俳句展望 高倉和子
花どきの方耳塞ぐ枕かな 岩淵喜代子
「俳壇」4月号より
横臥しているとき、枕は方耳は塞いでいる。当り前のことであるがなるほどと思う。「花どき」の季感が独特の雰囲気を生み出している。
俳句展望 高倉和子
花どきの方耳塞ぐ枕かな 岩淵喜代子
「俳壇」4月号より
横臥しているとき、枕は方耳は塞いでいる。当り前のことであるがなるほどと思う。「花どき」の季感が独特の雰囲気を生み出している。
広島県三原にある『太陽』の創刊十周年祝賀会に招かれた。長いおつきあい、といっても中国旅行で出会ったのがご縁で、なにかと気を使ってくださるのである。そういうところは、地方の方のほうが篤い。午前中は林隆三のトーク・朗読・ピアノ弾き語りと多才な俳優だ。なんとなく名前を知っている、というくらいの人だったが、渋みのある風貌で語りも上手い。何でも読むのではなく、宮沢賢治と的を絞って活動しているのもいい。
朗読は、「虔十公園林」だった。質問コーナーでなんでピアノ、なんで宮沢賢治かを応えてくれた。母親が寝る前に夜毎に童話を読んでくれたらしい。そうしてピアノは六歳年上の兄が勤め始めた最初の給料で、ピアノを買い求めたのだという。勿論月賦で。その経緯がいかにも家族が俳優林隆三をつくったようにも思える内容だった。それにしても、豪華な祝賀会である。地方というのは、たぶん地域での結集力がよいのだろう。みんながてんでんばらばらな方向を向きながら、自分の好みの関わり方をする同人誌とは違うのだ。
舞台の本人の語る家庭環境を聞いていると、まるで東北を転々と暮らして、東京に出てきたような印象だったが、ウィキペディアでは、東京都新宿区四谷に生まれる。1961年に立教高等学校(現・立教新座高等学校)を中退後、1963年俳優座の俳優養成所に入り(第15期生)、1966年に卒業。とあり東北は全く出てこない。
実はこの『太陽」の五周年のときもこの三原にお邪魔をした。そときお隣に三原プリントの方が座っていたのがご縁で「ににん」の印刷もお願いすることになった。それ以来ずっと担当が変わらない。『太陽』さんは創刊からその方が担当しているというから、長いお付き合いである。この変わらないというのも信頼度につながるのではないだろうか。
軽鴨、残り鴨、通し鴨、といろいろな呼び名があるが、はたしてこれはどの呼び名が本当なのだろうか。よくわからない。雰囲気としては残り鴨という感じである。本来は春になると北へ帰ってゆくものだが、まれに営巣して子育てをするものもあるという。しかしこの鴨は子育てというにはあまりにのんびりと、土手の草に埋まっている。どちらかがか帰れないで、お付き合いをしているのだろうか。
そのうえ番いなのか親子なのか兄弟なのかも、見分けられない。どちらにしても、片方が「眠くて仕方がない」と言う風にひがな草褥に蹲っていて、それを片方が放ってもおけないから見守っている感じだ。浜岡原発が運転中止になった。諸手を挙げて賛成である。
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