2010年10月11日 のアーカイブ

大木あまり第五句集『星涼』 2010年9月 ふらんす堂

2010年10月11日 月曜日

煮くづれの小魚九月十一日
すいつちよに灯さぬ部屋の人形かな
野遊びのやうにみんなで空を見て
しみじみと汗かいてゐる夜食かな
野の蝶の触れゆくものに我も触る
照りつけて朝のはじまる稲の花
長病や春の野菜の浸しもの
逝く猫に小さきハンカチ持たせやる

力をぬいて自然に身を任せている作者の取り合わせ。それは取り合わせという観念もなく自然に見えるものを選び取る、という作り方だ。例えば「煮くずれと九月十一日のテロ」「すいつちよと人形」「長病みと野菜の浸しもの」など。

八田木枯第六句集『鏡騒』 2010年9月  ふらんす堂

2010年10月11日 月曜日

寒靄や老は泳いでゐるごとし
日のくれの冬木は肘を張りにけり
蝶を飼ひ人差指はつかはずに
永き日をひとりでをれば塵もなき
鶴よりもましろきものに処方箋
國に恩賣りしことあり蠅叩く
繪草紙を買ひにやらせる暑気中り

1925年生れ。現代俳句協会賞を受賞している作者は表現を自在にあやつる。いや、そう見えるほど苦渋のあとを残さない完成度を持っている。どれを、と抜き書きするならどれも端から書きぬきたい自在さを得た作品である。

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