棕櫚は箒にするのだろうか。否、この句は(屈強な)に続く(棕櫚)という言葉が、意味を越えて世界を作っているような気がした。その世界とは、見えているようで見えない世界である。黄泉の暗さがはみ出してきているような、見えなさなのである。(春灯消えてしばらく人のこゑ)(椎の実と見極めてから拾ひけり)など、重厚な風景である。
茨木和生『真鳥』 2015年 角川書店
2015年9月 のアーカイブ
屈強の男が揃ひ棕櫚を剥ぐ 茨木和生
2015年9月3日 木曜日山神を祀れる四人焚火せり 山中弘通
2015年9月3日 木曜日浅田次郎の『神座す山の物語』を読んだばかりだった。神官の家に育った少年はどこかに霊を意識する日常があった。山中氏の句集にも(初生りの柚子も遺品のひとつなる)・(神杉と大きな橡の裸木と)など、日常にある神の存在が自然である。
山中弘通第四句集『山の神』 2015年 邑書林
ゆきどころなき尺とりの空青し 山崎祐子
2015年9月3日 木曜日一読して確実な描写力を発揮した作品群だと思った。描写力とは言っても唯物的な輪郭よりも情感の濃い世界が展開して、ごく自然な息遣いが捉えた世界に納得するのである。掲出句は漠々とひろがる空の在り様が心情的に染み込んできた。他にも(岩礁に馬乗り海苔掻始む)(糸ゆるめ泣かすピノキオ鳥雲に)など。
山崎祐子第二句集『葉脈図』 2015年刊 ふらんす堂
「ににん」創刊15周年祝賀会
2015年9月3日 木曜日60号ってあっさり言えばそれまでのことなのだが、15年の月日が経っているのである。15年なんて、我ながら頑張ったなーと思うのである。10月31日(土)にはごくごく内輪の15周年祝賀会を行う。会場はハイアットリージェンシー東京、5周年を行った旧センチュリーハイアット東京である。
おおきなホテルだから、大きな会でも可能なのだが、今年は私が思いがけなくも「二冊の鹿火屋」で評論賞などを頂いて、既に何回も多くの方にお祝いの会をして頂いているので、もう15周年も済んだような気分がある。それで、むしろ、日ごろ顔を合わせることのない会員同志の親交、そして、「ににん」を長い年月購読している方たちにお礼を込めた会にしようと思うのである。
そのパーテイの写真などもグラビアに組んで、来年1月に発行する61号は15周年記念特集号になる。15周年については、すでに俳句四季9月号の「今月のハイライト」に紹介されている。