんなの、木の葉を運んできたわけと屈みこんでみても物音ひとつしない。

帰宅した日の夕方、改めて蜘蛛の巣に屈みこんでみると、どこからは運んできた木の葉が丸まって、何やら葉裏にいる気配だ。どこかに親蜘蛛がゐて、木の葉に卵を産み付けているとしか考えられない。

生まれる蜘蛛は直径1センチもない大きさ。下に溜まる鎧の残骸みたいなものは、蜘蛛の脱ぎ捨てた殻?

散歩コース

2021年10月13日

IMG_1937散歩コースの黒目川の土手伝いに地産野菜の売り場がある。およそ、二キロくらいの距離。

今日は唐辛子の葉が売っていた。葉とは言っても結構唐辛子も混じっているので、取り除いた。こんなに入っていては辛すぎて食べられない。唐辛子は干しておけば、それなりに使うこともありそう。

このところコピー紙の仕損じがやたらと出る。このごろは、文章の確認を印刷して手元で確認するからである。先月は長文の作品が二つもあって、何回もコピーし直したせいか、みるみる仕損じの紙が溜ってしまった。

500枚のコピー紙があっという間に無くなってしまう。要するに、PCの画面より紙での確認のほうが目が疲れないからである。それで、いままでは屑籠にポイポイ捨てていた紙を保存して、資源ごみにすることにした。まー、読まれて支障のない内容でもあるから。

断裁機もそろそろ買わなくてはいけないかも。

曼殊沙華

2021年9月13日

IMG_1830散歩道の黒目川沿いに一輪開いていた。蕾は所々に見かけたのでお彼岸頃には必ず咲きそろいそうだ。毎日夕方日課の散歩道の冷風がこのごろは殊に気持ちがいい。

曼殊沙華に出会って、やっと夏が終わったな、という実感を持った。ににんの再校も終わって印刷所に入った報告も来た。一区切りと思っていたら岩淵さんの原稿がいちばん間違が多いとお小言。

「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と親鸞さんも云っているではありませんか。ミスがない人は校正者も要らないんです。よろしくお願いしまーす。

コロナがなかなか終わらない。草津行も変更しなおしたがまたまた延長になった。それで熱海になったのだが、熱海はいいらしい。どこでもいいから、旅がしたい。できたら飛行機でいく遠いところがいい。

星合の夜

2021年8月14日

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今年は星合の夜は12日なのだそうであるが、夜に点けっぱなしになっていたテレビから天空の星を辿っている画面が流れていた。星合の夜にあわせたんだなーと思っていたが、それ以後、何だか天候は荒れ狂ってきているのではないかと思う。

百均にいったときに、七夕飾りのための品々が纏められているコーナーが目についた。その中の梶鞠モドキに立ち止まった。梶鞠を店員さんはよくわかったなー、と感心しながら、鞠につられて折り紙とともに買ってきた。目の前の藪から伐ってきた笹竹に吊ってみた。写真に収めると結構風雅ではないか。

エアコンも要らない気持ちのいい秋風が吹いたと思っていたが、なかなか雨は止まない。珍しい事をすると雪が降るらしいが、私が珍しい事をすると大雨になるようだ。

コロナ禍籠りの間に

2021年8月3日

新型コロナは始まって以来の感染者数である。いささか気の重さも加速してきた。ニ、三日前に東京は4千を超える感染者が出た。埼玉県は今日千人を越えた。どういう手立てをすればよいのか、専門家にもわからないのではないだろうか。

わたしは相変わらず、書くことは石鼎に繋がる事である。『頂上の石鼎』を書いていた時に、次々に出会うユニークな「鹿火屋」人たち、その人々に興味を覚えた。鹿火屋が創刊されたのは大正十年である。大正ロマンという時代の終わりかけていたころである。

その終りかけのころ、即ち石鼎が龍土町に住んでいたころに尋ねてきた人々を書くだけでもわくわくする。鹿火屋を創刊して間もない号に、思いがけない人物が寄稿していた。歌人の柳原白蓮である。どこで知り合ったの?と石鼎さんに聞いてみたい。

寄稿が掲載されたのは大正十年十月、その翌月の朝日新聞に柳原白蓮の離縁状が載った。勿論離縁させられるのは九州の炭坑王伊藤伝衛門だった。

猛暑

2021年7月22日

IMG_171819日の朝みつけた守宮。洗濯物を干していて見つけた。そんなところに居たら日干しになりますよ、と声を掛けてみたが、ピクリとも動かなかった。 

 それから二日目、昨日洗濯ものを干しに出たベランダの屋根に同じ姿で守宮が張付いていた。あの時から既に日干しになりかけていたのかもしれない。そんなに唐突に死んでしまうものだろうか。

苦しくて屋根から転げ落ちるという間もなかったのだろうか。ひょっとして、ゴムの疑似守宮?近所の子供が抛り投げていったのだろうか。

昨日(水曜日)東京の感染患者は1800人越え。これまでの最高値である。そのことの危機感が何処からも起こらないで、淡々とオリンピックが始まる。いったい去年から今年にかけての自粛要請は何だったのだろうか。今日も猛暑である。

紫陽花の季節

2021年6月14日

azisaiこの頃は 何処へ行っても紫陽花が目につく。昨年庭を占領していた紫陽花を根っこから取り去って貰ったので、二株しか残っていない。その一株は東側の廊下側のすぐそばに咲いていて、曇りガラスに色を透かせていた。土日の二日間、ZOOMの講義でパソコンと向かい合っている私の背中を見守っていてくれた。

1月末に起した脊髄損傷はなかなかなダメージである。殊に座っている姿勢が長時間になると辛くなる。事情を話して寝ながら受けるという選択も考えたほうがいいかな、と思っている。

まーそれでも顔しか映っていないので、ときどきクッションを替えてみたり、座椅子を寝かせてみたりと、かなり行儀の悪い姿勢で受けていた。これが対面だともっとつらいのだろう。

庭に雑草が生えてあまりにもみすぼらしいので、紫陽花を抜いたところにローズマリーを植えて貰うことにした。葉が冬も青々していて高くならないのもいい。植木屋さんはその木を知らないらしくて、手帳に書き込んでいた。どちらにしても植えるのは梅雨明けがいいということだった。

ににん83号入稿

2021年6月11日

karasu鴉いつもながら久しぶりの投稿である。書くことが無いかといえばそうでもない。先月末の26日頃だったが、知人の絵画展を観るために上野の森美術館へ出掛けた。

上野駅構内はいつもと同じように感じたのだが、上野公園口を出て文化会館と西洋美術館の間の広場を動物園方向に目をやると、あたりにひと影が無い。全く無いのである。雨が降っていたがそのせいではないだろう。

いつもだったら動物園へ向かう列があって、噴水の周りのベンチはみんな塞がっているのに。真夜中だって、上野の森に人影がない事などないだろう。木々が青々としていて綺麗だった。それなのに、その一人も人影のないような上野を撮り忘れてしまった。残念である。実はあまりの人影のないのに怖ささえ感じてしまって、そそくさと美術館に入ってしまったのである。

83号も無事に予定通りに出来上がりそうである。

またまたの自粛生活

2021年4月18日

夫が亡くなったのが2019年12月。その葬式が済んだとたんのコロナ感染騒ぎが今も続いている。その葬式で顔を合わせて以来、孫にも会っていない。今年の12月には三年忌になる。

足掛け三年ってこういう単位を言うのだろうか。オリンピックもやる気でいるみたいだし、ワクチンも9月までには行き渡る見通しが立ったと、今日聞いたばかりだ。やっと少し先が見えてきた。

昨日は前橋の教室に、今年初めて出席した。みんなは足を引きずりながらやってくるのではなかと心配していたが、意外や今回の怪我は歩行には影響しなかった。

それにしても入院すると言うことは、それだけで筋肉が衰えてしまうようだ。入院している間も院内を三千歩くらいは歩いていたつもりだったが、そんなのは歩いたうちには入らなかったらしい。

その弊害はもろに身体のいたるところに現れた。はじめは歩行のたびに腰のあたりが重くなって、家に着くころには腰の周りにお米の袋でもぶら下げられたような重さになってやっとの思いで家に着くのだ。

その腰の重さも湯船に入るとスーと消える。引力が作用しているのが歴然と証明された。歩行は最初に慣れてきたが、今残っているのは背中の疲労感である。何となく背中を庇う起ち居を続けていたが、祟ったのだろう。でも仕方がないのである。背中を切って手術は行われたのだから。

それでも、日にちが加わるごとに、筋肉が付いたのか、あるいは慣れてきたのか少しずつ解消されてきたのを感じるので、まー、気長に慣れていくことにした。岩淵喜代子

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