義仲寺の前通りゆく蜆売  浅井陽子

2017年2月27日

「自註現代俳句シリーズ・12期11  『浅井陽子集』より   2017年  俳人協会」より

滋賀県大津にある義仲寺といえば、木曽義仲の葬られている寺である。そのうえ芭蕉の墓もある。そう聞くと立派な寺を想像してしまうが、まことに小さな墓所である。

蜆売りの声がまともに寺社を筒抜けに通り過ぎていくのが想像される。ほかに(卒業歌聞こゆる島の港かな)(サングラス外して鳥を見失ふ)(新涼の机に貝の砂こぼす)など、風土の匂いのする一集である。

まるまるとゆさゆさとゐて毛虫かな  ふけとしこ

2017年2月27日

ふけとしこ著「俳句とエッセイ『ヨットと横顔』」2017年  創風社出版より

植物に詳しいというより植物や小さな生き物に、ことに興味を持っている俳人として印象を持っている。(まるまると)に続く(ゆさゆさと)で、毛虫と等身大になった作者が見えてくる。

ふけとしこ氏は「ほたる通信」というはがきの通信紙を発行して、俳句とエッセイを発表している。ここには、必ず手に取って、必ず読んでしまうという仕掛けがある。ほかに、(言い忘れすことばのやうに幹の花)(霜解けの始まつてゐる朝ごはんおとうとをタマト畑に忘れきし)(遠く見るものにヨットと横顔と)などの作品がある。

一切皆空もくもくと毛虫ゆく    岩淵喜代子

2017年2月17日

『ランブル』2月号

現代俳句鑑賞62   筆者 今野好江

『俳句』十二月号 「子規忌」より
上田五千石の『俳句塾』の中に季語に関する一文がある。「季語にはなるべくして季語になった事由がある。歌人、連歌師、俳諧師、俳人の審美眼によって汎く平俗の言葉の中から採取、且つ培養、育成、愛用されて日本の歴史の永く深い時の鍛冶(たんや)を経て結晶化した詩語であることの尊厳をこそ思うべきである。――――」

筆者自身、初学の頃、蚤、民、芋虫、軸蜒、ごきぶりに至るまで季語であることに驚愕した。やがて毒性もあり、人を刺す嫌われ者のたとえにもなる〈毛虫〉でさえ、愛情とまではいかないが普通に見ることが出来るようになった。〈一切皆空〉とは仏教語であり、あらゆる現象や存在
は実体をもたず空であるという言葉である。これは心の迷いを去って真理を会得ことなのかも知れない。悟りきれない人間には、〈もくもくと〉ゆく毛虫を少し羨ましいと思っている。同時掲載に
三日月に吊しておきぬ唐辛子

正面にイエス小さし卒業歌    黒澤あき緒

2017年2月9日

「句集『5コース』2017年 邑書林」より  帯文・小川軽舟 非常にシンプルな切り取り方をした作品である。シンプルではあるが、イエスの像か絵画かが正面にあるのだとすれば、カトリック系の学校なのだろう。讃美歌も歌い慣れていて、荘厳な空気が伝わってくる。 他に(宝石に小さき値札春霙)(風花の音とも覚ゆ炭手前)(薯食うて鼻が大きくなりにけり)など。繊細な切り取り方と大胆な切り取り方がある。岩淵喜代子

芋虫に手があり一心不乱なり   岩淵喜代子

2017年2月7日

『饗宴』3月号    現代俳句の窓
筆者・中村克子

芋虫は蝶や蛾などの燐翅目の昆虫の幼虫類全般を指していう。キャベツなどを食い荒らす青虫も芋虫の一種だという。我が家の無農薬菜園にも芋虫がのさばている。ことに青虫が多く、毎日が青虫との闘いである。

芋虫に足が3対6本あるとは言われているが、手があることは知らなかった。イモの葉やキャベツなどを食い荒らす害虫も、自分の命を守るために一生懸命である。”一心不乱なり”にどこか憎めない面白さがある。
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『燎』2月号   現代俳句展望
筆者・蔵多得三郎

「俳句」12月号「特別作品21句 子規忌」より
掲句、何だか自分のことを言われているような気がする。よく見ると芋虫は芋虫なりに一生懸命に手足を動かして這っている姿があまりにも一心不乱でつい笑ってしまうのだが、よく考えてみるとひょっとしてこれは自分自身の姿そのものではないかと思えてくる。「一心不乱なり」の措辞に生真面目な可笑しさがある。

葛の根を獣のごとく提げて来し    岩淵喜代子

2017年2月2日

『風土』2月号   現代俳句月評  ・筆者・中根美保

「俳句」12月号(子規忌)より
獣でもないものを獣のようだという作句例は多いが、掲句は「提げて来し」が眼目。山に入り、澱粉を蓄えて肥大した葛の根を掘り出して来た人物の様子を詠んでいる。葛の根もまた猪などの捕獲物と同様、山の恵みという背景にあろう。

繁茂し過ぎて他の植物を駆逐するほどの葛の生命力も思われる。葛の根を「獣のごとく提げ」て来たのは、ときには山から本当の獣も提げ返ることだってある山の男なのかもしれない。

石榴から硝子の粒のあふれだす  岩淵喜代子

2017年2月1日

「空」2017年2・3月号
俳句展望  筆者・天谷 翔子

(『俳旬』十二月号より)柘榴のあの赤い美しい粒を詠みたくて何度か考えたことがあるが、ルビーのようなという平几な言葉しか浮かばなかった。硝子の粒、そう、あれはまさに硝子の粒。しかも〈あふれだす〉という措辞の上手さ。

同時掲載の〈道祖神今日は団栗山盛りに〉にも惹かれた。道祖神の前に団栗が置いてあるという平几な景が、〈今日は)という措辞で一気に佳句になる不思議。毎日道祖神を訪れる子供たちがいるのだろう、昨日、一昨日は何がおいてあったのだろう、と想像させる。〈山盛りに〉も映像が鮮明で、道祖神への愛情の溢れた表現だ。

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「火星」2月号 俳壇月評より
筆者・坂口 夫佐子

『俳句』十二月号「子規忌」より).割れた柘稽の実はその色、形から凡そ美しいものの代名詞からはかけ離れたもの、寧ろグロテクスなものとして扱われることの方が多いように思う。

それがあの割れた赤い実の粒粒を「硝子の粒」と捉えたことによつて、日の光を返す宝石のように見えてくるのだから、言葉の持つ力は大きい。俳句は詩。固定観念を捨て去り、素の心で対象に向き合うとき、思いがけない発見があり、詩情豊かな句が生まれる。
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『麻』1月号       現代俳句月評
筆者・川島一紀

『俳句』十二月号「子規忌」より。柘溜の実は、熟れてくると、堅く厚い皮が割れて中にぎつしりと詰まった淡紅色透明の液体を周囲に含む種が見えてくる。この淡い赤色の透明な粒は非常に美しい。ますます割れ目が広がってくると、その粒がこぼれそうになる。その透明な淡赤色の粒を硝子の粒と称した表現に詩情が溢れる。石榴の粒を硝子の粒に喩えた感性に感服。

一月も終り

2017年1月30日

1月もあっという間だった。⒈日2日までは寝正月だったが、3日にドライブがてらの秩父の初詣から始まって、小さな句会、大きな句会。そうして小さな吟行会、大きな吟行会があり、その間を埋めて新年会がいくつも続いた。

極めつけの大きな会が角川書店の新年会、そのあとに続く角川賞受賞の松野苑子さんのお祝い会。なんとなんとその会で「岩淵さん乾杯をお願いします」と言われた。

「だって、乾杯って長老がやるものでしょ」と目をパチクリしたが、どうも、あちら側のひとたちには私は、長老なのだ。そんなのやったことがない、と地団駄踏んでも誰も見てない。

苑子さんとは、吟行会の一つのお仲間として何年も続いているが、初対面はドイツだった。俳人協会の方々とドイツを巡ったときに、ケルンだったろうか、日本大使館の中でドイツの俳人たちと交流した。当時、近くに滞在していた苑子さんがお顔を見せたのだ。

お互いにその日のことを覚えていなかったのだが、アルバムを整理しているときに、彼女の手書きの名刺が出てきたのだ。20年くらい前のことだ。

そうして、二番目のパーテイが昨日。霞が関ビルの最上階で行われた句友の句集『金剛』の出版記念の会。著者草深昌子さんとは結社「鹿火屋」からの長いお付き合いだ。三十年くらいになるかもしれない。

年を取るということは、そういう長いながいお付き合いを重ねた人たちとの年月が増えるということなのだ。明日のカルチャー教室が済めば、一月は本当に終わってしまうのである。

一切皆空もくもくと毛虫ゆく   岩淵喜代子

2017年1月27日

『郭公』二月号 俳壇の今    筆者・山上薫

(「俳句」12月号『子規忌』より)
一切皆空。あらゅる現象や存在は実体がなく空である。むずかしい仏教用語も這い進む毛虫には関係のないこと。国際政治とも、金融政策とも、テロリズムとも、難民とも、そして、我が家の買い物リストとも、何の係わりもなく毛虫はゆく。

この融通無碍さはどうだ。毛虫よ、何をどうすればお前のようにもくもくできるのかね。毛虫が答える。わからないよ、おれはただもくもくしているだけだから。もくもくと働くもくもくじゃない。もくもくと煙の立ち昇るもくもくじゃない。ただ、もくもく。俳諧味。ああ、それを言っちゃおしまいだ。もくもくすることだけがもくもくなんだから。もくもくと。ゅく。ゆく。ね。

ににん 秋号 通巻六四号 季刊

2017年1月24日

『好日』 2月号より、俳誌月評  筆者・須田眞里子

代表 岩淵喜代子。平成一二年岩淵喜代子が埼玉県で創刊。発行所朝霞市。「同人誌の気概」ということを追求している。

岩淵喜代子作品「余韻の水母」より
一碗の重湯水母のおもさあり
生涯は水母のごとく無口なり

ににん集
我が書架の有限なるや春の塵    木佐梨乃
星の夜の書架万物に見透かされ   木津直人
こほろぎの潜みし書架や方丈記   栗原良子
秘の文書しまふ地下書庫冷まじや  西方来人
書架奥のチャタレイ夫人火取虫   鈴木まさゑ

さざん集
抽斗に釦いつぱい盆の月      尾崎淳子
3Dメロンの網の小宇宙      鬼武孝江
くすり飲む時間となりぬ酔芙蓉   川村研治
揺れ戻す揺れ戻しては吾亦紅    兄部千達
輪郭の鯰となつて泥動く      高橋寛治
遠雷や古木の卓の台湾茶      谷原恵理子
先へ先へ影飛んでいく秋の蝶    浜田はるみ

木佐梨乃氏「英語版奥の細道を読む」、
高橋寛治氏「定型詩の不思議」、
正津勉氏「落丁愚伝」。
秀句鑑賞は岩淵喜代子代表
「ににん反芻」、浜田はるみ氏「十七音の宇宙」。

巻末の「雁の玉章」は、岩淵喜代子代表を含む四氏の個性豊かなエツセイ集である。

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