煮くづれの小魚九月十一日
すいつちよに灯さぬ部屋の人形かな
野遊びのやうにみんなで空を見て
しみじみと汗かいてゐる夜食かな
野の蝶の触れゆくものに我も触る
照りつけて朝のはじまる稲の花
長病や春の野菜の浸しもの
逝く猫に小さきハンカチ持たせやる
力をぬいて自然に身を任せている作者の取り合わせ。それは取り合わせという観念もなく自然に見えるものを選び取る、という作り方だ。例えば「煮くずれと九月十一日のテロ」「すいつちよと人形」「長病みと野菜の浸しもの」など。
煮くづれの小魚九月十一日
すいつちよに灯さぬ部屋の人形かな
野遊びのやうにみんなで空を見て
しみじみと汗かいてゐる夜食かな
野の蝶の触れゆくものに我も触る
照りつけて朝のはじまる稲の花
長病や春の野菜の浸しもの
逝く猫に小さきハンカチ持たせやる
力をぬいて自然に身を任せている作者の取り合わせ。それは取り合わせという観念もなく自然に見えるものを選び取る、という作り方だ。例えば「煮くずれと九月十一日のテロ」「すいつちよと人形」「長病みと野菜の浸しもの」など。
寒靄や老は泳いでゐるごとし
日のくれの冬木は肘を張りにけり
蝶を飼ひ人差指はつかはずに
永き日をひとりでをれば塵もなき
鶴よりもましろきものに処方箋
國に恩賣りしことあり蠅叩く
繪草紙を買ひにやらせる暑気中り
1925年生れ。現代俳句協会賞を受賞している作者は表現を自在にあやつる。いや、そう見えるほど苦渋のあとを残さない完成度を持っている。どれを、と抜き書きするならどれも端から書きぬきたい自在さを得た作品である。
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